第5話 ラビットステーキ
あの後、周囲の温かい視線に気が付いた二人は、赤面してその場から立ち去った。
現在は広場の一角にあるベンチに二人並んで座っているが、いまだ顔はわずかに火照っている。
「こほん。えーっと、チェーシャちゃん」
「はいな」
気を紛らわせるためか一つ空咳をしてから、コユキは体ごとチェーシャに向き直った。
「わたしはこれから、もう一回ギルドに行って依頼を見てこようかと思うの」
「おっけー。それならあたしはフィールドに出てウサギとか狩ってくるよ。どうせ食材がないと料理もスキル上げできないでしょ」
「うん、ありがとう」
コユキが今後の予定について話すと、チェーシャも耳をピンと立てて快く応じる。
長年連れ添ってきた親友同士だからこその連携だった。
「それじゃあ、何かあったら連絡頂戴ね」
「うん、頑張っておいしい料理つくってね」
そう言い合って、二人は別々の方向へ進み始めた。
コユキは元来た道を引き返し、チェーシャは装備を整えるため銀行へ。
「チェーシャちゃんがいないと、とたんに人が多くなった気がするね……」
喧噪の絶えない賑やかな通りは、今思えばはっとするほどの人の大河である。
色とりどりの瞳や髪。多種多様な種族。大剣を背負っている戦士、長い杖を抱える魔術師。斧を持った木こり、大きなリュックサックを背負った行商人。一人として同じ背格好、職業の者はいなかった。
まるで鮮やかな果物籠である。
「……」
コユキは知らず、両の手でポシェットの紐をぎゅっと握りしめた。
寂しいなんて、気弱なことは言ってられないね――。
顔をあげた彼女のルビーの瞳には、確固たる決意が宿っていた。
「いらっしゃいませ」
「さっきぶりです」
変わらず扉のそばに立っている青年に挨拶して、コユキは掲示板のほうへつかつかと歩み寄った。
まずは右の掲示板――NPCからの依頼を吟味する。
掲示板は金属細工で装飾されたコルク板だ。そこに、葉書大のサイズの依頼用紙が無数に張り付けられている。難易度によって色が変わっているらしく、遠目から見るとまるでパッチワークのようだった。
〈ホーンラビットのステーキ五人前〉
〈ジュエルフルーツシャーベット一つ〉
〈レーズンブレッド六つ〉
……
依頼の内容は多岐に渡っていた。肉料理、魚料理。和食、洋食。ありとあらゆる分野の品目が要求されている。
「とりあえず、一番難易度の低いやつから受けた方がいいのかな」
一歩後ろに下がって、コユキは手頃なものを探し始める。
なにしろ元々の数が多い上、ひっきりなしに他のギルド員がやってきては依頼書をはがしていく。彼女の体はなかなか落ち着かなかった。
「あ、こんなのもあるんだね」
そんな中、コユキの目にふと飛び込んできた依頼書があった。
白い無地の用紙。
〈初心者支援ギルド依頼〉
上部の大きくそう書かれていた。
よくよく見てみると、同じような依頼用紙がそこここに散見された。
ものは試しと、一枚はがす。
〈初心者支援ギルド依頼〉
この依頼はギルドに入会したばかりの見習い料理人を対象とした依頼です。
依頼内容:ラビットステーキ三人前の納品
報酬:200Pal
対象:〈調理〉スキル10以下
「これはぴったりだね」
その依頼は、ギルド自身がコユキのような入会したばかりで右も左も分からないような初心者のために用意したものらしかった。
まさに、今のコユキには最適の依頼である。
コユキはそれを持って、橙色の看板の窓口へ向かった。
「いらっしゃいませ。こちらは依頼の受注窓口です」
「よろしくおねがいします」
窓口で対応していたのは、入会時の受付嬢とよく似た、しかしブロンドの髪を短く纏めた女性だった。ギルドの制服である青い服は変わらず、にこやかな微笑である。
コユキはカウンターに、持っていた白い依頼書を置いた。
受付嬢がそれを受け取り、確認する。
「〈初心者支援ギルド依頼:ラビットステーキ三人前納品〉の依頼でお間違いないでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
コユキが頷けば、女性は手元においていた大きな判を依頼書に押した。
「それでは、頑張ってください。料理道具や調味料は隣の緑の看板の受付で販売しております。キッチンは二階に完備してありますので、ご利用くださいませ」
「ありがとうございます」
コユキが判の押された依頼書を受け取ると、それは光の粒子となって消える。
代わりに、依頼を受注した旨を知らせるログが流れた。
軽く頭を下げて、窓口を離れる。
「とりあえず、道具を買わないと」
自分がまだなにも道具を持っていないことを思いだし、コユキは続けて用品店の窓口に並んだ。
その窓口にも、よく似た要旨の受付嬢が対応し、コユキは初心者用と銘打たれた鉄製のフライパンと、基本調味料セットというアイテムを購入した。調味料セットは、塩・胡椒・砂糖の入った小瓶だった。
「うああ、案外お財布にダメージ……」
早くも底の見える懐事情に、苦い顔になるコユキだった。
一通りの準備を終えて、コユキは町の外にいるチェーシャに連絡を入れた。
「はろー、チェーシャ」
『はろはろー、コユキ。どうしたの?』
「初心者用の依頼っていうのがあったから受けてみた。ラビットステーキ三人前の納品だって」
『おお、なら今からお肉持ってくよ。広場に集合でいいかな?』
「うん、ありがとうね」
短い会話のやりとりを終えて、通信が切れる。
コユキは自分の為に支援してくれる幼なじみに感謝しつつ、ギルドを出て広場へ向かった。
「あ、コユキ。おまたせー」
「全然、今来たとこだよ」
コユキが先ほどのベンチに座って数分。チェーシャが人混みの中からあらわれた。
彼女の赤い耳がうれしそうに、ピクピクと動いている。
「はいこれ、ウサギの肉だよ」
そういって、チェーシャがトレード画面を出した。
アイテムの窃盗や持ち逃げを防ぐため、このゲームではトレード画面を通じたやりとりでしか、アイテムの所有権を変更することはできない。
「おお、こんなに」
トレード画面に表示されたのは【ラビットミート】というアイテム名。そして、30個という数字だった。
自分が予想していたよりもはるかに多い数量に、コユキは赤い瞳を見開いた。
見ると、チェーシャはくすくすと薄く笑っている。
「ん~、あたしのスキル構成って、どっちかと言えば一対一のタイマン向けなんだけどね。でも、ラビットは町周辺にいくらでもいる雑魚中の雑魚だから、ウサギ肉くらいならすぐにたくさん集まるよ」
「うわぁ、ありがとうね!」
どんなもんだ、と言わんばかりに胸を反らす親友に、コユキはぴょこぴょことウサ耳を揺らした。今にも跳びはねんばかりの喜びようは、まるで本当のウサギのようである。
「それじゃあ、もうちょっと集めてくるから。依頼こなしてスキル上げがんばってね」
「うん! ありがとうね、大好きだよ」
「うひゅっ!? じゃ、じゃあ行ってくるーー!!」
赤髪の少女は顔まで真っ赤に染めて、溶けるようにして人混みの中に消える。
取り残されたコユキは、不思議そうに首をかしげた。
「やっぱり狩りとか好きなのかな。わたしも頑張っていっぱい料理作らないと!」
そうして、コユキはまたギルドへと戻っていった。
ギルドの二階は、無数のドアが並ぶ大きな一室になっていた。
赤い絨毯は変わらず、豪奢なシャンデリアも同様だ。四方の壁には小さな片開きのドアがいくつも並び、料理人風のプレイヤーたちがひっきりなしに出入りしている。
ドアの上部には、数字の書かれたプレートが掲げられていた。二階に常駐していたギルドの案内役は、プレートの数字が上がるごとに設備の質もよくなると説明した。
ただし、上位の設備を使うには使用料を支払う必要があり、一定以上の技量もなければならないと重ねられる。
ひとまず、コユキは〈1〉と書かれたドアをくぐる。
「おお、案外本格的」
そこは、石造りのキッチンだった。
竈が一つ、水瓶が一つ。それに小さな作業台があるだけの簡素なつくりだ。竈では小さな火がちろちろと揺れている。最下級の設備といえど、衛生状態は申し分ない。
部屋の奥には採光用らしい小さな格子窓が設けられていた。その外に広がるのは、落ち着いた雰囲気の赤レンガの街並みだった。
どうやら、このキッチンは独立した空間になっているらしく、他のプレイヤーが入ってくる心配はないようであった。
「それじゃあ早速、クッキン!」
人目がないのをいいことに、コユキの独り言は増えた。
インベントリを操作して、ウサギの肉を一つ実体化させる。淡い桜色の、新鮮な肉である。
「これって、塩コショウして焼くだけでいいのかな?」
基本調味料セットも取り出して、コユキはぱらぱらと軽く味付けをする。
用品店をのぞいても、下拵えに関するスクロールはなかった。スキルの対象外なのかもしれない。
「それじゃ、〈焼く〉発動!」
コユキの言葉に合わせて、テクニックが発動。
視界の下に半分ほど黄色に染まったゲージがあらわれ、徐々に減少していく。
さらに、ゲージの隣には徐々に減少するタイマー。のこりの時間は約30秒。
「こ、これはお肉を焼けばいいのかな!?」
まさかの時間制限付きという事態に焦りながらも、コユキは手際よく作業を進めていく。
竈にフライパンを置いて、そこにウサギ肉を投入すると、ジュッという音とともに白い湯気が上がった。
「おお、おいしそう」
備え付けの菜箸を使って、こんがりと焼き上げる。
日頃から祖母とともに家事をこなすコユキにとって、これくらいは造作もない。
ゲージが徐々に黄色で埋まっていく。これが染まりきれば、成功らしかった。
フライパンの上の肉の様子を見ながら、時折焦げないように少し位置をずらしていく。
数秒もしないうちにゲージが染まり、香ばしい香りが部屋中を満たした。
気が付けばフライパンの中身が空になり、代わりに作業台の上に白い皿に載ったラビットステーキが鎮座している。なぜか作った覚えのない付け合わせのブロッコリーが並んでいるのはご愛嬌というものだろう。
ご丁寧に、ナイフとフォークまで添えられている。
「これ、リアルだとぜったい火が通ってない時間なんだけど、大丈夫だよね?」
所要時間はおおよそ三十秒と少し。心配になったコユキはナイフとフォークを使って、断面をみる。
――よかった、ちゃんと中まで火が通ってる。
切れ目を開けば、ジュワリと肉汁が広がる。食欲をそそる香りだった。
名前もちゃんと〈ラビットステーキ〉だ。
「ふぅ、よかった」
ひとまず、初の料理が成功したことにコユキは胸をなで下ろした。
一連の作業で調理スキルもレベルが一つ上がったらしかった。
残るウサギ肉はあと29個。
「――よし、じゃんじゃん焼いちゃおう!」
コユキはぐっと力を入れ直して、インベントリからアイテムを取り出した。