12 One on One
一瞬の出来事だった。何かが脇をかすめ、アキヒサ、ドナテラ、オーロラ、そしてペトを薙ぎ払ったように飛空挺の縁に叩きつけた。驚いて吹き飛んだ先を目で追うと、青緑のドロッとしたものが三人を縁にがっちりと拘束するように纏わり付いていた。みんな気絶してしまったようでがっくりとうな垂れている。
動揺してしきりに回りを見回していると、伸びている空賊の辺りからボウッと、青緑の人の形をしたゼリー状のものが現れた。黴のような薄汚い色合いに、眼球はぎょろりと剝いて、輪郭がはっきりしない。
恐怖と驚きで硬直していると、それはヒトの言葉で話しかけてきた。
「どうだい? 虐殺した気分は?」
気味の悪い外見に似付かわしくない軽い声。嫌な感じ。疑いも無く魔族。また現れた。どうも空賊船を幻術にかけたのを見ていたらしいが、一体いつからここに居たのだろうか?
「なんだ? 言葉にならない喜びだってことか? それとも爆裂陣は自分が起動したわけじゃないから関係ありません! 何てのたまうか?」
やたら煽ってくる。俺を怒らせようとしているのか? 集中力の乱れは幻術を弱めてしまう。それはまずい。俺には幻術しかない。でも、何故俺だけ攻撃されなかった? 完全な不意討ちだったのに。
やつは会話を諦めたようだった。体のゼリーを分離させいくつもの球体を作り出し始めた。そして気付いた。さっきみんなを襲ったのはこれだ! さっきみたいに飛ばしてくる!
「魔術 幻視!」
良かった! 前と違ってこいつは幻術が効きそうだ。ひとまず狙いを外させなければ! 魔族に偽物の俺を四方八方に見せ、「やーい」という間抜けな挑発をさせた。それを見させられた魔族のはっは、という乾いた笑いが聞こえた。
「なんたる小者、本当にグリムの子孫か貴様?」
グリム? そんな相手の言葉を悠長に聞いてる暇などなかった。ヤツは青緑の球体を全方位に発射した。幻覚による俺の虚像を狙っているわけではないようで、でたらめに打っている。俺は縁に固定されてしまっているアキヒサの陰に隠れていた。
そして気付いた。この球体は直線的に飛んでない。縦横無尽に甲板上を暴れ続けている。しかも速い、当たったらただ事では済まない。
やつが俺を見失っているうちにアキヒサを解放しなければいけない。俺には攻撃の手段がないからだ。しかし、アキヒサを固定しているゼリーに触れたことは間違いだった。
「そこか!」
分離した体にも神経が通っているのか、たちどころに居場所がバレてしまった。上から横からゼリー球の雨が降り注ぎ、全身を殴打されていく。果てには、ゼリーの腕がにゅるりと伸びてきて俺を捕えると、魔族の前に叩きつけられた。
あまりに手際よく痛めつけられて、抵抗する隙がなかった。体中が痛み、口から血が出ていた。意識はあったが、それが逆にキツい。何も出来ないまま事態が悪くなる。
ゼリー魔族が俺のお腹を思い切り踏んづけた。短い叫びが漏れる。
「……妙に雑魚すぎる」
そんな評価をもらってしまった。ゼリーは俺の体中を弄って、そしてペンダントを見つけた。
「確かにこいつで間違いないのか。おい貴様。いつまでもごみのように転がってないで反撃したらどうだ? 使えるんだろ、闇の炎」
これだけ俺を圧倒していながら、油断している様子には見えない。俺は蹴られ揺さぶられ、暴言を吐かれ。この魔族はどうも俺ではなく、もう一人の俺と対戦したいらしい。あの力があれば、きっと……。
突然、胸の中から焼かれるような強い痛みを感じた。それと同時に感じたこともない、頭が割れそうな深い憎悪が内から溢れ出した。引きちぎって、こわして、焼き尽くしてやりたいと、思わずにやけるほどの恐ろしい殺意。耐えきれず、ウグァッ!と短い悲鳴を上げた。何かが頭に上ってくるような感覚――
(我を求めたな、愚かで、哀れな、クソガキめ)
心の中でそう聞えた。そう、俺の意思ではない俺の声。体の自由がソレに奪われた。
俺の体を操るソレは、ジッと青緑のゼリーを睨んだまま立ち上がった。俺の変化に素早く気付いた魔族はサッと距離を取り身構えた。
「貴様、ようやくやる気になったか」
せせら笑いをするのが聞こえる、この声は自分だ。
「(あぁ、ヒッヒ。待たせて悪かったなァ、バケモノォ。折角似合ってるその醜い姿を消さなきゃいけないんだから、実に…ハッハッハ! あぁすまない、残念だよ! ハハッ!)」
オレは、もう笑いをこらえきれず敵の前でヘラヘラしている。その態度は当然ながらやつの癪に障る、かと思いきや驚いたようだった。
「その虫唾の走る話し方……まさか!」
「(そのまさかぁ、だったりするかもなぁ!)」
全身のゼリーがわなわなと震えていた。
「悪いなデキンス、今ここでこいつは!」
そして全身からゼリーを尖らせた槍が矢継ぎ早に飛ばしてきた。オレは身を守る盾の様な、薄い青色をした四角い膜を作った。当たるっ! と思ったが、槍は全てその膜に勢いよく突き当たり、体には到達しなかった。
「(そんなぷよぷよしたもの……)」
そう言いかけたところで今度は魔族が笑った。
「どうかな?」
そう言われたので眉をひそめて膜を見た。ゼリーの槍は膜に垂直に突き刺さったまま落ちていかない。よく見ると回転してる様だった。無数に刺さっていく回転槍が膜にどんどんひびを入れていく。
「(な!)」
次の瞬間、槍が膜を突き破った。咄嗟に真下に向かって衝撃波を放ち、反動で真上に高く飛び上がり回避を試みた。しかし完全には避けきれず、脚を三本の槍に貫かれた。痛みも何も、脳があらゆるフィードバックを拒否してるかのように何も感じることはなかったが、心臓が爆発しそうなくらいにバクバクしているのだけは分かった。
攻撃を食らってしまったのにオレの余裕綽々な気持ちに揺るぎはない。
「(そのドロドロの頭、意外と悪くないのだなぁ!)」
そう言って飛び上がった空中で、あの日もやったように炎を両手に充填した。昼間の今だからわかる、何者も吸い込んでしまいそうな漆黒の炎が俺の手に揺らめいて、どんどん大きくなっていく! とても真っ当な力には見えない。この唯一と思われる俺の活路に対する恐怖は増大するばかりだった。
しかし、それは照射された。ブォン、と嫌な音で風を切る。魔族は槍を全てその炎弾に向けたが何の意味もなさず焼き溶かされていく。落とせないと悟った魔族は飛び退いたが間に合わず、左半身を綺麗に溶かされた。体があった部分がシューッと湯気をあげている。しかし、残った右眼には闘志がらんらんとみなぎっているのが見て取れた。
「なるほど……なるほど! 最悪の事態だなこりゃ。だが! これだ、これでいいのだ」
既に甲板に着地していた俺の体を青緑色のガスが包みだした。
「(これは、気体になった体を、ガスも操れるのか! 面倒な)」
ガスが鼻や耳、皮膚から体に侵入してきている。皮膚がミルミル黴色に変色し、段々体が固まっていくのが分かった。
「(やるではないか)」
「光栄だね。俺もかつては将軍だった男。勝った気でいるやつに負けはしないさ。お前はそうして体を固められたまま、成す術もなくなぶり殺しに遭うのだ。貴様が殺した数だけ、たっぷりと痛めつけた後であの世へ行くがいい!」
かみしめるように魔族がゆっくりと近づいてくる。一体何の話をしているんだ? 何もかも分からず解決しないまま、このままだと殺されてしまう! しかし、オレはまだ冷静らしい。
「(ククク。悠長なことを言う。だぁから永遠に敗者なのだ、将軍よ。勝った気でいるやつにぃ、負けるかよぉ)」
言い終えると、皮膚の毛穴から破裂した水道管のように血液が噴出した。それは球体となり頭上にぽわぽわ浮かんでいる。
魔族は言葉を失いわずかに後ずさる。
(こんな濁った血なんていらんよなぁロバート君。でもこの体に血はすっからかん。なら、新しい血があればいいと思わないかねぇ?)
……?
「(使うのは初めてだなぁ、……超活性!)」
ジュワっと体の隅々まで何かが駆け巡った。味わったことのないムズムズする感覚、傷口からはまた血が漏れていた。まさか血を作り直したっていうのか?
一方魔族は焦っていた。
「何を、したんだ? だめだ、俺のガスがあの血玉に飲まれたまま動かせない!」
「(説明してやろうか? 君はなぁ……)」
「(負けたんだ)」
「な? これは! 体も動かせないだと?」
「(かなしばりとでも思いたまえ)」
魔族は観念したように黙りこくった。オレの手には再び漆黒の炎が生成されていた。血球を炎に吸収させ更に大きさを増していく。トドメを刺すつもりだ。
そして、さぁいよいよというその時「やめろ!」と上の方から声がした。その予想外の声に釣られ狙いは大きく外れた。声の主は純白の翼をはためかせながらスッと甲板に降り立った。そしてそれは、半身を失った魔族を守るように立ちはだかっている。あの祭りの夜、姉ちゃんを斬ったやつだった。俺の中に恐怖と憎悪が蘇る。
「(フハ!この間のように盾になってくれる下僕はいないじゃないかぁ! 逃げられると思うのかぁ?)」
「逃げられるさ。もう、とっくに逃げ切っている」
そう言って、青緑のゼリーごとパッと消えた。俺とオレはそろってポカンとした。辺りを見回したが影も形もない、それにアキヒサたちを固定していたゼリーも無かった。と、中身がケラケラ笑った。
「(アッハハ。聞けよロバート君! まさかなぁ、ヒッヒヒ、まさか幻術使いが幻術をかけられて気付かなかったなんてなぁ! 我も雑魚になったものよ!)」
笑うのを止めると、自分の声とは思えない怒りのこもった声で続ける。
「(だが、人間とは成長するもの。フフ。このままで終わらせない、きっとな)」
そしてオレは俺に戻った。アレはまた俺の底深く潜り込んだとか、眠ったとか、そんな感覚的に近い。
それと同時に、俺の全身に激痛が走った。今まで感覚が消えていただけで、体はしっかり重傷を負っている。想像を絶する痛みと疲労に、またしても気絶することになっ……。
ミルコは半目で一部始終を見ていた。恐怖と好奇心で目が離せなかった。ゼリーと羽の生えたやつが消えた後、残された男がしばらく一人で騒ぎフラぁと倒れた。
世の中は不思議で一杯だなぁ、と半ば悟った気でいたミルコは今度こそ眠りについた。