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ハープルシール ~浮遊大地を統べる意思~  作者: 仁藤世音
第1章 Part 2 人間と魔族
21/56

20 夢奏家メルナドール

<リースト楽団 定期演奏会>

 リースト大音楽堂の前には、それだけ書かれたポスターが貼られていた。なぜこうも簡潔なのかといえば、広告に力を入れる必要がないからだ。国中の魔族は勝手に情報を収集し、それは拡散されていく。開演まで一時間をきったリースト大音楽堂前には、あいにくの雨にも係わらずチケットを持たない大勢の魔族で溢れかえっていた。既に中では、幸運にもチケットを入手した観客がいまや遅しと開演を待っている。外の魔族はさらに幸運なことに空席が出来ることを期待してたむろしているのだ。

 当然、みんなほとんど諦めているが悔しそうな会話が聞こえてくる。


「聞いたかよ? 今回は天才マエストロのヨハン・ベレッタが登壇するって噂だぜ!」

「本当ですの? メルナドール様とベレッタ様のシンフォニーが聴けないなんてついてないですわ!」

「おいおい! そうなのかそこのおっさん! だから曲目がコスタの曲ばっかなのか、納得」


***


 そんな中、傘に隠れて音楽堂の裏口から中に入っていく4つの影があった。


「まさか雨が降ってたなんて、私全く気づきませんでした」


 そう言いながらメルナドールは傘をたたみ、傘立てに立てた。グアン、セロ、デキンスもそれに倣う。小さな玄関のような空間だ。申し訳程度のロッカーが置いてあり、他は階段くらいしかない。


「この上からVIP席に行けるのだよ。セロはともかく、デキンス将軍は演奏会などには来られるので?」


 なぜかグアンが仕切りだす。

 階段を登ると関係者とレッドカーペットに木彫の壁と一気に華やかなアーチ型になっている廊下に出た。関係者と思しき魔族が通過してはメルナドールと握手を交わしている。


「最近は全く。以前何度か来たことはありますがね。セロにあやかる形とは言え、久しぶりに来れてラッキーですよ。なんせチケットは400倍とも聞きますからね」と、セロが不安そうにメルナドールに声をかけた。


「メルナドール将軍、俺……私は演奏会というものに行ったことがないのですが、本当に大丈夫でしょうか? 浮いてません?」


 新しい部下にグアンは大げさなため息をついた。

「セロは昔から変なところで臆病ですよね。ここまできて普通言わないでしょ、そういうこと」

 尤もなことを言われてセロが唸る。


 しかしメルナドールはそのやり取りが気に入らなかったのか、触手でグアンをピシャリと弾いた。影の体に物理を通すには、その物に魔力を纏わせる必要がある。それは割と高度なことなのだが、メルナドールは息をするようにそれをやった。


「もうグアン! セロさん、気にしないでくださいな。なぁんにも心配はないですよ。第一この人だって偉そうにしてるけど、知ったかぶりですからね。あ、それからここでは将軍とは呼ばないでください。今の私は軍人ではなく、演奏家なので」


 それを聞いて安堵したようにセロが頷いく一方、グアンはムッとして反論する。


「そんなことはないさ! 私が何度この定期演奏会に足を運んだと思ってるんだ」

「でもそれ、私に会いに来てるだけじゃないですか?」

「違う! 私はあくまでも音楽を聴くために来ているに過ぎない」

「……そうなの」


 不意にメルナドールは俯いてしまった。

「……あ、いや……なんだ」


 グアンが慌てて弁明する様を見てセロが首をかしげたのに気付いたデキンスは、そっと教えてやった。

「メルナドールさんとグアンは夫婦なんだよ」

「えっ! グアンは独身じゃなかったか?」

「戦争の時はな。2人が夫婦になったのは戦後、お前が牢獄で呆けていたときだ」


「はぇ~! 愛に障害はなしか」

 セロは心底驚いたようで、少し目を細めて問答する二人を眺めた。


「そういうことかもな。ま、あの2人のように戦後結婚した者は少ないが」


 話がひと段落したのか、2人が「すいません」と言いながら戻ってきた。

「御二方、ここを上がっていけばVIP席です。じゃ、また。ステージで」


 そう階段を触手で指して、触手早――足早――にメルナドールはニョロニョロ音もなく移動し、見えなくなった。それをグアンが名残惜しそうに見送ってから、連れの2人を案内した。


 VIP席はテラスのような席で、まだ黒幕の下がっているステージや一般席も一望できた。荘厳な外観を裏切らない重厚感のあるホールには、多くの幸運な観客がいまや遅しとステージを眺めていた。天井にはこのリースト大音楽堂の名前にもなっている、フレデリック・リーストがグランドピアノを奏でている様を表したステンドグラスが豪快に飾られている。


 ステージに指揮棒を持った頭のない深緑色の衣装に身を包んだ魔族が現れると、会場は一斉に静まり返った。

「指揮者のヨハン・ベレッタだ。いいかセロ、ここからは物音厳禁だ。どんな音も、例外はない」と、グアンが静かに諭したがセロはステージを食い入るように見つめて、聞いていないようだった。


 ベレッタが話し出して、いよいよ定期演奏会の始まりだ。

「音楽を愛する皆様、本日はようこそ足をお運びくださいました。外は雨、雨音が奏でる独特のリズムを皆様はどう感じたでしょうか? 音には感情が宿り、感情には音が宿ります。今宵、私たちが皆様にお届けするのはイリヤ・コスタ作曲『4色の人形に捧ぐ協奏曲』『ピアノのための協奏曲第三番』。それでは参りましょう、未知の世界へ」


 盛大な拍手と共に幕が上がっていく。

 メルナドールがその触手に8つの弦・管楽器を携えステージの左側に、右手側にもそれぞれ楽器をもった魔族が16名ほど。


 拍手が止むと同時にベレッタの指揮棒が動き出した

 軽やかな木琴のリズムと共に曲が始まった

第一楽章「世界に生まれた日」

軽快に弾む木琴の音にフルートとヴィオラが仲間入り

のんびりしたテンポで爽やかな風が駆け回る

やがて木琴は休息を始めヴァイオリンが主旋律を引き継いだ テンポはややあがり 楽し気な笑い声を聴いているよう

4種類の旋律を楽器を増やしながら繰り返し 

最後にはファゴットとフルートの音色で眠るように幕を閉じた。


 続いて第二楽章がファゴットの独奏で幕を上げた

第二楽章「忘却の底の景色」

クラリネットとチェロがファゴットに加わり郷愁を誘う

次第にファゴットとクラリネットの僅かに弾んでいた音は姿を消し チェロの独奏になった 

静かで暗い旋律が会場を包んでいく 段々自分の心がどこかに取り込まれてしまいそうな錯覚を覚える

そこに細々とメルナドールのピアノが絡み 一気に激しいリズムになっていく

チェロ、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、オーボエ、ティンパニによる憤怒の嵐が押し寄せる

どの楽器もおよそ曲とは呼べないような乱暴で散乱するような しかし統一感のある特異な色を放つ

やがて1つ また1つと楽器が泣き止み 最期にはピアノの単調なリズムだけが残り、諦めるように、消えた。


 第三楽章「新しい出会い」

 セロはこれまでこういう形で音楽を聴くことは一度もなかった。そして今、それは彼の想像をはるかに超える形で返ってきていた。様々な音色がステージからだけではなく、上から、後ろから、横から、下から、いろんな角度から感じ取れた。文字通り全身が震えていた。そして驚嘆していた。ステージで音色を放つ楽器からは()が溢れていた。今でいえば、クラリネットからは明るい黄色、ヴァイオリンからはオレンジ色、トロンボーンからは淡い水色。その色は空中で混じることなく絡み合い優雅に踊っているようだった。セロは目を奪われ、耳を奪われ、――――心を奪われていた。


 第四楽章「終着点から微笑む」

 デキンスはこれまでの3つの楽章とはまた違う、とても穏やかな演奏に聞き惚れていた。

 かつて敗戦の瞬間、このリースト大音楽堂は市民の避難場所として今日以上に大勢で溢れかえっていたという。ここも大パニックに見舞われた。その時、その光景を目にした同じ避難者だった演奏家・メルナドールは、強い使命感を持ちその触手にたくさんの楽器を抱えた。そう、今まさにしているようにだ。そして1人で交響曲を三日三晩、奏で続けたという。

 天才音楽家フレデリック・リーストの再来と言われていた彼女はその時、音楽の力を全ての聴衆に示した。不安も、嘆きも、絶望も、そのすべてをメルナドールの音楽は癒した。そして今もこうして、癒し続けている。

 ベレッタの巧みな指揮に導かれ、全演奏者が音を紡ぎだす。希望に溢れた、でもどこか悲し気なメロディーがじんわりと染み渡る。

 デキンスはこれまで失った仲間のことを思った。楽しかった思い出ばかりがフラッシュバックされ、悲しみと喪失感が勇気に変わっていく。


 気付くと演奏は終わっていた。


 一瞬ホールを静寂覆い、そして全員がスタンディングオベーションでこの瞬間を称えた。

 続く『ピアノのための協奏曲第三番』も見事に聴衆に届いた。奏者たちのソリストとしての技巧を余すことなく響かせる、そんな曲。聴衆はひたすらに圧倒されるばかりだった。

 そして長いようで一瞬の演奏会の時が終わった。リースト楽団のメンバーにはいつまでも喝采が送られていた。




 デキンス、セロ、グアン以外の聴衆が全員帰ると、ホールはまた荘厳な雰囲気を取り戻した。


「言葉では、表せないなこりゃ」

 セロが感動して声を漏らした。


 グアンが満足げに頷く。

「そうだろう? 言葉ではその一端だって示すことは難しい。これは音楽だからな。言葉よりも繊細な言語だ。この力は誰にでも響く。善人、悪人、賢人、愚者、人間、魔族、関係ない。だからな、あいつは……メルナドールは信じてるんだ。この音楽の力でなら、敵も味方もない平和な世界を作ることが出来ると。あいつが将軍の地位に居るのはそれが理由でもある」


 デキンスはすっと俯いた。

「そうできたら、きっと最高なんだろうな……。俺がその世界に行くには割り切れないものが多すぎる」

「それもあいつはわかってるさ。そういう感情が誰の中にもある。当然あいつ自身にも。でも許すことが出来ると思ってるんだ」


 セロがじっとグアンを見た。

「グアンも、そう思うのか? やつらを許せると」

「思っている。私とメルナドール将軍は同じ理想を夢見ているのだよ。……さ、我々も帰るとしよう」



そしてリースト大音楽堂には楽団のメンバー以外誰も居なくなった

天井のステンドグラスに住むフレデリック・リーストだけが

静かな静かなメインホールを いつまでも眺めていた


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