#1-4
10月12日。10時15分。ヤマノ学院、三階教室。休み時間。
教室の隅で、数人の男女に囲まれている男子が一人。
「アステラくん、今日の夕方、暇?」
「ちょっと、ダメだよ、先に声かけたのはこっちなんだから」
「それよりアステラくん、今度の球技大会、頼むよ! へへ、期待してっから!」
ひっぱりだこ、である。
人の輪の中心で、その男子は涼しい顔をして皆の話を聞いていた。アステラ=スルガ。院内ではある意味、もっとも有名な男子である。
シェイランはその光景を横目に、次の授業に使うテキストをカバンから出している。
「こないだの全国模試で、一位だったんだってさ」
「そうなんだ」
シヅメもまた、机の上に腰掛けながら、遠巻きにアステラを見て言う。
「父親は有名な大学教授で、母親は地元の名士。家はチョーお金持ち。本人も文武両道。いくらなんでも出来過ぎ、みたいな」
「ふうん」
二物を与えられたもの。あるいは三物、四物を手にしたもの。すらりとした長身と甘いマスク、クールな雰囲気を漂わせるアステラの評価は、生徒だけでなく教員からも高い。
やがてアステラは小さく息を吐き、読んでいた文庫本を閉じて立ち上がった。人だかりに自然と通り道が出来る。
そのまますたすたと歩き出し、向かった先は――シェイランである。
「何」
素っ気なく答える。周囲の女子から疎ましげな視線が向けられた。シェイランは今まで彼の取り巻きに参加したこともなければ、会話を交わしたこともない。少なくとも関心はない。
それが、一体何の用だというのか。
アステラはしばらくの間じっとシェイランを見、そしてにこりと笑う。
「……別に?」
―――
「――と、まあ“戦争の歴史は技術革新の歴史”という解釈はそのもの間違っていないのですが、大昔の人々は戦争によって無駄な命を落としてきたわけです。今のようにこの世界が統一され、共存の道を歩むようになる前は、信じるものであったり、資源であったりを巡って争いがありました。殺し合ったのは人間同士でした」
「そして現在、我々は“あちら側の世界”との邂逅を迎えました。二つの世界の間の関係は比較的良好ですが、それでも輸入出税だったり資源だったりと、とかく細かい軋轢が絶えません。それを解決すべく提案された“政治交渉”の手段。……これね、じゃあキミ、答えて」
「――“代理戦争”です」
「ハイ、正解。人間同士による殺戮、貴重な土地を焼け野原にする愚行、これら過去の過ちを繰り返すことなく、異次元を通しての優れた転送技術とテクノロジーをもって行われる、高度なAI同士の戦争。すべてにおいてフェア。すべてにおいて平等。民の命を消費することなく、お互いの叡智をぶつけ合い、同時に技術も高め合う。これが今の我々なのです」
「じゃ、今日はここまで」
―――
同日。16時20分。放課後。下駄箱前。
「……まあ、トウカ大っていうのは決まってる。医学か薬学か生物工学か、どの方面の研究にするかはまだ迷っててさ。親父は何でもいいって言ってるんだけど」
「なるほど。アステラくん、将来考えてんだな!」
「どこかで決断しなきゃいけないってわかってるけど、ね」
「スゲーな! アステラくんならどこでも入れるって、絶対」
「買いかぶりすぎだよ」
涼しい顔で話すアステラに出くわす。周りにいる男子は数人。いかにも友達風の口調で喋っているが、実情はほとんどコバンザメのようなものだ。
「それよりさ、今度のミノザ女学園とのセッティングなんだけど」
取り巻きの一人、ダネモス=オーデが言う。
「ああ、今度の日曜日ね。一応、向こうの人間には声かけたから、頭数は揃うと思うけど。そっちはどう?」
「バッチリ!」
以下は、一方的にシヅメが話してくれたこと。
彼は取り巻きを制御する才能にも長けていた。適度な飴を与え、学院だけでなくその周囲にも影響力を増しているという。だがその一方で謎も多く、私生活はほとんど誰も知らない。トウカ大学の附属病院に出入りしているという話もあった。――らしい。
いずれにせよ、自分には関係のないことだとシェイランは切り捨て、家路を急ぐ。
――帰り道、いつもの横断歩道で、電柱にあった貼り紙が更新されていた。
“要注意人物 この顔を見かけたら 最寄りの警察署、交番まで”
白黒の、若い男の写真が貼られていた。一瞬ぎょっとしたが、ラムレアの顔ではない。もう少し年上で長髪の、目つきの悪い男の顔だった。
犬や猫が行方不明になっているのも、この男のせいだろうか。
―――
同日。同時刻。トウカ大学、薬学部校舎前。
ぶらぶらとキャンパス内を歩くラムレアは、向こうからやってくるユエルの姿を見た。
一目で様子がおかしいことに気付く。
「あ……」
ユエルは明らかにやつれていた。
「どうしたんです?」
近くのベンチにユエルを座らせた。自販機でペットボトルのお茶を二つ買い、一本を手渡す。ユエルはキャップも開けず、ボトルを握りしめたまま俯いている。
「私のせいかな」
「気にしすぎると毒ですよ」
「でも、少しでも早く行ってれば、イーシャは」
ユエルの友人であるイーシャが亡くなったらしい。
あの日、電話を聞いたユエルが夕方に家へと行った時、そこは既に無人だった。
彼女はすぐに警察に連絡して捜索を依頼した。だが家を出たイーシャが向かったのは、大学でも彼氏の家でもなく、マガリダ駅近くの踏切だった。
家に一枚のチラシが残されていたのを、ユエルが拾っていた。
「これ」
ユエルがラムレアに渡したチラシの裏には、蛍光ペンによる丸い字でこう書いてある。
“☆彡 新しい人生で 幸せをつかむ! ☆彡”
チラシの表面を見る。いつぞや、風に吹かれてラムレアの顔面に飛んできた、あの怪しい団体のものと同じだった。
「これ、警察には見せました?」
「届けてない。なんだか、嫌な予感がして。届けたほうがいいと思う?」
「どうでしょう。ボクにはなんとも言えませんが」
「……命って、そんな簡単に、捨てられるのかな」
ユエルは絞り出すようなか細い声で呟く。
「私だって今に満足してるわけじゃない。もし本当に自分で命を絶って、新しい人生なんて……やり直しなんて、でき――」
「駄目です。自ら命を絶つなんて、いけません」
珍しく真剣な面持ちで、ラムレアはユエルの言葉を遮った
それはユエルの言葉に対し、条件反射のように出た台詞だった。
「気を確かにして下さい。ユエルさん?」
自分でも、何故そう口をついたのかはわからない。
「うん。わかった。ごめん、ありがと」
シェイランといいユエルといい、ここ数日、色々なことがある。
―――
同日。21時47分。ラムレアのアパート。
“デザート・ファントム作戦 C拠点陥落 解放軍 逆転され 劣勢か”
ニュースに流れるテロップを見ながら、二人はソファに腰掛けていた。
解放軍。それは代理戦争における“こちら側の世界”の軍勢の名称だ。実際に何かを解放するというわけではない。便宜的に付けられた、この戦争におけるロールである。AIは全て女性型の人工生命体で、それらは“天使”という名称を付けられていた。
対する“あちら側の世界”は獣人軍という名称を持つ。その名の通りどれもが獣じみた格好をした兵士で、これもAIである。
戦闘は両世界での政治交渉代わりに行われ、“あちら側”でも“こちら側”でもない、中立の次元で実施される。
つまり、言ってしまえばこれは大掛かりなスポーツ、もしくは競技大会なのである。
「……」
相変わらず、シェイランの表情は優れない。
「チャンネル、変えます?」
「何でもいいよ」
リモコンを拾い、選局ボタンを何度か押す。ドラマ。ニュース。バラエティ。移り変わるテレビ。そして、今まさに“代理戦争”の中継を行っている専用の局に切り替わる。
思わず、ボタンを押す手が止まった。
そこには――。