11 錆びついた将軍
牢獄は王都を北に行った遺跡のような建造物の地下にある。普段立ち入り禁止のその迷路を、デキンスは黙々と下っていた。翡翠の宝石の継承者と戦わせるための重罪人・セロがここにいる。じめじめして暗くて、実に不快な場所だ。魔法で厳重に幽閉された罪人たちは死ぬことも出来ずただじっとしている。
しかしまぁ本当に複雑で、デキンスは苛立ちも通り過ぎていた。地図を見ながら必死に、必死に、必死に! 探索を続けてようやく目的の牢に辿り着いた。声に緊張が帯びる。再会の時だ。
「……久しぶりだなセロ」
鉄格子の奥で、セロと呼ばれた魔族がぴくっと動いた。ドロドロの青緑のゼリー状の体を固めて人のような形を取っている。何も話さないそれは、生命体ではなく物なのではないかと疑いたくなるほどだ。デキンスはもう一度声をかけた。
「セロ、俺だよ。と言ってももう忘れちまったか。八百年近くたってるしな」
沈黙が辺りを包む。お互い、だまりこくったまま十数分が経過してから、ようやくセロはゆっくりと声を発した。
「そうか。俺の名前はセロ、だったな。まだ誇りと希望があったころの名前」
見た目とは裏腹の軽い声がなつかしい。その口調は昔を惜しんでるようでも悔やむようでも無く、ただ事実を確認したという具合だった。そうして鉄格子ごしにデキンスをまじまじと眺めると、あ~と言った。
「デキンス将軍、だな?」
「覚えていてくれたのか」
「ふっふ。忘れていたよ、今まで。でも思い出した。熱く、勇敢で、強い、リナス元帥の忠臣。だが、」
そう言ってずるずると鉄格子の前まで来た。
「情に流されやすい」
その声に皮肉は込められていない。ただ記憶を確かめるように、そういったのだ。フン、とデキンスは鼻を鳴らした。
「余計なことまで思い出してくれるなよ。つい最近、まさにそんなことがあったばかりなんだ」
「変わってないってか。嬉しいね」
セロ元将軍。デキンスの元同胞。最強と謳われた将軍は忌まわしき敗北を喫した八百年前、発狂し、誰彼構わず殺そうとした。指揮官たる彼の乱心は配下の兵士をも狂気に導いてしまった。兵士の間に拡大した狂気を止めるために、なんとか冷静さを保っていたリナス元帥やデキンスらは奔走する羽目になった。その場はなんとか収まったものの、その後セロ将軍は国を壊滅させかねない大混乱を引き起こした罪で投獄されたのだ。
「ところで用件はなんだ。こんな情けない場所に似つかわしくないやつを寄越してまで、何のつもりだよ」
「一言でいえば、鉄砲玉だ」
デキンスは一通りの経緯を説明した。
「なるほど。この気持ち悪いどっろどろの体が役に立ちそうだな。だが何より……そうか、俺はわずかでも汚名を晴らすチャンスを与えられたのだな」
「……」
セロはしてはならないことをした。しかし、戦場でも酒の席でもこいつほど気が合うやつはいなかった。だからこそ複雑な感情がデキンスの中でくすぶっていた。
「で、いつ俺は出るのだね?」
「今すぐだ」
そう言って鉄格子にかけられた魔法を解いた。金属が砕けるような音と共に鉄格子は崩れ落ちた。内側からは決して突破できないそれも、外側からは実にあっけなく壊れる。
「そうだ、一つ頼みがある」
「頼み?」
「その戦いを見届け情報を持ち帰るやつは、俺の最期を見届けることにもなるはずだ。デキンス、お前に来て欲しい」
「……もちろんだ」
「元帥閣下は将軍のお前が出ることを許しているのか?」
「あぁ」
「……そうか」とセロは安堵したような声で答えた。
外はカラッと良い光に溢れていた。久し振りの光が体に染みたのか、セロはグェエーッと悲鳴を上げた。もわんもわんと煙が立っている。まさか溶け消えやしないだろうかと、不安になった。
「おいおい、情けない声を出すなよ。仮にも豪傑だろ?」
「いつの話してやがる。でももう慣れたさ。ところでその俺たちの宿敵はどこにいるんだ?」
「奴らは今帝都方向へ向かって進んでいるらしい。なに、簡単に追い付けるさ」
ラグレーを失った日からちょうど九日目の朝だった。細心の注意を払って監視しているデキンスの斥候によれば、あの男は早くもブレイカーズに加わったという。
空に向かって、プルッと震えるゼリーを纏わせたデキンスは猛スピードで飛び去っていった。セロは飛べないのだ。
◆ ◆ ◆
そこから三十分も経たないうちに目的の飛空艇が見えてきた。と、デキンスはホバリングを始めた。彼の高速飛行に絡みついてきたセロはようやく息をつけることに内心ホッとしていた。
「あ~、酔っちまいそう」
「絶対に吐くなよ、俺の体に!」
「はっは。しかしこの距離で止まるなんて、黄金の宝石はそんなに強力なのか?」
デキンスは何やら自分たちに魔術をかけていた。
「ん? ああそうだよ。だけど見えず聞こえずなら分かりゃしない。今その魔法をかけたんだ」
ほう、とセロは遠目に飛空艇、そしてその真下にいる中型船を見ながら答える。
それにしてもあの中型船、物々しい武装を見るに空賊だろうが動きが変だった。妙な蛇行をしている。
「なぁ、あれ。あの中型船、なんだか動きが……」
「そうだな。まるで誘導されてるようだが……!」
大きな爆音が轟いた。爆発の中心にいた中型船が瞬く間に粉々になっていく。
「あ、あれはクァトラスの爆裂陣か……!」
セロが憎々しげに呻き、ゼリーに囲まれた眼球も充血していった。
「あの爆発で俺の兵もどれだけ殺されたことか。黄金の宝石、ふざけたものを残してくれたなクァトラスめ! えげつないことしやがる!」
「落ち着けセロ。そいつは今回の目的じゃないんだ。しかしチャンスかもな、今なら簡単に近づけそうだ」
「そ、そうだな。頼む」
デキンスはスーッと飛空艇に接近し、セロを甲板に降ろして離脱し距離を取った。
甲板に降りたセロはターゲットとその仲間を眺めた。不可視化も間もなく切れる。防音の魔法のほうはもう切れかかってるようだ。足元に転がっている、気絶した振りをしている男は音にわずかに反応していた。報告しないということは奴らの仲間じゃないのだろうか。こいつを入れたら五人、聞いていた数より一人多い。
セロは思った。この戦いは自分の汚名を注ぐための戦いではないと。自分が絶望したあの日、未来を諦めたあの日、諦めなかった仲間がいた。リナス元帥もデキンスも、希望を持って戦い続けていた。自分が牢獄で過ごした八百年の間ずっと。今俺は、希望を持つことができた! 今度は、この絶望に溺れた体で、希望への糧となってみせる!
「ありがとう、よく見ておけデキンス!」
そう呟き セロの聖戦が幕を開けた
セロ:元将軍。青緑色のゼリー体。