第7話 宿屋街
ティミーと分かれた後、コユキはまたふらりと雑踏の中を歩いていた。
彼女の歩調に合わせるように、頭上の耳がゆらゆらとゆれている。
「いつの間にか、もう夕方だなぁ」
町を囲う防壁の縁に、大きな太陽がじりじりと近づいていた。
広場にはオレンジ色の影が伸びている。
フィールドから帰ってくるプレイヤーも多く、露店商たちの稼ぎ時はこれからのようだ。
『やっほーコユキ。今大丈夫?』
のんびりと黄昏ていたコユキに、チェーシャからの通信が入る。
ぴくりと耳を反応させて、彼女は応えた。
「うん、大丈夫だよ。もう全部作り終わって、今は広場でウィンドウショッピングしてたとこ」
『そっか。今あたしも町に入ったからすぐ行くよ』
「おっけ。待ってる」
そう言って、チェーシャは通信を切った。
コユキがベンチに座って待っていると、人混みの中から見慣れた赤い髪が現れた。
「おまたせー」
「大丈夫。あ、そうだこれ」
急いできたのだろう、かすかに肩を上下させるチェーシャを隣に座らせて、コユキはトレード画面を開いた。
「ラビットステーキの納品依頼をこなしたらお金もらえたから」
そういって、トレード画面に報酬の半分を載せた。
遠慮しなくていいのに、といいつつもチェーシャもそれを素直に受け取った。
「それじゃあ今度はあたしの番ね。ウサギ肉が追加で三十と、ヒツジ肉が四十二個!」
「おお~! ラムだね」
新しい食材に、コユキの赤い瞳も輝く。
ちなみにどちらかというとマトンだった。
「ウサギと違って群れてるし、よっぽど集めやすかったよ」
「そうなんだ。わたしもそのうちフィールドに行ってみたいなぁ」
流石に町の中だけで始終を過ごすのはもったいないと感じていたコユキは、足をふらふらと揺らしながら外の世界に思いをはせた。
チェーシャは「あたしがもう少し強くなったら連れてって上げるよ」と言って頬角を上げた。
「そうだチェーシャちゃん。ラビットステーキ一緒に食べようよ」
「おお! コユキのハジメテの……。もちろん頂くよ!」
コユキがインベントリからラビットステーキを取り出す。
随時食器は変更することができるらしく、今は陶器の皿ではなく白い紙の包みだった。
「「いただきます!」」
声を合わせてかぶりつく。
「「んん~~!!!」」
パリパリに焼けた皮。柔らかい肉。
噛みしめると熱い肉汁があふれ出す。
「いつでも焼きたてが食べられるのはいいよねぇ」
「ゲーム様々だねぇ」
インベントリ内ではアイテムが劣化しない、仮想現実故の贅沢だった。
「パンとか、スープが欲しくなるねえ」
「あたしはチーズ! 熱々の鉄板にじゅわってしたい!」
黄昏に染まる広場の片隅。
二人はしばしの間、これにあう付け合わせについて話の花を咲かせた。
「そういえばさっき、エルフの鍛冶師さんに出会ったんだよ」
食事を終え、話を落ち着いてきた頃。
コユキが新たな話題の薪をくべた。
チェーシャは驚いたような、感心するような表情を作る。
「それはまた、難儀な道を……」
彼女はエルフという種族の特徴について知っているようだった。
「生活用品とか、調理器具とか作ってるんだって。わたしも今度包丁作ってもらうんだ」
そのためにもお金を貯めないとなぁ。とコユキは少し肩を落とした。
喜んだり落ち込んだりと、現実で見るよりも感情表現の豊かな親友の姿をチェーシャは微笑ましく思っていた。
「まあお金なんて依頼をこなしてればすぐにある程度は貯まるよ」
「でも、食材はチェーシャちゃん頼みだし。あんまり無理強いさせたくないな」
「別に迷惑だとは思ってないけどね」
軽く笑い、それならとチェーシャは続ける。
「それなら、コユキが食材集めるスキル上げたらいいんじゃない?」
「戦闘は苦手だって」
「別にそれしかない訳じゃないよ。たとえば〈採集〉スキルなら植物系のアイテムを集められるし、〈釣り〉スキルならお魚だって釣れるよ」
そう言って、指折りスキルを数えるチェーシャに、コユキはまさに目から鱗といった様子だった。
急いでスキル一覧を確認してみると、確かにそのようなスキルがリストに載っていた。
「そういうスキルを使うならいろんなフィールドにも行けていいかもね。護衛はあたしに任しんしゃい」
「おお~。うん! お肉ばっかりだと栄養も偏っちゃうもんね。わたし、こういうスキルも上げてみるよ」
「うんうん。このゲームの魅力はいろんなことに手を出せることだからね。
そうだ、もし分からないことがあったら掲示板を使ってみるのも手だよ」
「掲示板?」
首を傾げるコユキに、チェーシャはゲームに搭載されている掲示板システムについて説明した。
「システムパネルの……ここ、この掲示板ってとこをタップしてみて」
「これ? ほいっ」
コユキのパネルが切り替わり、無数の文字列が表示された。
・【初心者歓迎】FaiRon質問スレ【Part25】
・刀剣スキル Part21
・ネラニの町総合 Part18
……
「これ全部掲示板のスレッドなの?」
「もちろん!」
チェーシャのうなずきに、コユキは瞠目した。
インターネット掲示板の存在こそ知っているものの、使用したことのない彼女にとって、そこはまるで別世界だった。
パネルの縁にあるリロードボタンをタップするたびに増えるコメント数は、掲示板の賑わいをありありと可視化していた。
幅広くゲーム全体の話題を話すスレッドが多いが、下の方へ画面をスクロールするとマニアックな分野のスレッドも数多く開かれている。
「最初はコメントせずに見てるだけでもいいかもね。マナーとか色々覚えといた方がいいのもあるし」
コユキよりこの手の事情には明るいチェーシャは、彼女のパネルをのぞき込みながらそんなアドバイスをする。
「この鍵のマークがついてるとこはパスワード入力しないと見ることもコメントすることもできないから、注意してね。
あとはアイコンの種類も覚えとこうか。売買・募集・雑談の三種類があってね――」
チェーシャはそれぞれを指さしながら、ゆっくりと丁寧に解説を進めていった。
コユキはそれを聞き漏らすまいと、賢明に脳内メモに書き込む。
「まあ、色々いじくってくうちに覚えるからね」
「うん。暇なときにでも見とくよ」
頭の痛そうな表情の少女に、チェーシャは思わず苦笑いした。
昔からコユキは、こういったものが得意ではなかった。
「よし、コユキ。そろそろ宿屋にいこっか」
チェーシャがベンチから立ち上がる。
いつの間にか太陽は地平の底へと沈み、町の明かりが煌々と灯っていた。
頭上には紫紺の夜空が広がっている。
「宿屋?」
「町にあるリラクゼーション施設の一つだよ。ログアウトはここでしないとペナルティが発生するんだよ」
「へぇー。え、ログアウト? うわっ、もう六時!?」
コユキはひとしきり驚いたあと、リアルタイムを見て、今度は飛び上がって驚いていた。
もうそろそろ夕飯の支度を始めないと、なかなか部屋から出てこない彼女を祖母が心配するかもしれない。
「宿屋はこっちだよ」
「案内よろしくおねがいします」
コユキがチェーシャの手を握る。
二人は連れだって、夜の雑踏の中へ足を踏み入れた。
「このあたりから宿屋街だね」
コユキたちが立ち入った通りは、広場と比べても遜色ないほどの活気に満ちていた。
左右には大扉を開けはなった酒場や宿屋が軒を連ね、人々の陽気な歌声が響きわたる。一角では樽に向かい合って腕相撲に興じている者、小さな弦楽器を片手に朗々と歌う詩人。
「このへんは夜になってからが本番の通りだからね。これからもっと騒がしくなるよ」
あたりを見回して、チェーシャがいう。
しかし、コユキはきょろきょろとあたりを落ち着きなく見回していて、彼女の言葉など右から左へ抜けているようだった。
「ほらコユキ。着いたよー」
「ふぇっ」
目的地に着いても周囲に気を取られて歩みを止めない彼女を、チェーシャは苦笑いしながら引き戻す。
「おおー」
「結構雰囲気あるでしょう?」
チェーシャが不適な笑みを浮かべる。
コユキはルビーの瞳を見開いて、目の前の建物を見上げた。
――ロンコージュの酒場
手書きだろうか、癖のある筆致の趣深い看板が軒先に掲げられている。
深い茶色の木材の梁の間を、白い漆喰で固められた、ヨーロッパの観光地のような建物だった。
「ここはアリゾナ・ホテルの監修なんだよ」
チェーシャが口にしたのは、現実世界の日本で勢力を広げるホテルの名前だった。
「なんでそんなところがこのゲームの宿屋を監修してるの?」
「スポンサーなんだよ。外観とか、一階の内装は趣溢れるファンタジーな酒場だけど、個室は現実のアリゾナ・ホテルそっくりなんだよ」
「へぇ」
思わぬところから出てきた大人の事情に、コユキは驚愕の声を上げた。
ちなみに、とチェーシャは周囲のホテルを見回しながら言う。
「あっちのは帝都ホテル、こっちはムーンレッドガーデンね。あれは常盤プラザだし、あっちは古都クレセントホテル」
上げられるのは、どれもこれもコユキでも知っているような宿泊業界大手の名前ばかり。
それらの超一流の部屋が仮想現実内とはいえ、ゲーム内通貨で泊まることができるのだから活気溢れるはずだった。
「ホテル業界だけじゃなくて、アイテムデータの監修には各種メーカーがスポンサーについてやってるとかね。大きい町だと図書館もあって、作家さんがこのゲームのために書き下ろした本があったりもするらしいよ」
「なんだか、思ってた以上にスケールが大きな話なんだね」
そろそろ驚くことにも疲れてきた様子のコユキだった。
「はは、まああたしたちにとってはその道のプロが監督した品質ってことでいいことしかないしね」
立ち止まってるのもなんだし、とチェーシャはコユキの背中を押してロンコージュの酒場へと潜り込んだ。
「うわぁ、まぶしい」
ドアを潜った瞬間、二人を鮮やかな明光が襲った。
まるで昼間かと錯覚するような光度である。
「うう、ん……おお」
ぎゅっと瞼を閉じていたコユキも、次第にその光に慣れて目を開ける。
「おおぉぉ」
「すごいでしょ」
そこに広がっていたのは、まさにコユキの思い描くファンタジーの酒場そのものだった。
大きな部屋の真ん中には、いくつもの丸テーブルが置かれ、鎧やローブを着込んだ人々が宴をあげていた。
壁際では無数のランタンが光を放ち、奥の大きな暖炉では落ち着いたオレンジ色のほのかな炎がゆれている。
グラスとジョッキの並ぶカウンターの奥には、物静かな細身の店主が目を伏せて食器を磨いている。
「いいねぇ、こういうの好き」
「案外コユキってこういうの好きだよねぇ」
どことなく荒々しい空気を感じる場所。
コユキはこういう場所に心をうたれる。
「ほら、二階が個室になってるから。行こうよ」
「――うん」
名残惜しそうに周囲を見渡してから、コユキは部屋の隅にある階段を駆け上った。