#1-3
10月10日。19時5分。
マガリダ駅前から少し離れた踏切。その近くにある跨線橋の上。
警察や消防、救急など、多くの緊急車両が踏切の傍に集まっている。
どうも、人身事故があったらしい。
「またですか。怖いですねえ、シーちゃん。――シーちゃん?」
クリニックを出てからというもの、シェイランは黙ったまま、地面に視線を向けるように俯きながら歩いていた。夕方のそれから、様子は明らかに悪化している。
ラムレアは軽くため息をつき、立ち止まって事故現場を見る。赤いサイレンが絶えず明滅し、現場には人だかりが出来ていた。飛び込みのようだ。
最近は珍しくもない。ラムレアが覚えている限り、この踏切だけでもう十回は越している。
ふと横を見ると、シェイランの姿が無い。
左右を見渡すと、跨線橋の手摺の上にシェイランが立っていた。
「わ、わ、わ」
すぐ下は線路。電車が来ていないとはいえ、落ちればただでは済まない高さにある。だがシェイランは絶妙なバランスでしっかりと立ち、無言で事故現場をじっと見据えていた。
風が吹き、シェイランのスカートがふわりとめくれ上がる。水色。
「わわ、危ないですって。シーちゃん」
ラムレアの呼びかけにも答えず、シェイランは事故現場を見続ける。そして。
「レーメ、あれ、見える?」
指差す方を見る。ブルーシートをかけられた――おそらく遺体だろう――が、救急隊員? によって救急車に運ばれていく。救急車には“トウカ大学附属病院”の文字。
「あれが、どうかしたんですか?」
ラムレアが聞き返すと、シェイランは手摺の上に立ったまま視線をこちらに向ける。何かを伝えたげに視線をうつろわせながら、口を開きかけ、そしてまた閉じた。
それを数秒の間、何度か繰り返す。
突然シェイランの動きが止まり、数回、我に返ったように目を瞬かせた。
「――何言おうとしてたんだっけ」
手摺からひらりと降り、シェイランは大きく深呼吸をし、その場に座り込んだ。
「やっぱり、あたし、何か、変」
「シーちゃん。今日は帰りましょう。寒くなってきたし、今夜は温かい雑炊でも食べましょうか」
「レーメ。ごめん。でも、あたし」
「落ち着いてからでいいですよ」
―――
時は少し前。18時40分。ヴェクト・クリニック診察室。
「ちょ、ちょ、ちょっと、落ち着いて下さい、シーちゃん」
「ねえ、ドクター。答えて。あたし達は何の病気なの? この薬は何の薬なの? 飲まないとどうなるの!? ねえ!」
顔を真っ赤にし、感情を露わにしてヴェクトに食い掛かるシェイランを、ラムレアが必死に抑える。
「ハイ、わかったヨ、わかったから、まず落ち着くネ、シェイランちゃん」
「落ち着けないッ! 一昨日、気付いたの。気付いちゃったの。今の、この身体が、あたしの本当の身体じゃないって。この記憶も、何か違うって! あたしの中に、今のあたしのものじゃない“前の記憶”があるって! たまに感じる違和感も、全部そのせいだって! ドクター、知ってるんでしょ!? あたし達が本当は何者かって、本当は知ってるんでしょ!」
シェイランは堰を切ったように口走る。息を荒げたのが障ったのか、激しく咳き込み、浅い呼吸を繰り返す。
「ね、ね? ほら、身体、障るヨ」
「げほっ……けほっ」
ヴェクトはシェイランの肩に手をかけ、ゆっくりと診療椅子に座らせる。
「すみません、ドクター。突然」
「あー。まあ、その、つまりね、そのね、詳しくは言えないんだけどね」
「やっぱり!」
「まあまあ」
再び立ち上がろうとするシェイランを、ラムレアが諌める。
「……その、あれネ。とにかく、君達にはこの薬が必要で、それがないと僕もその身体がどうなるかワカンないネ。一週間に一回来てもらってるのは、単に健康チェック。ホントに、それ以外の他意はナシ。これ事実ヨ」
ヴェクトは両手で“降参”のポーズを取り、つとめて平静に言う。
診察室に沈黙が流れる。
「頭痛い」
シェイランが頭を抱え、再び俯いた。
「ほらネ。無理するの、よくないネ。水、飲むか?」
隣にいた看護師が紙コップ(どうみても検尿用だ)に水を注ぎ、手渡す。シェイランはそれをひったくり、一度に飲み干した。
「ドクター。この頭痛って、大丈夫なんですか?」
「あー、うん」
ラムレアが訊ねようとすると、ヴェクトは目を細め、その場に固まっていた。
「ドクター?」
「あー、うー」
ヴェクトが二度、呻く。
「ちょっと、席外すヨロシ?」
近くの看護師に声をかける。看護師は無言で退出する。
「――“一週間”ネ」
突如、ヴェクトが人差し指を立てる。
「シェイランちゃん。いいコト? 一週間経って、“今言ったことを覚えてる”ようなら――その時、また、僕に話すヨロシ」
ヴェクトはそう告げ、診療を終えた。
必ず薬は飲み続けるように。それだけ、念を押して。
わけがわからない。
―――
同日、19時20分。ヴェクト・クリニック診察室。
暗い部屋の中、診察席の灯りだけを付けながら、ヴェクトは二人のカルテを確認する。
ペンでいくつかの欄に書き込みをした後、カルテを机に置いて深くため息をつく。
「やっぱり、ちょっと無理があったみたいヨ。……一体、どうするつもりネ?」
―――
同日。20時45分。
洗いものをするラムレアの後ろで、シェイランはテーブルに突っ伏したまま動かない。一時は取り乱した彼女も、今は落ち着いたようで、ラムレアの作った卵雑炊をあっという間に平らげてしまった。
「はい、薬」
いつものように、二人分のカプセルと水をテーブルに置く。
シェイランはじっとそれを見つめる。
「薬」
赤と青のカプセル。毎食一錠ずつ。食後なるべく三十分以内に服用すること。二人に十日分、薬局も通さず、それはヴェクトの手から直接渡される。
「飲まないんです?」
「これが何かも、わからないのに?」
「でもシーちゃん、今日の昼まで、これ飲んでたんですよ、ボク達」
カプセルを服用し、水で流し込む。シェイランはしばらく固まっていたが、やがて意を決したようにカプセルを飲んだ。
ドクターの前で癇癪じみて暴れたシェイランであったが、吐き出された言葉はいつもの妄想癖というには具体的に過ぎる気がした。“今の身体は本当の身体じゃない”“記憶に違和感がある”“本当の記憶がどこかにある”。彼女は一体何が“わかった”というのか。
そしてドクターも、何かを隠していた。
小さく息を吐く。色々と言いたいことはあるが、まずはシェイランのことが心配だ。残りの洗いものを片付け、ラムレアがソファに座る。机の上に二人分のアイスを置く。チョコ味と、イチゴ味。
「落ち着きました?」
「……」
シェイランは自らの掌を見つめ、何度か握ったり開いたりする。“本当の身体じゃない”。その違和感はどこから来るのか。いつもの元気はなく、表情はどこか不安げだ。
以前からシェイランは“レーメとは前世から結ばれてるような気がする”と言っていた。
「シーちゃん。自分の中の“前の記憶”があるって、さっき言ってましたよね」
「ん……」
肯定とも否定ともつかない生返事。本人もだいぶ混乱しているのだろう。
例えば、それは――。
「もし、それが戻ったとしたら、ボクのことも、見方が変わったりします?」
なんとなく、ラムレアはそう聞いた。
すると彼女は顔を上げ、こちらをじっと見つめた。
ラムレアも目を逸らすことなく、視線を返す。
シェイランはイチゴ味のアイスを取り、ラムレアの膝の上に座る。
「ううん。そんなこと、ない」
そして背中を預けるように密着し、答えた。暖かな体温が伝わってくる。
シェイランはスプーンでアイスをすくうと、ラムレアに半分を食べさせ、もう半分を自分の口にゆっくりと運ぶ。つ、とスプーンから唾液が細く糸を引く。
「どんなことがあっても、レーメは、あたしのレーメだから」
彼女の答えに、ラムレアは安堵し、唇を塞いで返す。
「あ……」
「それなら、シーちゃんだって、何があってもボクの知るシーちゃんですよ」
「うん。そう……だね。ありがと、レーメ」
もう一度、口づけを交わす。
何が何だかわからないのに変わりはないが、ひとますは落ち着いたようだ。
ひとまずは。