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第8話 祖母とハーブ

 自室のベッドの上で小雪は目を覚ました。

 首に取り付けられた銀色の輪を外す。


「くううう……」


 上半身をあげて、ぐっと腕を伸ばすとポキポキと関節の鳴る音がして、凝り固まった筋肉がほぐれる。

 まだあまり覚醒していない頭で、小雪は直前まで体験していた出来事を思い出していた。


 活気と異国情緒に溢れる町。ファンタジーな世界。


「なんだか、夢みたい」


 思い出せなくなって久しかった、幼少期のような濃い時間だった。

 改めて、新しい世界へと連れ込んでくれた親友を思い、小雪は胸の奥にじんわりとした熱を感じる。


「げ、もうこんな時間。はやく晩ごはんの支度しなくちゃ」


 ベッドに置かれた目覚まし時計の針を見て、小雪はあわてて布団から抜け出す。

 薄いシャツ一枚の、彼女の柔肌が露わになる。

 小雪はベッドに入るときは必要以上の衣服を着ることを嫌っていた。

 驚愕する美咲に、小雪は常々「窮屈なのが嫌いだから」と弁明している。

 

 滅多に太陽の元に出ない生活を送っているためか、シャツの下から覗く彼女の肌は雪のように白かった。

 細くなめらかなシルエットも合わせて、どこか儚い雰囲気さえ伴っている。


 箪笥からジャージのハーフパンツと半袖のパーカーを取り出してきて、それを着る。

 彼女の部屋着はあまりバリエーションが豊かとはいえない。

 一度箪笥を覗いた美咲が「同じ女子として嘆かわしい」と言うほどである。


「おばあちゃん、もう帰ってきてるかなぁ」


 部屋を出て、縁側を歩きながらそっと奥の部屋をみる。

 彼女が一緒に暮らしている祖母は、御歳七十にして現役の職業人だった。

 いつも三食は家で食べるために帰ってくるため、食事をつくるのはもっぱら小雪である。


「よかった、まだ帰ってきてな」

「ただいま、小雪」

「お、おかえりなさい!」


 キッチンに入り、まだ祖母が帰ってきていないことに安堵した彼女の背後から、落ち着いた老女の声が掛けられる。

 歳を感じさせない、まっすぐに伸びた背筋。白い髪。丸いメガネの奥では、柔和な瞳が輝いている。

 小雪の祖母、琴だった。


 琴は今帰宅したばかりのようで、手には商売道具の入ったトートバッグを持っている。

 彼女はそれを自分の椅子において、孫に向かって口を開いた。


「それで小雪、今日の晩ごはんはなにかしら?」

「えーっと」


 小雪は硬直し、脳内を驚異的な速度で回転させた。

 そうめん。お昼に食べたばかりだ。

 肉。あまりない。


 ――そうだ。


「さ、魚! 焼き魚だよ」

「そうかい。それじゃあ私は向こうで待ってるからね」


 隣の居間に向かう祖母の背中を見て、小雪は小さく吐息をはいた。


 頭を切り替えて、小雪は冷蔵庫の中を物色する。

 幸い、鮭の切り身があった。今夜はこれをつかうことにしよう。

 

 あとは――


 昼食で余ったそうめんは、煮麺にしてしまう。


 琴があまり濃い味のものを食べられないこともあって、七瀬家の食事はもっぱらのところ和食が中心になっていた。小雪自身も、和食は子供の頃から慣れ親しんできた。


 材料を入れてレシピを指定すれば全自動で安定した味を提供してくれるフードメーカーも多くの種類が売り出されてはいるが、七瀬家の人間は総じてそういった機械には疎い。

 そのため、小雪の住むこの家には未だにキッチンがあった。


 コンロ三口をフル稼働させながら、小雪は手際よく作業を進める。


「ゲームの中でもこれくらい設備が整ってたらなぁ」


 思い出すのは、ギルドの二階に並ぶ番号の打たれたドア。

 数字が大きくなればなるほど設備はいいものになる、と案内人は言っていた。


「次の部屋が使えるのは〈調理〉スキルがレベル十になってからだけど。使用料金が掛かっちゃうんだよねぇ」


 お湯に卵を放り込み、小雪は難しい顔になった。

 美咲――チェーシャからウサギやヒツジの肉などの食材を提供してもらっている以上、彼女には正当な報酬を返さないといけない。おそらく、彼女はいらないと言うだろうが。

 となれば、やはり〈採集〉や〈釣り〉などのスキルを覚えてなければならない。

 自力で食材を調達して、少しでも金銭的な余裕を持ちたい。


 小雪は網膜に埋め込まれたARナノマシンを起動した。

 彼女の視界に、ゲーム内と同じような実体を持たないパネルが現れる。


 ARはVR技術よりも遙か以前から広く普及していた。

 いまでは政府主導で、小学校入学と同時にナノマシンの注入が行われ、授業のほとんどもARを介して行われる程である。

 この技術の発達で、人々はもう一つの作業領域を獲得した。

 高度な情報処理作業に加え、視力の大幅な強化もされるこの技術は、導入当初こそ反発があったものの、現代ではほぼ全ての人が自身に施していた。

 それに伴い、過去には視力矯正具として普及していたメガネやコンタクトレンズは、すでにファッションなどでしか見ることもできなくなった。琴がメガネを掛けているのも、ただ単純にそれを気に入っているだけにすぎない。

 そんな社会の流れに血涙を流す者もいたそうだが、むろんのこと余談である。


 小雪はネットに接続し、FaiRonの公式ウェブサイトへアクセスする。

 そこからどうにかたどっていけば、ゲーム内で見たものと同じ掲示板を見つけることができた。


「えっと、とりあえず釣りのとこから見ていこうかな」


 ページを下へとスクロールして、目当てのスレッドを探す。

 【釣りキチスレ 9匹目】というタイトルを見つけて、そこに接続した。


 一番最初のコメントには、スレッドを立ち上げた人からの簡単な説明。二番目のコメントには釣り初心者の為の簡単なアドバイスが載っていた。


「雑貨屋さんで釣り竿を買えばいいんだね」


 とりえあずそれらのアドバイスメッセージをすべてコピー&ペーストで、小雪自身の個人記憶領域へ保存する。


 お湯の中の卵を転がしながら、小雪はスレッドのコメントを流し読んだ。

 他愛もない雑談がほとんどを占めていたが、中には有用な情報も少なからず埋まっている。

 〈調理〉スキルで釣りのエサが作れること、ネラニの町の南に港があることなどは、小雪を刺激するものだった。


「港町アクルか、一回行ってみたいなぁ」


 しかし先決はアクダラの町でクランを設立することである。

 行けるのはまだ当分先かな。と小雪は少し肩を落とした。


「次は〈採集〉スキルのスレッドか……」


 釣りキチスレを見終えた小雪は、ほうれん草をお湯に突っ込みながら次のスレッドを探す。

 〈採集〉専門の話題のスレッドは見あたらなかったが、代わりに採取系スキル全般を取り扱うスレッドが見つかった。


「三つのスキルを扱ってるだけあって、どのスキルの話題かちょっと分かりにくいね」


 さっとお湯に通したほうれん草はすぐに上げ、冷水でしめる。


 両手で作業をしながらネットを閲覧できるのは、AR故の強みだ。


「〈採集〉にはカマが必要で、それも雑貨屋さんで売ってるんだね」


 これは後日チェーシャちゃんに、雑貨屋まで案内して貰わないと。

 小雪は心のメモ帳にそう記した。


 読み進めていくうちに、小雪はネラニの町の周囲のフィールドで採取できるアイテムについて纏めたコメントを見つけた。

 それによれば、ハーブが二種類とトマト、そして用途不明の花が採れるようであった。


「ハーブは薬造りに使うみたいだけど、他の生産スキルでは加工できないのかなぁ」


 小雪が考えたのは、ハーブティや、ハーブを練り込んだパンだった。

 しかし、ハーブの説明には調剤に用いるとしか書かれていない。


「まあ、一回集めて試してみればいっか」


 小雪は基本的に、自分で試してみる性格だった。


「おばあちゃーん、ごはんできたよー」


 掲示板のめぼしいスレッドを見てしまうと、ちょうど食事も完成した。

 ガラス戸越しに声をあげると、琴がはーい、と間延びした返事を返してゆっくりとした所作でやってくる。

 今日の献立は鮭の塩焼きとゆで卵を添えた煮麺、それと薄く味付けを施したほうれん草のおひたしだ。


「「いただきます」」


 テーブルを挟んで、二人は箸を取る。

 琴は老齢ながらも働いているだけあって、同世代と比べるとよく食べる。

 小雪のほうが食欲がない時もあるほどだ。


「ねぇおばあちゃん」

「なんだい?」

「おばあちゃんなら、ハーブは何につかう?」


 ふと気になって、小雪は祖母に問いかけた。

 何を隠そう、彼女の祖母は植物が好きで、庭先では季節ごとに色とりどりの花を育てている。


 琴は、そうだねぇ、と箸を休めた。


「ハーブの種類にもよるけど、ハーブティとかかねぇ。あとは精油を抽出して蝋燭やアロマオイル、入浴剤、軟膏、湿布にシャンプー。いろんなのに加工できるよ」

「へ、そんなにたくさん……」


 軽い気持ちで聞いたら出てきた情報の雪崩に、小雪はしばし圧倒された。

 そのすべてがFaiRonでできるとは思わないが、彼女の心にある探求心に火がついた。


「なんだい小雪。ハーブでも育ててみるのかい?」


 突飛もないことを聞いてきた孫に、琴は不思議そうな顔になる。

 当の本人はふへへ、などと気味の悪い笑みを浮かべていた。

 琴の顔が不思議そう、から不安に変わる。


「おばあちゃん、ハーブの本って持ってたよね」

「え、ええ。私の部屋の本棚にあるはずだよ」

「ご飯食べ終わったらそれ貸してくれない?」

「いいけど……」


 そうして、また何かを企むような笑みを浮かべ始めた孫を見て、琴は深く考えることをやめた。

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