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第11話 ブルー・ムーン

「――よっと」


 川底から力強く糸を引っ張る魚を勢いよく引き上げて、コユキはそのまま片手で尾の部分をつかんだ。

 丁度三十匹目のグラスフィッシュともなれば、その動作も慣れたものである。


「あ、エサ使い切っちゃった」


 見れば、足下に置いていた小瓶の中身が空になっていた。

 格闘の末、逃げられたことも一度や二度ではないから、五十回分くらいの量だろう。

 気がつけばオレンジ色の太陽も天頂に登り、時間的にも一区切りつく。


「おーい、チェーシャちゃーん」

「ん、どうしたの」


 遠くの方でウサギと戯れていた友人を呼ぶと、彼女はそれをさっくりと絞めて駆け寄ってきた。


「エサもなくなったし、そろそろ帰ろうかなって」

「ん~、そうだね。おなかも空いてきたし町に戻ろっか」


 そういう訳で、二人は帰路についた。


 草原に細長くのびる土道を歩く道すがら、チェーシャはふとコユキに顔を向ける。


「そういえば、スキルはどれくらい上がったの?」

「えーっとね……」


 コユキはシステムパネルを開いて、スキルリストを表示させた。


「〈釣り〉は14だね。〈採集〉は9で、〈生存〉は8レベル」

「案外上がったねぇ」

「でも〈釣り〉なんかはもう14レベルになってから全然経験値が入ってないよ」

「それはそうかもね」


 チェーシャは、グラスフィッシュの経験値制限に引っかかったのかもしれない、と言った。

 経験値制限とは、それぞれのモンスターなどに設定されているパラメータのことで、プレイヤーのスキルレベルがそれを越えると経験値が一切入らなくなってしまう。

 経験値は入らなくとも熟練度は多少加算されるため意味がないわけではないが、効率は著しく低下してしまうため、制限に引っかかってしまったプレイヤーはもう一段回強い敵と戦いに、フィールドを移動する。


 とっくの昔に経験値限界に引っかかってしまっているのに、未だにフィールド開拓を進めないチェーシャのようなプレイヤーは、相当な変わり者ということである。


「制限か。でもあのあたりの川じゃあグラスフィッシュしか釣れないんだよねぇ」

「だったら森でも行ってみる?」

「無理だよ。せめて〈生存〉のスキルがもうちょっと上がってからじゃないと」


 レベルが八になったとはいえ、まだまだコユキの〈擬態〉には疑わしいものがあった。

 釣りの合間にこまめに使用していた甲斐もあって、熟練度は多少上がったが、それでもまだ彼女自身が納得していない。


「わたし、がんばって透明人間目指すよ」

「それ、どれくらい時間掛かるの……」


 きらきらと目を輝かせる彼女に、チェーシャは思わず半目になった。




「あ、ちょっと待ってて」

「ん? おっけー」


 見上げるほどに高くそびえる防壁に穿たれた巨大な門。

 雑多な装いの人々が活発に出入りするそこで、コユキはチェーシャに待機を命じられた。


 コユキが壁の足下に背を預けると、チェーシャは小走りで門のそばの人影に近寄った。

 銀色の鎧を着た人だ。全身を分厚く覆う甲冑のせいで、顔だちは分からない。

 自分の背丈以上の太い槍を持っている。

 体格からして、彼女たちより一回りほど年上の男性くらいだろうか――。


 そんな見知らぬ人影と二三、言葉を交わした後、チェーシャはウサギから希にドロップするアイテム、〈ラビットファー〉を手渡した。


「ま、まさかチェーシャちゃん。どこの馬の骨とも分からないプレイヤーに絆されて貢いでるんじゃ!?」


 あわあわと落ち着きをなくすコユキ。

 耳の先がぱたぱたとはためく。


「そんなわけないよね。チェーシャちゃんが軟派男にやりこめられるはずないし。

 ――はっ、だとしたら……両思い……!?」


 まさかまさかと首を振る。

 しかし一度現れた疑念の影は、際限なく広がっていく。

 彼女の頭の中には、チェーシャがうっとりとした様子で男の腕に抱かれる姿がありありと浮かぶ。

 そんな、まさか。彼女の一番の親友で、彼女のことなら一番分かっていたはずなのに。


「でも、チェーシャちゃんの恋をじゃまするのは……」

「何をバカなこといってるの、このおしゃまウサギ」

「ふぇっ!?」


 顔まで真っ赤に染めて一人妄想の世界へ旅立たんとしていたコユキの頭を、いつの間にか近くまで来ていたチェーシャがぽかりとはたいた。


「あ、あれ? チェーシャちゃんの想い人は?」

「そんな人いないわよ」

「じゃああの、さっきの」

「あれはNPCよ。門番」


 コユキの口から、は、と息が抜ける。

 その後、ひとしきり顔を赤や青に染めてから、ぎゅっと眉をひそめた。

 まったく、これだからリアルすぎるNPCは。などと頬をリスのように膨らませている。

 完全な逆ギレだった。


「まったく、危うくわたしとチェーシャちゃんとの絆が壊れちゃうとこだったよ」

「そんなことであたしたちの絆は切れちゃうの?」

「え、あ。そんなことないよ!」


 ジト目のチェーシャに指摘され、コユキは慌てて弁解した。

 必死に両腕と両耳を振る彼女の様子に、チェーシャは堪えきれず吹き出した。


「ほんと、コユキはおもしろいねぇ」

「???」

「なんでもないよ」


 目元を拭って言う彼女の様子に、不思議そうにしながらもコユキはひとまず落ち着いた。


「それで、何してたの?」

「依頼を受けてたから、それの納品してたの」

「へぇ。ギルド以外でも依頼って受けられるんだねぇ」


 思わぬ事実に感心したコユキに、チェーシャは得意な顔でチッチッチと指を立てた。


「むしろギルドで受けられる依頼なんて一部も一部だよ。

 メインはこっち。町中に住んでるNPCと会話して、親密度を深めると頼まれる依頼! 量も種類も膨大で、一ヶ月くらい経った今でもまだ、ネラニの町の依頼ですら全部は解明されてないんだよ」

「へぇぇー」

「ちなみに、さっき受けてたのはウサギの毛皮三枚の納品ね。

 割と有名な依頼で、報酬に300Pal貰えるからふつうに毛皮を売るよりお得なんだ」

「それじゃあ、何回もその依頼受けてたらすぐお金貯まりそうだね」


 チェーシャは、困ったような笑顔になった。


「それがそうでもなくて。あの依頼はゲーム時間で一日一回しか受けられないんだ」

「そうなんだ……」

「まあ山ほど毛皮持ってこられても困っちゃうよね」


 変なとこでリアルなんだよねぇ、とチェーシャは肩を落とす。

 しかし、生来よりさっぱりとした性格の彼女である。

 一瞬後には背筋を伸ばし、晴れやかな表情になる。


「さ、それじゃあ用事も終わったし。お昼にしよっか」

「うん、そうしよっか」


 そうして、二人はようやく門をくぐった。


「そういえば、お昼はどこで食べるの?」


 FaiRonでは、時間経過と共に満腹度・潤喉度というステータスが減少する。

 これらが減ると空腹感や喉の渇きを覚え、さらに各種ステータスに悪影響を及ぼす為、定期的になにかしらの食品アイテムを摂る必要があった。


 そのため、ネラニのような町には、多くの飲食店が立ち並ぶ。また、〈調理〉や〈醸造〉といったスキルを鍛えた料理人たちも広場や大通りで露店を出していた。


「そうだね。それじゃあオススメの店を教えてしんぜよう!」


 気取った様子のチェーシャにコユキは、ははー、と頭を垂れた。

 なんだかんだで気の合う二人である。




「【ブルー・ムーン】?」

「うん。カフェなんだけど、ここのミートソーススパゲティがおいしくて人気なんだ」


 二人がやってきたのは、大通りから少し外れた場所にひっそりと立つ、落ち着いた雰囲気の店だった。

 周囲を背の高い建物に囲まれた薄暗い場所だが、ちらつく街頭が妙にマッチしている。

 小さな看板にはかすれた文字でブルー・ムーンと書かれ、曇ったガラスの向こうではおぼろげなランタンの炎が揺れていた。


「とりあえず、入ろっか」


 呆けたままのコユキの背中を押して、チェーシャは店内へと入っていった。

 店の内装もまた、外の様子からの予想を裏切らない質素なものだった。

 年季の入った太い梁や柱。壁には時代を感じさせる染みがいくつも付いていて、店中にはおいしそうな香りが充満している。

 いくつかのテーブル席とカウンター席がもうけられていて、数人のプレイヤーが思い思いの昼下がりを過ごしていた。


「――あれ?」


 そんな店内を見渡していたコユキが、不意に声を上げた。


「どうしたの?」


 怪訝な様子で声をかけるチェーシャにかまわず、コユキは突然歩き出す。

 彼女のルビーの目がとらえたのは、店の片隅にあるテーブル席に腰掛ける、青いショートカット。


「ティミー、さん?」

「……ほえ?」


 突然話しかけられたエルフ族の鍛冶師は、ミートソースを巻いたフォークを途中で止めて振り返った。

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