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死んでも死に切れない(不本意で)

生きる意味を全て失くした。

だったらもう、この世界に居る意味も無い。


冷厳に輝く満月が冷ややかに廃墟ビルの屋上を照らし出す。

鉄柵の外側に立って遥か遠くでキラキラと輝く街を眺めていると、郷愁のようなものを強く感じた。

それはきっと、この世界に別れを告げることに対する切なさ。

そうだとしても、この行為を止めることは決してしないけれど。

「何してんの、そんなとこで?」

軽快な男の声が聞こえる。

此処に誰もいないのは確認した筈なのに、いつの間にか人が入り込んでいたことに苛立つ。

選りに選って自殺する姿を見られる羽目になるかもしれないのだから。

最後くらいはひっそりと死にたい。

誰にも見られず、看取られず。

「……自殺。何かしらの事件の目撃者になりたくないなら、早く此処から出て行って」

「目撃者かあ。俺はなったことないな。何時も加害者の方だから」

「はあ?何言ってるの?」

言うに事欠いて加害者。

目撃者どころの話ではなく、こいつは自分を加害者と称したのか。

こんな状況でも呑気にヘラヘラと笑っている、薄闇の中でも分かる目鼻立ちの整った顔に刹那の恐怖を覚える。

この男からは嫌な感じしかしない。

何やら面倒臭いことに巻き込まれる前に、さっさと死んだ方が得策かもしれない。

「そう。なら別に目撃者になるくらいはどうでもいいよね。それじゃあね、加害者さん」

「あっ、ちょっと待って」

「うぐっ、」

鉄柵の上からコンクリートの地面に向けて、空中に身を踊らせようとした途端に首を締め付けられる。

どんなに足が速いんだと突っ込みたくなるが、一瞬のうちに背後まで迫っていた加害者が襟を掴んで身を投げ出すのを止めていた。

首が締め付けられたのはこの所為。

「何するのよ!」

「ねえ、何で自殺しようとするの?」

「はあ?」

「俺が殺した奴等はさ、全員が殺さないでくれって泣き喚いて命乞いをしてきたのに、君はその大事な命を簡単に捨てようとしている」

死に逝く者を冒涜する、小馬鹿にするような声に眉を顰めつつ振り向いて、男を見た瞬間に固まった。

日本人の大半が持つと言われているブラウンの瞳には、感情の欠片も浮かんでいない。

脱色したのであろう金色の髪は、夜風に靡いてサラサラと揺れている。

この男は殺人鬼なのだろうか。

人の心を持ち得ない、人形のように綺麗な殺人鬼。

退廃した空気を纏う、心無き死神。

「それが俺には不思議でたまらない。自ら命を絶とうとする奴も入れば、殺されかけながらも生きようとみっともなく足掻く奴も居る」

心の底から不思議そうな声はあどけなくて、迷子になった幼子のようにも思えてしまう。

一つ溜息をついて、自分がついこの前に起こってしまった事で悟った、自分だけの真理を男に告げる。

「…そうやって足掻く人は生きる意味があるからよ」

「生きる意味?」

「そう。死のうとする人は生きる意味を、この世界に居る意味を見出せなくて死を選ぶ。生きようとする人は、まだこの世界に居る意味があるから生を選ぶ。とても簡単なことなのよ」

「ふーん」

納得したようなしていないような、ひどく曖昧な声を上げる男にもう一度溜息をつきたい気持ちを抑えて、襟を掴んでいる手を振り払った。

「あ」

「それじゃあ、もういいでしょう。じゃあね、殺人鬼さん」

最期の最期で大分可笑しな奴に会ったけど、これから大好きな家族に会えるのだから気にしない。

そう思いつつ口元に小さく笑みを浮かべて、今度こそ宙に身を躍らす。

「グレードアップしてるね、俺の呼び方」

「え?…何してるのよ!」

長い黒髪を浚っていく強い風に目を閉じていると、横合いから響いたこれまた呑気な声に目を見開いた。

ちゃんと襟を掴んでいた手は振り払ったから、諸共に落ちてしまうことは無いのに。

何故この男は、共に落ちているのだろう。

完全に停止してしまった思考では答えに辿り着かない。

「落ちるのは久し振りだなあ。随分前に警察から逃げる時にやって以来だっけ?」

「何ヘラヘラしているのよ!このままじゃ、貴方は死ぬのよ!」

自殺場所に選んだ廃墟ビルは結構な高さだから、滞空時間は大分長い。

それはイコールで落ちたらただじゃ済まないことを表している。

確実に死ねる高さの廃墟を探したのだから当然だが。

要するに、この男は私と共に死ぬということで。

「うーん、君と一緒に飛んでみれば、君の生死に対する倫理観とか真理が手に入って面白いんじゃないかと思ったんだけど」

「そんなの無理に決まっているでしょう!頭悪いの!それに貴方は貴方なんだから、私の倫理観なんて受け入れなくていいのよ!というか、面白いと感じる前に落ちて死んでいるわよ!」

「……俺は俺かあ。君は面白いことを言うんだね。なら、決めた」

最後の言葉を綺麗さっぱり全て無視した男は先程までの退廃した空気が一気に霧散して、ブラウンの瞳は異様に爛々と輝きながら生気と喜色に溢れ返っている。

本来なら喜ばしい筈のそれに、嫌な予感に背中に冷や汗が伝う。

「よいしょっと。しっかり掴まってよね」

「何しているの!」

「ほら、口を閉じないと舌を噛んじゃうよ」

「むぐっ、」

唐突に手足を取られて腕の中に抱き締められたかと思うと、下顎を思い切り押し上げられて無理矢理口を閉じさせられる。

呻き声を上げたのだが、それを一切気にすることなく懐から何かを取り出した男は、それは真後ろにある廃墟ビルの窓枠に引っ掛けた。

その際、僅か三秒。

「これで良し」

「むむぐっ、むぐむぐぐ!」(何がっ、良しなのよ!)

「うーん、何て言っているか分からないなあ」

「むぐむぐむぐむぐむっ!」(なら外しなさいよっ!)

「ははははは!」

「むぐむぐむっ!」(馬鹿でしょっ!)

声にならない呻き声と男の笑い声が闇の中に響き渡る。

もうそろそろ地面に激突するだろうと、死の予感に目を閉じる。

「うぎゃっ、」

「可愛くない声だなあ」

「…随分と酷い言い様ね。………それよりも、なんで私たちはぶら下がっているの」

男の腕によって下腹部にかかった重圧にまた呻き声を漏らすと、何故か宙ぶらりん状態になっていた。

疑いの目で男に疑問をぶつける。

男の腕から伸びている黒い糸を見れば、ある程度の理由は分かるが。

「見て分かるだろう?鉤爪に頑丈なロープを取り付けたものを窓枠に引っ掛けて、落ちるのを防いでいるんだよ」

「腕力が半端ないわね」

「君の体重が重かったら大変だったけど、思った以上に軽いというか、軽過ぎて大丈夫って心配になる」

まさかここで真顔で体重の話をされるとは思わなくて、固まったのは仕方のないことだろう。

そうだと思いたい。

「……確かに平均よりは軽いかもしれないけれど、心配されるほどでは無いわ」

「そっか、なら良かった。さてと、降りるよ」

「その方が良さそうね」

いつまでも宙ぶらりん状態は避けたいところ。

グラグラと風に煽られて揺れるのは気持ち悪いし、此処を通りかかる人は少ないかもしれないが、もしも居たとすれば大きな騒ぎになって根掘り葉掘り聞かれるのがおちだ。

色々とあり過ぎた所為で、死ぬのは明日でもいいかな、という気持ちになりつつあるのは気が付かないことにしておく。

「よっ、と」

「あー何か気分悪い」

「だろうね。少ない時間とは言え、宙ぶらりん状態だったんだから酔って当然だよ」

「それならどうして貴方は平気なのよ?」

「慣れてるから」

爽やかな笑顔が嘘臭く見えて仕方がない。

かなりの気分の悪さを持て余しながら、音を立てないように立ち上がって身を翻す。

男が鉤爪についた頑丈なロープとやらをくるくると巻いている間にさっさと逃げた方が良さそうだ。

予想が間違っていなければ、この男は殺人鬼。

しかもかなりヤバイ部類の。

死にたいとは思っていたが、ぐっさりとやられるのは辞退したい。

殺人だと思われたらテレビ放送とかされかねないし、両親に更紗のことも放送されるかもしれない。

大切な思い出を大衆に見せるなんて嫌だし、穢されたくなんてない。

「何で逃げているのかなあ?」

「…だからなんでそんなに足が速いのよ!」

本当に何故そんなに足が速いのだろう。

非常に不思議でしかない。

「うん?人を殺すには身体能力が高くないとやってられないからね。殺すにも警察から逃げるにも」

「生々しい話をしないでいただけるかしら、殺人鬼さん?」

「その殺人鬼さんって呼び方は?」

「今までの話を聞いたらそうとしか思えないから、呼称にしたのよ」

「へー、正解だね」

ヘラヘラヘラヘラと笑い続けている整った顔を殴りたい。

下調べして立てた計画も潰れたしなんだか凄く疲れたし、何でこんなのに捕まってしまったんだろうと心底思う。

「もういいでしょう。さようなら」

「だから、さようならなんてしないってば」

強く握られた腕を振り払おうとしても振り払えない。

余りにも強く握られ過ぎた所為で腕がミシミシと悲鳴のような音を立てているのが分かる。

「い、たい…」

「痛い?痛いよね?これが生きている痛みだよ」

「何が、したいの?」

「君を生かしたい」

ただただ真っ直ぐで、それなのに何処か歪んでしまっている瞳が貫くように見据えてくる。

痛みを感じていた筈の腕は痺れ始めて、男が言った“生きている痛み”とやらを感じ取れなくなっている。

「俺は俺だと言ったのは君が初めてだし、殺人鬼だと気付いたにも拘らず俺に恐怖や畏怖の目を向ける訳でもなければ媚びる訳でもなく、呆れた目を向けてくる人間は初めてだ」

恍惚とした、陶然とした瞳。

弧を描く唇は愛にも似た呪いの言葉を紡ぎ続ける。

「だから、君には死んで欲しくないかな。どうせ捨てる命なんだろう?だったらさ、俺にチョウダイ」

耳元に寄せられた唇から吹き込まれた言葉の意味を理解する前に、首に軽い衝撃が走って意識は闇に沈む。

「楽しみだな」

愉快そうな声だけが耳に残った。


これが、自殺しようとした私、紗綾とイかれた殺人鬼、三国の出会いと始まり。

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