喧嘩の顛末
「くぁ…」
依頼がないと日がな一日体をソファへと横たえて怠惰に時間を過ごすことに人生の楽しみを見出しているロディではあるが、この日はそうもいかなかった。ひょんなことから…というにはあまりにも数奇な出会い方をした末に、彼女となった女性、イリーナから半ばたたき起こされるようにして夢から目を覚まさせられたからだ。
「…ロディ。寝てばっかりじゃない、いい加減起きて」
「五月蠅いなあ…仕事はないんだぜ、ったく…」
寝ぼけ眼で微かに寝癖の付いた髪をがしがしと乱雑にかき乱しながらぼやくように小さく反論する。とはいえ、その反論は彼女に何の感銘も与えず、むしろ火に油を注いでしまった結果に陥ったようで、あまり声は荒げないものの明らかに苛立ったイリーナに殆んど押し付けられるようにしてメモを一枚渡され、買い出しに行って来いと厳命されたのだ。彼女のその剣幕に喉まで出かかった「ここは俺の部屋なんだが」、という言い分を口にすることを断念して至極億劫そうに外へ出ていこうとする。何もすでに燃料を与えて燃え盛る火にこの上薪をくべる必要もないと判断して。
(…そういえば、学会での発表が近いんだっけかな)
普段なら寝ているロディに目くじらはさして立てず、むしろじゃれついてくる彼女ではあるが、山場に差し掛かってナーバスになっていたのだろう。そう考えるとさすがに悪い事をした気にもなりはするが、しょうもないプライドに邪魔されてその思いを口に出すのは何となくためらわれた。だから、代わりにまだ若干怒りの残滓をその態度に残る彼女を不意に抱き寄せて唇へと軽い口づけを落としてみる事にする。
「…行ってくる」
「…ん」
少しだけ表情を和らげてくれた彼女に小さく笑いかけつつ背を向け、軽く手を振りながら外へ出る。強くなり始めている直射日光に帽子の下で目を眇めつつ常からずっと着ている弾痕に接ぎだらけのコートを翻して大して暑くもなさそうに歩き出す。渡されたメモを見て書かれた物をのんびりと買い歩く。戻ってきたときには彼女の機嫌も直っているだろう。なら…そう、謝罪の代わりにリクエストを聞いて料理位はしてみるか。そう思って買ったものを抱えたまま微かに鼻歌を歌う。
「I hang tomorrow,I can’t see the sun…」
明るいとはお世辞にも言えないその曲をロディは何となく気に入って、ことあるごとに繰り返す。イリーナからは変な趣味、とからかう様に笑われることもあるのだがどうにも彼はやめられない。自分もそうなるのだろうと心のどこかで覚悟のようなものが決まってしまっているせいだろうか、やめられないのだ。その鼻歌を繰り返し歌う彼の前に巨漢が立ちはだかる。
「…悪いね兄さん、邪魔なんだが」
「あんたがロディ…ロディ・ザ・ジャグラーか?」
「人違いだね、他を当たんな」
「…しらばっくれんじゃねえぞ!」
胡散臭いものを見る目でロディは見つめるものの男はそれに気づかず、あるいは意図的に無視して問いを投げかける。確認するように自分の名を呼ぶ相手に至極つまらなさそうにはぐらかしてしまおうとロディは人違いを主張するも聞き入れられず逆に恫喝されてしまう。
(名前がちょっとは売れるのも考えもんか…)
目の前で仰々しく威勢を張る男を見ながら内心で嘆息してつまらなそうに男を見ていた顔をしかめさせる。そして得物は何かと視線を相手の腰にやった所で彼はさらにげんなりとさせられるものを見つける。SAA。これはまだいい。今ならほとんどスタンダードと言ってもいい銃だ。問題はその銃が金メッキの塗装にエングレーヴをごてごてに施された物だったかのだ。派手好みの奴が強かった例なぞ彼は一度も見たことがない。いきがりたいだけのバカか、さもなくば派手好みのバカか。その大仰な銃を眺めやりながら皮肉っぽく考え込む。
「…はあ、それで俺に何の用かね、若いの」
「あんたを決闘で殺れば俺の名が売れる。このバーニィ”サイドワインダー”クロス様の名がよ」
「イカす名前してるなあんた。…もっとも聞いたことないが。」
その台詞に呆れたような言葉を思わず溢してしまいながらも相手が腰に手をやるのを見て思考を切り替えて明確に目の前の男を敵として認識する。男…バーニィの体を見るのではなく遠くを見るようにしてバーニィ某の全身の動きを見逃さないように相手を観察する。東洋の剣術で言う所の「遠山の目付」というものだ。無論彼がそのことを知っているわけでもなく、「手品師」の異名を馳せる所以となった抜き打ちと同じく独学で身に着けた我流のものだが、その力は本物だ。
対して彼と対峙しているバーニィは名の知れたガンマン相手の大一番に抑えきれぬ興奮を浮かべていて今にも抜きそうになっている。冷静なロディとはどこまでも対照的であり、自分が絶対に負けないとでも思いこんでいる若者特有の無謀さに身を任せているのだろう…死ぬかもしれないというリスクなど考えもせずに。通りで唐突に起こった久々の決闘騒ぎに町の住人達もギャラリーと化して遠巻きに囲んでその様子を見守りだす。その片方がロディだと知ると賭けまで始める始末だ。
「張った張った!手品師と若いチャレンジャーの決闘だ!」
「ロディに!」
「俺もだ!」
「俺は大穴狙いで若いのに!」
「…ったく、人を競走馬かなんかだと勘違いしやがって。そら、先攻は譲ってやるぜ?ちったぁいいとこ見せたいだろ」
「クソ、舐めやがってロートル風情が…ッ!」
賭けの胴元をやろうとしている男のもとに集う声がロディにかけるものばかりで男は自尊心を痛く傷つけられたのか彼の児戯に等しい挑発にすらあっさりと頭に血を登らせてしまったようで装飾過多のそのSAAをドローイングする。しかしその動きはやはりというべきか、大言壮語に釣り合わぬのろのろとした速度でロディにはその一挙一動を完全に目視できるほどだった。
そのことに予期はしていたものの内心で呆れ、かつつまらなそうな表情をより深めながらも彼は手加減せずに上体をそらすようにしてライフルを引き抜き、そのままホルスターを台座代わりに回転させてレバーをコッキングし初弾を装填、ライフルであるというのに拳銃の相手よりはるかに勝る、まさに電光石火というにふさわしい速度で構え、引き金を引く。
弾は狙い通り相手の利き手に襲い掛かり、ようやく引き抜いてコッキングしようかという所で着弾し、銃をあさっての方向へと弾き飛ばす。バーニィが驚愕の、というよりは呆然としている間にロディは銃を回転させて揺蕩う硝煙を息で吹き消してからホルスターに収める。途端に湧き起こるギャラリーの歓声に未だ億劫そうにしながらも片手をあげて応えてから何事もなかったかのように歩き出そうとする。…しかし
「ッテメェ…待て!」
「あん?今なら手の事なら病院にかけこみゃ何とかなると思うぜ」
「クソ、化け物が…俺の調子が最高だったらテメェなんぞ今頃…」
「…ガキがナマ抜かしてんじゃねえよ。もっと腕が立つようになってからほざけ、間抜けが。オマエさんの脳みその風通しを良くしてやったって俺は一向に構わないんだぜ」
相手の捨て台詞めいた言葉に去ろうとした体を振り向けて、威圧と時間を取らされた割の歯ごたえのなさに苛立たしさを込めて応える。それだけ、たったそれだけで萎縮してしまい言葉に詰まって何も言えなくなった相手に最後に一度だけため息を吐いて今度こそ背を振り向け歩き出す。少ししたところで前方…すなわち家の方から見覚えのある顔がかけてくるのが見えた。
「買い物位一人でできるぞ、イリーナ?」
「そうじゃない、そうじゃないよ…だってロディが決闘、って…」
「もう終わったよ、怪我一つないさ」
怪訝そうにしながらも冗談めかしつつ問いかける彼に眉根を寄せて俯き加減に呟くイリーナに笑いかけて安心させるように囁きかけつつ彼女の華奢な体を抱き寄せて落着けさせる。
「そういう問題じゃない…」
何処かまだ不満げに、それでも無事な彼を見て安堵したせいか小さく呟いて軽く胸板を叩いてくる。出かける前までのいら立ちは心配の前に霧散したようでそのことに内心ロディは安堵し、決闘の最前まで考えていたことを口に出す。
「飯は俺が作る、何がいい?」
「…トマト煮、チキンの奴」
或いは彼女も彼の考えを読み取ったのかもしれない。俯いた唇は小さく弧を描いていた。了解、とだけ小さく返すと、イリーナが彼の手を取って腕を引くようにして来た道を戻り始める。今日の相手は至極退屈だった。だがいずれ自分を凌駕する敵手と巡り合うことは有るのだろうか。その結果命を落としたとしてもこれまでならそんな死に方に満足できるだろうと言いきれた。だが今は…
(…無理、かもしれんな)
彼の右手を取って歩く赤い髪の彼女を見下ろして、内心でそう判断する。きっとそうなったとき、なくであろう彼女を想像してみて…その考えを振り払う。少なくともその時はまだ来ていないのだ。今日を自分らしく生きる、それがロディの生き方であり主義なのだ。その時が来た時に考えよう、そう自己完結してトマト煮の具材を代わりに考え出しつつ、彼女に腕を引かれて家路についた。