第6節
誤解と思い込み
留学生であるニャンニャンにも、ようやく聖麗高校の制服が届いた。
チャイナ服からブレザーの制服姿に替えた少女に、また一段と男女生徒達が騒いだ。
さすがに、その頃になると、何人かの生徒が、放課後の化学室内の様子に気が付いていた。話題の中国娘が、変態オタクとして有名な科学部長と、放課後になると二人っきりでいるらしいという噂が、次第に広まって行った。
「そんなバカな!我が聖麗高校永遠のアイドル、純真可憐な、あのニャンニャンちゃんと、あの変態オタク集団のリーダー、下劣な捺差内幸司が二人っきりでいるなどと、信じられない!誰だ?そんな、デマを流すのは!?えーいッ、デマだ!それは、デマに違いない!!」
と、口から泡を飛ばして喚いたのは、「ニャンニャンを、汚れた日本社会から守る会」の会長をもって任じている男子生徒だった。
彼に言わせると、科学部長の捺差内幸司は「悪しき日本社会の底辺に蠢く汚泥」であり、「いびつな欲望の権化」ということだった。
だが、その「ニャンニャンを(以下略)」の会長も、度重なる会員からの突き上げに、応じないわけには行かなくなった。やむなく、ある日の昼休み、彼は食堂でサンドイッチを頬張るニャンニャンに、まことに言い難そうに、とても遠回しに、噂の真偽を尋ねた。
「うん、そうあるよ、私、科学部長と放課後、一緒あるね。捺差内と一緒に、打倒生徒会している、あるよ!」
彼の質問に、ニャンニャン本人は、いとも明るくあっさりと、その事実を認めた。
可愛そうに「ニャンニャンを(以下略)」の会長は、そのまま、口から泡を吹いて、後ろへブッ倒れてしまった。この時をもって、「ニャンニャンを(以下略)」というはた迷惑な名前を持つ会は、自動的に解散してしまった。
しかし、だからと言って、この中国娘の人気が衰えたわけではなかった。むしろ、彼女に対する好意は、その純情を一方的に踏みにじったと、勝手に思われた捺差内に対して、敵意と憎悪となって無差別に向けられた。
結果として、以前から、万人に好かれる傾向のなかった科学部長は、さらに謂れの無い迫害を受けることとなった。彼は、ニャンニャン・ファンの男子生徒からも女子生徒からも、徹底的に無視された。それどころか、足を引っかけられたり、後ろから押されたり、文字通り踏んだり蹴ったりの目に遭わされた。
しかし、どーいうわけか、捺差内は、これらをすべて、彩香及び生徒会の陰険な嫌がらせと考え、その打倒の炎をさらに燃え上がらせていた。
「見ていろ、荒神彩香!見ていろ、生徒会!お前達の悪行に、正義の鉄槌を下さん!!イテッ……」
「どうした、あるか?生傷が、絶えないあるネ!?」
拳を振り上げる捺差内に、ニャンニャンは小首を傾げた。
彼女は、生傷の絶えない部長を、化学室の過酸化水素水、つまりオキシドールで消毒してやることが、今や日課になっていた。
捺差内は、ピンセットで挟んだ脱脂綿で熱心に薬品を付けてくれる、そんな少女のためにも、虚勢を張らなくてはならなかった。
「生徒会の陰険な陰謀のせいさ!だが、こんなことでくじけるものか!!だが、これ以上、君に迷惑はかけられない。恐ければ、いつでも辞めていいんだよ……」
「ニャンニャン、辞めないある。必ず、一緒に打倒生徒会するあるネ!」
そう言って、明るく微笑むニャンニャンを、捺差内は思わずヒシッと抱きしめた。
女性に疎く、臆病な彼としては、異例に大胆な行動だったが、それを忘れるほど、生徒会と敵対する感情が高ぶっていたのだろう。ニャンニャンは、抵抗しなかったが、心の中で舌を出していた。
『マックス。この人、利用するの、少々気が引けるあるよ……』
『そうですね、いい意味でも、悪い意味でも、今時珍しいほど、純情な人ですね』
自分が何をしているのか、遅まきながら気付いた捺差内は、少女がそんな話をしていることなどまったく、気が付いてはいなかった。そして彼は、顔を赤らめるとそそくさと、新しい機材の組み立てを始めるのだった。
ニャンニャンは、そんな科学部長の膝元に座って図面を広げると、必要な指示を出した。二人の視線が、狭く薄暗い部屋の中で絡まり、お互いに微笑んだ。
回路を焼き付ける捺差内の指先に、思わず力が篭っていた。
「誤解と思い込みが、一方的に事態を押し進めているわけですか?生徒会としては、迷惑この上ない話ですね」
一方的に意気が上がる科学部長と、そんな科学部長をこれもまた、一方的に虐待する一般生徒。その大元締めが、我が生徒会と決めつけられていることを聞いて、ようやく復帰した書記長は、嫌味を込めてそう言った。
そんな頼りになる書記長の言葉に、これも一方的に嫌味を言われた形の彩香は、苦笑いするしかなかった。
「そんなこと言っても、こんなになるなんて、思いもしなかったのですもの」
「別に、生徒会長のせいだとは、言っていませんよ。でも、放課後、男女が二人っきりで、密室に閉じ篭るというのは、感心しませんね」
「あら、私は、先生と二人っきりになりたいわ」
彩香の返事に、この生徒会の運営になくてはならない上級生は、頭を掻いた。
実際、この生徒会長がいながら、この学校の風紀が世間並以上に乱れないのは、もはや、奇跡と言っても良かった。
「ともかく、問題がこれ以上こじれない内に、あの二人に注意していただくのは、会長のお務めだと思いますが?」
書記長にそう言われれば、彩香としても反論のしようがなかった。この生徒会において、何より正しいのは、この書記長の意見ということに決まっていた。
彩香は、渋々、二人に会いに行ったが、自分が親友と公言する京子を巻添えにすることを、忘れなかった。
「何で私が!?」
と、叫ぶ京子を引きずるようにして、彩香は化学室に向かった。