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第2節

    娘娘〈ニャンニャン〉登場


 荒神彩香〈あらみ・さいか〉は人妻だった。

 それは、疑いの無い事実だった。しかし、彼女自身を例外として、その事実に満足している者は、誰もいなかった。彼女以外の多くの者達、特に彼女の夫とその近親者は、その事実を苦々しさと、困惑を含んだ、複雑な思いで追認していた。

 しかも、彼女は天下無敵だった。だが、そのことに満足している者は、彼女自身を含めて一人もいなかった。

 彩香は、自分の持つ能力を疎ましく思っていた。これまでの、彼女からその力を奪おうとする、彼女自身も含めたあらゆる努力は、すべてが無駄に終わっていた。今では、彼女自身もそのことにこだわる、無益な努力を止めていた。

 そんな、天下無敵の人妻女子高生の通う私立聖麗〈せいりょう〉高校は、現在も文化都市として、観光を中心に栄える古い都にあった。その古い都の、最もにぎやかな繁華街のド真ん中に、その学校は建っていた。

「だいたい、どうーして、十六歳の現役高校生が、人妻だなんてことが、問題にならないの?」

 学校の校舎の裏手で、そんな素朴な疑問を口にした女子生徒がいた。彼女は、この頃の学生服としては、むしろ平凡な部類に入る紺のブレザーの制服を、だらしなく肩にかけていた。

 この春、他の高校から転入して来た彼女は、いわゆる不良とか、ツッパリとか言われる態度の持ち主だった。その時も、片手には愛用のタバコを持っていた。

 言われた相手も、同じ制服の女子生徒で、彼女の方も御多分に漏れず、同じようなハミ出し者だった。だが、この学校に初めからいたために、少なくとも、校内でタバコを吸うという、危険なマネには参加していなかった。

「あんた、まだ、懲りないの?この間、会長に突っかかって、酷い目にあったばかりでしょう?」

「別に、逆らおうっていうわけじゃないさ。あんな、化物相手に、勝ち目はないからね。だけど、そんな化物を、この学校が平気で飼っていることと、世間が誰も注目しないことが、不思議でさ」

 化物こと荒神彩香は、その神秘的な容姿と、本性を欺く、お嬢様然とした物腰で、この学校の男子生徒から圧倒的な支持を受けていた。彼女はその人気を背景に、まんまと生徒会長の座に付いていた。

 もちろん、彼女がまともに、会長の仕事を遂行していないことは、誰の目にも明らかだった。

「彼女の爺さんが、政財界の大物で、この学校の理事だということは、知ってるんだろう?」

「ああ、でも、教師と生徒が夫婦で、同じ学校に通っているなんて絶好のスキャンダルを、マスコミが取り上げないほどの、大物ってことか?」

「首相の首なんて、簡単に変えられるってことだから、そうなんじゃないか?マスコミだって、命は惜しいだろうし‥‥‥でも、もう一つ。聞いた話じゃ、あの会長には、戸籍がないって話だよ‥‥‥」

「戸籍が、ない?」

「ああ、前にもあんたと同じように、興味を持った奴がいて、結構顔が効くんで、役所で調べたらしい‥‥‥その時、荒神彩香って名前は、どこにもなかったんだと」

「そんなことが、あるのかよ?だって、アイツは、高野ってセンコウと、正式に結婚してんだろう?婚姻届ってやつが、あるんじゃないのか?」

「そのへんが、よく、わからないのさ‥‥‥あッ!?」

 そこまで言った女子生徒の顔が、硬直した。タバコを持った方が、その表情に驚いて振り返ると、そこには、彼女達と同じ制服を着た、女子生徒が立っていた。

 その女子生徒は、ポニーテールのように髪を高いところで束ね、ブレザーを着ずに、無造作にブラウスの袖をまくっていた。彼女は、時期外れの青いリンゴをかじりながら、校舎裏に座り込んでいる、二人の不良女子生徒を見つめていた。

「あんた達、噂話は、よそでしてくれないかな?」

 その声の調子は穏やかだったが、トーンの低さが、その女子生徒の感情を、ハッキリと示していた。

 話をしていた、元からこの学校にいる女子生徒の顔色は、見る見る青くなった。タバコを喰わえていた方も、表情が硬直することを隠すことはできなかった。それでも彼女は、何とか不良らしく開き直ろうと懸命になった。

「ふんッ、生徒会副会長の、柳京子〈やなぎ・きょうこ〉さんは、そんな偉そうなことを、言える立場なのかい!?」

「さァね、そんな立場かどうか、アタシにはどうでもいいことさ。そんなに知りたきゃ、教えてやるよ。気に入らないとはいえ、彩香はアタシの叔父様の嫁さんだ。それは、正式な手続きに乗っとっている。残念だがな‥‥‥叔父貴の戸籍には、ちゃんと配偶者として名前が載っているよ。どうだい、これで満足かい?」

「あ、あたしは、知らない!聞かれたから、答えただけで、関係、ありませんから、し、失礼します、京子さん‥‥‥」

 転入生に噂話を提供していた女子生徒は、体を震わせながらそう言うと、脱兎のごとくその場を逃げ出した。

 京子は、それには見向きもせずに、タバコを持った女子生徒を見つめていた。

「な、なんだよ、やろうっていうのかい!?」

 それが、精一杯の虚勢である証拠に、彼女の持つタバコは細かく震え、灰が地面に落ちていた。

「いや、別に、ただ余り彩香に興味を持つと、あんた、ロクなことにならないよ」

「へん、脅しってことかい?副会長さん!?」

「いや、単なる忠告だ。ただし、あんたが、彩香はともかく、あたしの叔父貴の悪口を言い触らしたり、余計なチョッカイを出したら‥‥‥」

 そう言った京子は、かじっていたリンゴを口元から離すと、いともあっさりと、ほとんど力を加えずに、握り潰した。

 その京子の手から、ポタポタと流れるリンゴの汁を見ながら、女子生徒は息を飲んだ。京子が、この学校の拳法部の猛者達と、学生選手権に出たこともあるその部の顧問を、一撃で片付けた場面は、その女子生徒も目撃していた。

 柳京子は、祖父が伝える高野流格闘術の後継者だった。そして、その柳京子に逆らう者は、この辺では、化物呼ばわりされた生徒会長の荒神彩香以外には、有り得なかった。

 ちなみに、化物と呼ばれる荒神彩香に公然と立ち向かう者も、この柳京子以外には、この辺では誰もいなかった。

「わかったよ、別に、あんたと生徒会長を、どうこうしようってわけじゃない。ただ、興味があっただけだ、それだけだよ‥‥‥」

 精一杯の強がりを言いながら、タバコを喰わえたまま、彼女はこの場を離れようとした。

 そんな女子生徒を、京子が呼び止めた。

「タバコは、きちんと火を消して、土に埋めときな。これでも、一応、生徒会の役員をやっているんでね、そんな格好でウロウロされると、困るんだ」

 京子の言葉に、女子生徒は、渋々、壁に押し付けてタバコの火を消した。その後で、踵で壁際の土を掘ると、そこに吸いがらを落として、再び靴で土をかけた。

 京子は、自分が握りつぶしたリンゴの汁を嘗め、その残骸を口に含んで、種だけ吐き出すと、背後を振り返った。

「彩香、そこにいるんだろう?」

「さすが、京子さん。よく、おわかりで‥‥‥」

 閉め切りのはずの窓が、音もなく開いた。腰までもある長い黒髪を、首の後ろの、赤いリボンで縛っただけの彩香が、上半身を覗かせた。

 度の入っていない、メタルフレームの眼鏡をかけた、そんな生徒会長の優等生的な美人顔に、京子はケッという態度を取った。

「何が、よくおわかりで、だ!何が、転入生が迷子になったから、捜して来てくれだ!?ありゃ、転入生は転入生でも、この春の転入生じゃないか、それも、上級生の!どうせ、お前は、あいつがここにいて、何を話しているか知っていて、アタシに釘を刺させようとしたんだろう?」

「転入生が迷子なのは、本当ですわ。ただ、あの方達の前に、私が出て行くと、色々と、面倒ではありませんか?私は、あなたみたいに、脅すのは得意じゃありませんから‥‥‥」

「なんだと‥‥‥」

 京子の表情に、凶暴な影が落ちた時、彩香の立つ窓のある教室に、一人の教師が入って来た。

 絵の具で汚れた白衣を着た教師は、彩香と窓越しに外にいる京子を見つけて、やや驚いたような表情をした。

「二人とも、こんなところにいたのか?転入生は見つかったぞ。もういいから、教室に戻りなさい。もう少しで、今度は君達を、迷子として、校内放送で呼び出すところだった。彩香、転入生は、君のクラスだ。ちゃんと、面倒を見るんだぞ‥‥‥」

「わかってますわ、先生!」

 それまでの、ややきつい表情とは打って変わって、目尻を下げた彩香は、尻上がりの鼻声でそう言うと、教師の片腕に抱きついた。

「叔父様、校内では、夫婦ではなく、生徒と教師では、ありませんでしたかしら?」

 京子は、窓枠をヒラリと飛び越えて教室に入ると、皮肉を込めて言った。生徒会の副会長は、自分の敬愛する叔父にすがりつく彩香に、鋭く冷たい視線を浴びせていた。

彩香は、そんな京子に心の中では舌を出していた。だが、表面は涼しい顔をしていた。

「その通りだ京子。いや、柳君。だから君も、叔父様とは呼ばないように‥‥‥彩香、いや、荒神君も、その手を離しなさい」

「嫌ですわ、荒神君だなんて‥‥‥私は、高野。先生と同じ、高野ですわ」

「卒業するまで、学校内では荒神で通すという約束だったはずだが?」

「もう、先生の、いじわる!」

 二人の会話に、限りないバカバカしさを感じた京子は、肩をすくめて、その使われていない教室を出た。

 そんな京子の態度に、聖麗高校の美術講師である高野透〈たかの・とおる〉は、明らかに気恥ずかしさを感じていた。そして、彩香の腕を振り払うように離した。

「彩香、いや荒神君。その窓は、元通りに閉めておくんだ。いいね?」

 彩香が外を覗き、京子が入って来た窓を指差して、美術講師は念を押した。そして、足早に京子の後を追うようにして、教室を出て行った。

 彩香は、その背中にハーイと、明るい声で答えると、その窓に向かって片目をつぶって見せた。すると、窓は、音もなく閉じられ、その内側から板がはめ込まれて、釘で止められた。その間、何の物音もしなかった。

 彩香がその教室のドアを出ていた時、その教室を人が使用したという気配は、跡形もなかった。彩香が外に出ると同時に、ドアは音もなく閉り、静かに鍵が締まった。もちろん、彩香がそれに、指一本触れることはなかった。

 そこは、元通り埃だけが積もった、閉鎖された教室となった。その中に、しばらくして虹色の光が輝き始めた。やがてそれは、一人の女の子の姿になった。

 黒く長い髪を、一本の三編みにまとめていたその女の子は、袖も無く、膝も丸出しの、短いチャイナ服に身を包んでいた。彼女は、せいぜい十二歳前後の、可愛い中国娘にしか見えなかった。

「マックス!あれが、今回のターゲット、サイカ・アラミ、あるネ?」

 閉め切った教室に現われた、チャイナ服の少女は、まるでそこに誰かがいるのかのように、人気のない空間に向かって言った。

『そうです、ニャンニャン。あれが、我々の実戦テストのターゲットです』

「データー通り、凄い能力者あるね。この部屋、見るあるよ。さっき三人もいたあるのに、まるで、ここ何年、誰も入ったことないみたいあるよ」

 ニャンニャンと呼ばれた少女は、その肌の色と髪の色からは不似合いな、青い瞳を輝かせて、その埃っぽい教室を見回した。

『現状回復能力があるのでしょうか?我々のように、物質の構成分子を、再構成することが出来るとは、思えませんが‥‥‥』

「違うあるね、これは、うちらのやり方とは違うあるよ」

『では、どういうやり方だと、ニャンニャンは思っているので?』

「この方法を説明する、一番、簡単な言葉あるね」

『何ですか、それは?』

 チャイナ服の少女は、愉快そうに目を細めると、見えない相手に向かって、茶目っ気たっぷりに言った。

「魔法、という言葉あるね」

『魔法、ですか?』

「確か、ミス・サイカのことを、魔女と呼んでいた資料も、あったあるネ」

『魔女、ですか‥‥‥ニャンニャン、最初のターゲットとしては、少しやっかいじゃありませんか?』

「面白そうあるよ、もう、戦車やミサイルは飽きたあるからネ!マックス、転送して‥‥‥」

 その言葉が終わるか終わらない内に、少女の体は虹色に発光し、やがて暗い教室の空気に、溶けるように消えた。

 後には、埃っぽい教室の床に、小さなチャイナ靴の跡だけが、残っていた。




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