第4節
科学部長の反逆
聖麗高校の科学部長、捺差内幸司〈おさない・こうじ〉は、その日の放課後、出席したくもない生徒会の役員会に出席していた。
それは、秋の文化祭の部屋割りについてのためだった。誰かが出席しない限り、彼の科学部は、文化祭で展示する場所を確保できないことになっていた。
別に捺差内は、なりたくて部長になったわけではなかった。去年の文化祭が終わった後、くじ引きに負けて以来、彼はこういう時のためだけの、面倒な部長という肩書を押し付けられたのだった。
意外に広い生徒会の役員室には、テーブルを挟んで、捺差内の他に生徒会長の荒神彩香以下、生徒会の役員が全員並んでいた。ただ、副会長の柳京子だけは、行儀悪く部屋の窓枠に座って、リンゴをかじっていた。
「従って、クラブの活動内容等を顧慮した結果、科学部は校庭内に設けられる展示ブースの一角が与えられます」
下級生の役員の発表に、科学部長は顔色を変えた。
「待って下さい。科学部は、毎年、化学室を発表会場に使用してきました。何で今年だけ、化学室が使えないんですか?」
「科学部長。あなたの言い分はわからないではないけど、今年は調理設備を必要とする団体が、八つもあります。調理室以外で、ガス器具が使用できるのは、化学室しかありません。それに、今回、科学部が展示を予定している企画では、化学室の設備は特に必要ないでしょう?」
役員の言葉に、捺差内は、一瞬言葉に詰まった。
確かに、自分達がやろうとしていることに、化学室の設備は必要がない。だが、それは、白昼堂々と、校庭に展示できるようなシロモノでもなかった。
捺差内は、必死に喰い下がった。
「いや、化学室は必要なんだ。化学室でないと、展示発表が出来ないんだ!そもそも、プラズマ・ディスプレイ用のレーザー発振器と、増幅用のモジュールを、アッパー回線で繋いで……」
捺差内の専門用語を並べ立てる説明に、役員達は顔を見合わせた。
生徒会長である彩香は、表情を変えなかった。だが、手慣れた調整役である書記長を欠くために、審議がだらだらと続くことに、いいかげん嫌気が差していた。
さらに、彩香に無理矢理連れてこられた形の京子に至っては、既に忍耐の限界を超えていた。精神安定剤代わりのリンゴをかじりながら、行儀悪く窓際に腰掛けたまま、副会長はボーッと初夏の空を見上げていた。
空は青く晴れ渡り、長袖では汗ばむほどの陽気だった。
「どうしましょう、会長?」
上級生でもある捺差内の、やや感情的な、熱に浮かされたような説得に押された役員が、彩香に助けを求めた。
思えば、これが、今回の騒動のそもそもの原因となるのだが、もちろん、その役員が知るはずもなかった。
「どうもこうも、昨年度の科学部の活動報告では、一つの部屋を与えられるほどの実績はないのでしょう?しかも、今の活動内容も不明確。その上、文化祭の展示作品の内容もハッキリしないのであれば、他に方法がないでしょう?」
「会長も、ああ言っていらっしゃる。科学部長。今年は、これで諦めて下さい」
「待って下さい。それなら、一部屋与えられるにふさわしい、活動の成果をお目にかければ、いいわけですね?」
彩香の表情はにこやかだったが、心の中で、何でこんな面倒なことをと、舌打ちをしていた。
そんな会長の思いとは無関係に、捺差内と同学年の別の役員が、追い打ちをかけるように、不用意な次の一言を発した。そのことが、さらにこの科学部長を煽り立てた。
「それは、その通りだけど、会場の割り振りの変更は来週までだ。来週までに、そんな実績を見せることが出来るのかい?オマエら、変態オタクの集団に!?」
「出来るか出来ないか、やってみなければ、わからないじゃないか!」
それでなくとも、彼を部長とする科学部は、このところ一般生徒や教師から冷たい視線で見られていた。
今回のことに限らず、生徒会からも予算の減額などで、かなり冷遇されていた。もっとも、その理由の多くは、彼らが人目を避けるような、得体の知れない実験などを繰り返した挙げ句。何度も爆発騒ぎや、火事騒ぎを起こした結果だった。
だが、捺差内を初めとして同病相哀れむ形の科学部員達は、自分達の活動を、素直に反省したりする精神とは無縁だった。彼らは、自分達を理解しようとしない生徒や教師達、特に彼らの活動を何かにつけて制約する生徒会に、そんな日々の不満を蓄積させていた。
「そもそも、今回展示作品の内容が固まっていないのは、それに見合うだけの予算を、あんた達が認めないからじゃないか!?」
「自分達の無能を、俺達のせいにして欲しくはないな」
捺差内と同じ学年の男子役員は、意地の悪い笑みを浮かべていた。
それが、典型的なイジメッ子の態度であったために、同じ学年の女子役員が、嫌な顔をした。間に立たされた形の下級生の男子役員は、狼狽こそしなかったが、表情を硬くして、両者を見比べていた。
副書記長という肩書であるばかりに、その男子役員は休んだ書記長の代わって、この場に立たされた不幸な立場だった。手慣れた書記長ならばともかく、この春、役員になったばかりの彼には、明らかに荷が重過ぎた。
「それほど言うなら、俺達に予算をよこせ!それが出来ないなら、せめて、展示場所は化学室を使わせろ!!」
「予算をやって、何も出来なかったらどうする?科学部は、解散するか!?」
「ああ、やってやろうじゃないか!」
ほとんど売り言葉に買い言葉の乗りで、捺差内は叫んでいた。口にした彼自身、その実現の可能性をまるで持ってはいなかったが、ここで引き下がるわけには行かなかった。
副書記長は、困ったように生徒会長を振り返った。彩香は、小さなため息を一つ吐くと、この無意味な論争を終わらせようと、その薄い唇を開いた。
「わかりました。それほど言うなら、来週の今日まで待ちましょう。費用は、生徒会が持ちます。その代わり、もし、この日までに、目に見える実績が確認できない時には、科学部の出展そのものを中止にして、使った費用は来年の予算から引きますが、それでもよろしいか?」
彩香の言葉は、半分以上脅しだった。だいたい、来年の科学部の予算など、このままならないのと同じで、これは実質的に科学部の活動停止を意味していた。
その場のほとんどの役員は、これで科学部長が折れると信じていた。彩香にしては、珍しいほどまともな意見だと、京子も驚いたような視線を向けていた。
だが、その時の捺差内に常識論は通じなかった。もともと、余り他人の言い分に耳を貸すような、社交的な男でなかったが、変態オタク呼ばわりされた上に、無能と言われたことが致命的だった。
「いいでしょう!その挑戦、受けて立ちます!!」
そう宣言すると、捺差内はドアを閉める音も荒々しく、役員室を出て行った。
「あなた、ちょっと、言い過ぎよ」
別の女子役員が、捺差内を煽り立てた男子役員に、冷たい視線を向けた。
「いやーッ、あいつ、すぐムキになるから、ついね……」
「で、あと、何組、残っているの?」
そんな、無責任な男子生徒の言葉を無視して、彩香は尋ねた。
別の役員が、手元の用紙をめくった。
「それやこれやで、十八組です」
「いち、ぬーけた!」
それは、窓際の京子の声だった。
副会長にして体育実行委員長の彼女は、かじり尽くしたリンゴを、部屋のゴミ箱に放り投げると同時、自分も窓から身を躍らせた。
「彩香、後は任せた」
その言葉を残して、京子の体は、役員室のある三階の窓から、下のグラウンドに消えた。
「いつもながら、鮮やかなこと……どうして、三階から飛び降りて、なんともないのかしら?」
女子役員の一人が呟くと、周囲の役員も、毎度のことながら肩をすくめるしかなかった。
彩香の隣りに座る女子役員が、改めて彩香の方へ向き直った。
「ダメですよ会長。いつもみたいに、副会長と一緒に消えちゃ。今日だけは、ここにいてもらいますからネ!」
「ハイハイ……まったく、京子さんたら、うまくおやりになったものね」
そう、彩香が不承不承納得すると、ドアの近くの役員が、次の代表を呼んだ。
ドアを開けて、エプロン姿のクッキング同好会の会長が姿を見せた。それと同時に、彩香のみならず、生徒会役員全員の頭の中から、科学部の問題はキレイさっぱり、消えて無くなっていた。
彼らには、他に考えねばならないことが、山のようにあったのだ。
しかし、科学部長、捺差内幸司にとって、これはいつの間にか、自分のプライドをかけた、大問題に発展していた。
『ネ暗、イジケ虫、無能で変態!オタクの集団!!』
彼の胸のなかで、この侮蔑の言葉が、生徒会を代表する荒神彩香の顔と共に、大きく膨らんで、渦を巻いていた。
だいたい、彼を侮辱したのは彩香ではなかったし、ネ暗だのイジケ虫だのは、彼が勝手に妄想の中でつけ加えた形容詞だった。だが、捺差内にとっては、彩香が生徒会を代表して、自分を侮辱したように感じられていた。
ひょっとすると、彼は前々から個人的に、お嬢様然とした彩香に、反感を持っていたのかも知れない。ともかくこの科学部長は、単純な上に、思い込みの強い男だった。
「見てろよ、生徒会長!何が、聖麗の魔女だ!科学部の恐ろしさを、思い知らせてやる!!」
廊下でそう絶叫する捺差内を、周囲の生徒達や教師は、危ないものでも見るような目付きで遠巻きに見つめて、小声でささやき合っていた。
その中に、チャイナ服を着た青い目の中国娘の姿があることを、絶叫する科学部長が知るはずもなかった。