第6話 エルフの鍛冶師
「〈ウィークピック〉!」
『ぴぎゃっ』
鋭利な紅の刃が毛皮と肉を貫いた。
細長い切っ先が、ウサギの茶色い胸から生えている。
ウサギの上部に表示されていた細長い赤のバーが急速に減少し、ゼロになる。
小さな獣の体が、光の粒子となって砕け散った。
その場に転がるのは、一辺が十センチほどの青白いキューブ。ウサギの残したアイテム、ドロップアイテムだった。
チェーシャは細い短剣をしまうことなく、キューブを拾う。
ぐっと手に力を込めると、すぐにキューブが砕け、ログが流れた。
「げ、肉一つしかドロップしてないし」
ここはネラニの町の周囲に広がる草原、オルタナの丘というフィールドだった。
コユキに狩り集めた肉を渡した後、チェーシャは追加の食材を集めるため、すぐにここへ戻ってきていた。
最初の町の一番近くにあるフィールドだけあって、そこに住むラビットはゲーム内でも最弱のモンスターだった。スキル構成の主となる〈剣術〉スキルが、そろそろ三十の大台に乗ろうかという手前まで来ているチェーシャの手に掛かれば、通常攻撃の一撃でもしとめられる。
それでも、わざわざテクニックを使用しているのは、ただ単にテクニックごとに設定されている習熟度をあげる片手間にすぎない。
「えっと、これで三十個か」
インベントリを開いて、チェーシャはウサギの肉の数を確認する。
先ほど親友に渡した分と合わせて六十個。これだけあれば、十分だろう。
ラビットステーキは初心者でも作れる一方、高スキルでのレベル上げには適さない。
「もうワンランク上の敵かぁ。ヒツジでも狩ろうか」
コユキを誘うまで、次の町へは行かないとチェーシャは決めていた。
その分、オルタナの丘やその奥にあるレイラスの森といった、比較的町に近いフィールドは存分に遊び倒し、あらゆる情報を熟知している。
彼女は森と丘の狭間あたりに群れるヒツジのモンスターを思いだし、野原を蹴った。
「よし、いたいた」
小振りな茂みの陰に潜み、チェーシャは前方でのんびりと草を食む白いヒツジの群を見ていた。
ビーストとはいえ、ラピ族ほど隠蔽能力が高くないカト族のチェーシャは、こうして物陰から奇襲を仕掛けなければボーナスアタックが入らない。
野生動物特有の警戒心の高さに歯噛みしながらも、これも練習だと肝に銘じて彼女はじっくりと獲物を見定める。
ヒツジはおおよそ三から七匹程度の群で固まっている。
白いふわふわとした毛皮は、〈裁縫〉スキル持ちのプレイヤーに売ればいい値段になるため、チェーシャもよく金策のために狩っていた。
『めぇぇ』
穏やかな風が吹くなか、牧歌的な雰囲気が漂っていた。
遠くのほうでは、他のプレイヤーが剣を振るう音も聞こえるが、ヒツジが危機感を感じるほどでもなかった。
「――よしっ」
チェーシャは、茂みから一番近いメスのヒツジに視線を合わせた。
3、2、1――!
呼吸を整え、瞬時に身を翻す。
「はぁっ!」
姿勢を低く、疾走する。
メスヒツジはまだ彼女の赤い影には気づいていない。
「〈ウィークピック〉!」
腰に佩いた短剣を抜刀する。赤い刃が陽光にきらめいた。
――!
今更、ヒツジは驚いたように黒い顔をあげた。
周囲の仲間も異変に気づき、口を止める。
「ふっ」
『め゛っ』
濁った鳴き声が響く。
確かな手応えを感じ、チェーシャは刃を深く押し込む。
一瞬でバーは灰色に染まり、ヒツジは砕ける。
――まだッ
周囲を睨む。
『めぇぇええ!!』
怒る獣が、姿勢を整え蹄をこする。
『めぇっ』
一頭が猛然とこちらへ走り出す。
紙一重でそれを避けて、振り向きざまに切りかかる。
突進の勢いを殺さぬまま、赤いエフェクトが飛び散る。
『がっ』
数歩すすみ、そのまま地面へ倒れ込む。
「次――」
未だ闘志を絶やさない三頭のヒツジたち。
本来、チェーシャのスキル構成は対多数を想定したものではない。
どちらかといえば、タイマン。それも自分より強大なボスクラスのモンスターを相手取ることを考えている。幾重にも罠を張り、背後から敵の不意を狙う。
あまり人気があるとはいえないが、しかし根強い愛好家が一定数存在する、ある意味ではスタンダードなスキル構成の一つだ。
そんな彼女が持つ、数少ない範囲技。
ボス戦前の雑魚掃討を目的としてカスタマイズしたテクニックだが、このあたりの敵ならばそれでも十分な威力を誇る。
「〈スピンラッシュ〉」
赤い影が三頭の懐へ飛び込んだ。
野生動物すら反応に躊躇する速度で、チェーシャは地面を踏みしめる。
「はぁっ!」
紅の斬撃がヒツジたちをおそう。
赤いエフェクトが入り乱れ、バーをことごとく消し飛ばした。
飛び交うのは無数の刃。
一瞬後には、獣は地面に伏していた。
「ふぅ、すっきり!」
短剣を元の鞘に納めると、チェーシャは耳をピンと立てて白い歯をこぼした。
「ふぅ、完成!」
チェーシャが赤い風となってヒツジの乱獲に励んでいる頃。コユキもまた、ラビットステーキの量産に励んでいた。
そして、今ようやく、最後の一皿を完成させたところだった。
「結構レベル上がったけど、やっぱりもう経験値の量も渋くなってきてたね」
スキルの表示されたパネルを見ながら、彼女はふぅ、とため息をついた。
インベントリに収まるステーキの数は二十九皿。一皿は調子づいてきたときにフライパンをぶちまけて失敗してしまった。
さすがにこれだけの量を作り上げると、スキルレベルの方もそれなりに成長した。
スキルが成長すると、ゲージの伸びが早くなるらしく、後半に続くにつれて安定して作ることができる。
「それじゃあ、納品しに行きましょうかー」
くぅ、と大きく伸びをした後、コユキはキッチンを出た。
ドアの並ぶ二階の広間は、相変わらず多くの料理人でにぎわっている。
コユキは階段を降りて、カウンターに続く人の列の最後尾に並んだ。
「依頼の納品お願いします」
「かしこまりました。では納品アイテムをカウンターの上に実体化させてください」
受付の女性の指示通りに、彼女がインベントリを操作してラビットステーキを取り出す。女性はそれを真剣な目つきで審査したあと、にっこりと微笑んだ。
「依頼の品で間違いありません。お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
カウンターに載った三つの皿が光の粒子となり、代わりに彼女の懐に200Palが振り込まれた。
「あ、あの」
「はい、どうかなさいましたか?」
コユキが呼びとめると、女性はブロンドの髪を傾けた。
「あと二十四皿あるんですが、その――」
その言葉に得心がいったらしく、彼女は深く頷く。
「そうでしたか。では、一括であと八回分依頼の達成処理を行います」
「おお、ありがとうございます」
自由度の高さ、いや応用の利くNPCの対応に、コユキは感嘆した。
この依頼が、ギルド自身が出しているもの、という特性ゆえの厚意だったのだろう。
カウンターの上に追加で二十四皿のステーキを出していくと、さすがにスペースがないためか三皿ごとに消えていく。
そのたびに所持金が増え、結局コユキの懐には二千近いPalが舞い降りてきた。
「では、またのご利用お待ちしております」
すべての作業を終えて、コユキが立ち去ると、女性はそういって見送った。
コユキはギルドの館を出て、町の大通りを歩く。
その横顔は見るからに晴れやかで、頭頂部の白い耳もぴょこぴょこと軽快に踊っている。
露店の準備をしていた青年が、微笑ましい少女の歩く姿に知らず知らずなごんでいたのにも気付かない。
「お肉を焼くだけで一八〇〇Palかぁ。料理っておいしいね、二重の意味で」
そんなことを呟きながら、コユキは町中をふらりとさまよった。
――チェーシャちゃん、あの様子じゃまだまだ狩りしたりないみたいだし。ちょっと町の探検でもしてみよう。
本人の気を知ってか知らずか、温かい懐事情ににこにこと頬をゆるませながら、石畳の上をてくてくと歩く。
広場では、多くのプレイヤーが茣蓙をしいて露店を開いている。
水薬を売るもの、剣や槍を売るもの。既製品を売っているところがあれば、その場である程度の調整をしてから売り渡す防具屋なども並んでいる。
そんな数々の露店を、コユキはウィンドウショッピングとばかりにあっちへふらふら、こっちへふらふらと気の向くままにのぞき込んでいた。
「やあ、お嬢ちゃん。串肉食ってかないか?」
「ようよう、そんな安っぽい服なんか捨てようぜ。こっちにかわいいのがたくさんそろってるよ!」
「あらおちびちゃん。お姉さんがトクベツに調合したこのお薬、ほしくない?」
「ほーら、これはどんなに硬い物でも切り裂く剣! こっちはどんな攻撃も受け止める最強の盾だよ!」
「すっごい活気だなぁ」
「今ならこのポーチも付けてたったの三〇〇〇Palだ!」
周囲を取り巻く客寄せの声に、コユキの視線は定まらない。
彼女の質素な布の服とポシェットは初心者だと丸わかりであるらしく、方々から威勢のいい声が掛けられる。
「でも、どれも結構いいお値段するんだね……」
商品につけられた値札を一瞥して、彼女はがっくりと肩を落とす。
串焼き一つで五百Pal、シンプルなワンピース一着で九八〇Palと、なかなか手の出しづらい値段だった。
ついさっきまで喜んでいた報奨金が、ほんの雀の涙ほどだと知ってしまった。
「あわよくばなにか買おうかとも思ったんだけど。まあ、貯金が一番かなぁ」
そんなことを言っても、見るだけならタダである。
コユキは迫るくる勧誘を適当にいなしながら、店頭にならぶ数々のアイテムを物色し始めた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。ここはなにを売ってるんですか?」
広場の隅っこ、薄暗い路地の手前だった。
コユキと同年くらいの、青髪の少女が露店を広げていた。
並んでいるのは、様々な形の包丁、スプーン、フォーク。
「私はティミー。食器や調理器具を作ってるの」
肘や膝などの要所を革で補強された、作業着風の衣服を身につけた少女だった。
髪はチェーシャより少し長い。紺色の瞳。身長は高く、コユキよりも頭一つ分大きかった。
「鍛冶師さんなんですか」
「そういうことだね。でも武器は作ったことないんだ。生活雑貨だけ」
武器や防具の類しか並んでいなかった今までの露店を思い出して、コユキは改めてこのゲームの自由度の高さに驚いた。
「そんなものまで作れるんですねぇ」
「うん、ほんと何でも作れるんだよ。まあ、やっぱり一番売れるのは武器や防具なんだけどね」
そう言ってティミーは少し苦い顔でうつむいた。
薄暗い路地の前という立地もあるのだろうが、いかんせん需要と供給が釣り合っていないようだった。
武器や防具には耐久度というものが設定されていて、戦いに使用するごとに消耗していく。耐久度がゼロになると当然その装備は消滅してしまうため、鍛冶師にはそれらのメンテナンスという仕事もある。
しかし、包丁などの調理器具や生活雑貨は耐久度があっても軒並み高く設定されていて、そうそう壊れることはない。必然、それらを求める客の数は、武器や防具と比べ天と地ほどの差があった。
「なんで武器は作らないんですか?」
「あはは、それには深い事情があってだね」
コユキの感じた素朴な疑問に、ティミーは乾いた笑いを浮かべた。
彼女は、さっと自分の髪をかきあげる。
「私、エルフなんだよ」
そこには、細長い耳があった。
「エルフ、ですか」
なおも不思議そうな顔のウサギ娘に、ティミーはエルフ族の特徴について説明した。
「私みたいなエルフはね、金属製の武具を作れないの。そのかわり、非金属製の武具を作りやすいし、金属製でもこれみたいな日用品ならいくらでも作れるんだけどね」
ティミーはエルフの鍛冶師というキャラクターを目指してこのゲームを始めたという。
しかし、その目標に意識を取られすぎた結果、エルフは金属武器を作れないという致命的な問題を抱えたままになってしまった。
「そ、それは。なんというか、ご愁傷様です」
「あはは、いいんだよ。この外見結構作り込んじゃって、消すのももったいないんだよね。だから私はエルフの鍛冶師を貫くよ」
「はい、頑張ってください」
両手をぐっと握りしめ、コユキが応援すると、ティミーは照れくさそうに彼女の耳の間をなでた。
「あ、そうだ。わたしは料理人を目指してるんですけど、またいつか、お金が貯まったらここに包丁を買いに来てもいいですか?」
しばらくされるがままに撫でられていたコユキが、はっと思い出したように耳を立てる。
それを聞いたティミーはしばらく不思議そうに呆けた後、
「も、もちろん! 待ってるよ!」
満面に喜色を浮かべた。
彼女の撫でる力が一段と強くなる。
コユキはその後しばらくの間、ニコニコと頭を撫でるティミーのされるがままになっていた。