第3節
危険な転校生
ニャンニャンの登場は、彩香のクラスのみならず、聖麗高校全体に、ちょっとした波紋を投げかけた。
これまで、聖麗高校男子生徒の人気は、完全に二分されていた。片方は、不思議な力と怪しい魅力を持った、純日本風美人で、お嬢様的な性格の荒神彩香。もう一方は、破壊的暴力主義者でありながら、直情的で男勝りのサッパリした性格をしている、柳京子。
彼女達は、聖麗の魔女として、学内はもちろん近隣の学校では知らぬ者がいないほど、恐れられていた。それと同時に、生徒会長と副会長として、学内の生徒からはそれなりの、尊敬も信頼も受けていた。
この聖麗高校は、繁華街のド真ん中という、風紀上かなり危険な場所に建っていた。それにも関わらず、この学校の生徒は、不良やヤクザに怯える心配が、まったくなかった。それは一重に、彼女達二人の活躍によるものだった。
そんな、男子生徒の人気図の中に、可愛らしい中国娘が、突然飛び込んで来たのだった。なんと言っても、京子は、余りにも強力過ぎて、普通の男子生徒の手には余るし、彩香には合法的な伴侶がいた。
二人とも、憧れとして祭り上げておくにはちょうどいいが、身近なアイドルという趣には、かなり遠い存在だった。
「みんな、元気か!私、娘娘〈ニャンニャン〉あるネ!よろしく、あるよ!!」
と、自己紹介の時、明るく、元気に叫んだチャイナ服姿の少女は、たちまちの内に全校中のアイドルとなった。
可愛いということに、男子以上に夢中になるのが、当節の女子高生達だった。昼休みともなると、購買部へランチを買いに現われたニャンニャンの周りには、男子と女子の黒山の人だかりが出来た。
「へーッ、アメリカで英才教育を受けて、まだ十二歳だけど、高校生なんだ」
「なになに、御両親は中国系アメリカ人なの?それで、瞳が青いのね!?」
「この学校には、特別留学生として来たんだって?」
「えッ、そのチャイナ服、制服が出来るまでだけなの?もったいないなァー」
青い目の、チャイナ服を着た少女は、群がる生徒達を嫌がるどころか、その矢継ぎ早の質問に、嬉しそうに答えていた。
その明るさと可憐さが、またまた、男子生徒と女子生徒の人気を呼び、この間まで、彩香や京子の親衛隊を気取っていた連中まで、「ニャンニャンを汚れた日本社会から守る会」なるものの仲間に加わっていた。
「どーでもいいけど、このバカ騒ぎは、いつまでつづくのかしら?」
食堂の向こう側の、生徒達の群れを横目でみながら、京子は愛するメロンパンを頬張っていた。
その前で、彩香は実家の婆やが作ってくれた、特製漆塗り、五段重ねの重箱弁当を広げていた。
「あの娘が、あたしと決着をつけるまですわ」
「なん、だって?」
彩香の言葉に、京子は思わず飲みかけた珈琲牛乳で、むせ返るところだった。
うっかり、口元からこぼした珈琲牛乳を、手の甲で拭いながら、京子はマジマジと彩香を見つめた。相手の視線にはお構いなく、この天下無敵の人妻は、平気な顔でロースト・ビーフをつまんでいた。
「私を抹殺するために、彼女は来たのですわ」
「抹殺って、あれかい、あの可愛い顔して、テロリストってやつか?」
「テロリストとは、少し違いますわね。史上最強のサイバー・ウェポン。その試作品だというお話ですわ」
自分好みに、やや柔らかく焼き上げてある卵焼きをつまみながら、彩香は人事のように言った。もっとも、彼女に対してそれを指摘したなら、彩香はためらうことなく、だって人事ですものと、答えただろう。
京子は、そんな彩香の反応には慣れていた。彼女もまた、まるで新聞の三面記事に対するような態度で、彩香に先を促した。
「サイバー・ウェポン?」
「正式な定義は、さだかではありませんけど、つまり人工的な有機生命体による兵器、ということらしいですわ」
「人工生命って、じゃ、あのニャンニャンは?」
「人工的に、合成された生命体ということに、なりますわね」
「あの、娘が?まさか‥‥‥」
信じられないという顔つきで、京子は、食堂の反対側にいる、生徒達に取り囲まれた、チャイナ服姿の少女を見つめた。
誰か、何か、つまらない冗談でも言ったのだろう。面白そうに、青い目の少女は笑い転げていた。そんな彼女の姿に、人工とか、兵器とかを感じさせる要素は、カケラもなかった。
「その、サイバー何とかっていう話、本当かよ?」
「大蛇〈だいじゃ〉さんの報告ですから、まず、間違いありませんね」
「大蛇?ああ、虹子さん。あの、性別不詳の元世界的スナイパー、アナコンダさんか‥‥‥あの人、まだ、あんたのところにいるんだ?」
「ええ、殺し屋家業は引退して、お祖父様の、秘書のようなことをなさっていますわ。その虹子さんの言葉によれば、あの娘は歩く核弾頭だそうです」
「核弾頭ね。まッ、あんたも似たようなもんだから、いまさら驚かないけど。この世にあんたほど物騒な輩が、他にもいたとはねェー」
その最後の部分は、明らかに京子の皮肉だったが、彩香は顔色一つ変えることはなかった。
「あら、京子さんほどではありませんわ」
「ほっとけ!で、あんたは、どうするんだ?」
京子の、深刻なはずなのだが、どこかのんびりした問いに、ゆっくりと食べ終わった彩香は、重箱を片付けながら答えた。
「あちらの、出方次第ですわ。こちらから、ご挨拶をしても良いのですけれど、そういうことは、先生がお嫌いですから」
彩香の言う先生とは、自分の夫であり京子の叔父である、高野透のことだった。
この優等生的純和風の生徒会長は、自分の夫以外の教師を決して「先生」とは呼ばなかった。教育上、これは極めて問題のある行為だと京子などは思っていた。だが本人である透以外、この学校の教師達は誰もこの問題に触れようとはしなかった。
その透は、彩香が進んで面倒を起こすことを、固く禁じていた。しかし、京子の見るところ、結果としてその決まりを彩香が守ったことは、ないような気がしていた。
「そんなこと言って、結局は、叔父様に迷惑かけんじゃないのか?」
彩香は、そんな京子の意地悪な言葉には答えず、漆塗りの重箱を友禅染の見事な風呂敷に包んで、立ち上がった。
「そんなことよりも、これからの役員会の方が問題ですわ」
「役員会?なんか、あったけ?」
生徒会副会長という、役員会でも重要な立場にありながら、京子にその自覚はまったくなかった。
やや軽蔑の眼差しで、彩香は京子を見おろした。
「秋の、文化祭の部屋割りですわ。今の内に決めておかないと、各クラブや、有志の団体が勝手なことを言って、なかなかまとまりませんの。もっとも、京子さんは、会議に参加なさったことは、ありませんものね」
「悪い悪い、どーも、そういうことは苦手で‥‥‥でも、優秀な書記長がいるじゃない?」
そこで初めて、彩香は小さなため息をついた。
「そうなんですけどね、桃山さん。お風邪で、今日はお休みですの、困りましたわ」
「あーらら、そりゃ、大変だ‥‥‥」
「ですから、今日は、京子さんにも、出ていただきますわよ。決めることは、山ほどあるのですから、責任の一端は、担っていただかないと」
「げッ!冗談でしょう!?」
そう言いつつ、逃れようとする京子の、襟首を捕まえるようにして、彩香はこの職務に著しく不熱心な副会長と共に、食堂を出ようとした。京子は、引きずられるようにしながら、慌ててパンの残りを珈琲牛乳で飲み下していた。
そんな二人の様子を、多勢の生徒に取り囲まれながら、ニャンニャンは笑顔の下から、鋭い視線で追っていた。
『どうする、ニャンニャン?どうやら、サイカ・アラミは、我々の正体に気付いているようだぞ‥‥‥』
『様子を見る、あるね。ともかく、あの生徒会長、ボンヤリしているように見えて、まるで隙がないあるよ』
『それはいいが、マスターが文句を言っているらしい。ドクターが、困っているよ』
『困らせておくある。文句を言おうとどうしようと、ミッション〈作戦〉に入っている以上、現場の判断が優先ある。これ、コマンド〈戦闘〉の常識あるね』
『やれやれ‥‥‥』
チャイナ服姿の可愛い女の子が、そんな物騒な会話をその笑顔の下でしていることなど、周囲の生徒達はまったく気が付かなかった。彼らは、ワイワイと楽しそうに、少女に話しかけていた。
ニャンニャンは、それら生徒達の他愛のない話題に、巧妙に相づちを打ちながら、彩香抹殺の方法を思案していた。