第13節
サイバー・ウェポン
目が覚めた時、捺差内は見慣れた化学準備室にいた。
ニャンニャンを抱いて、もはやこれまでと屋上から飛び降りたはずだったが、あれは夢だったのかと、頬をつねった。
「いてッ!」
彼は、そう叫ぶと体を動かした。その時、自分が何やら重いものを腹の上に乗せていることに、この科学部長は遅まきながら気が付いた
「ニャンニャン!」
捺差内は、間違いなくしっかりと、留学生の可愛い体を抱いていたのだった。慌てて、この思い込みの激しい、純情な科学部長は、少女の体から自分の体を離した。
機材を校庭に持ち出したために、いやに広々とした準備室の中で、防火用の汚れた毛布を丸めると、捺差内はニャンニャンを寝かせた。さらに、隣りの化学室から、水で濡らしたタオルを持って来ると、科学部長はこの不思議な力を持つ中国娘の額に乗せた。
タオルの冷たい感触に、娘はその青い瞳を開けた。
「幸司……」
「だいじょうぶ、誰にも俺達の仲は引き裂けないよ……」
相変わらず、激しい思い込みで、勝手なことを言う捺差内に、ニャンニャンは微笑んだ。そして、その言葉を訂正しようとはしなかった。
「幸司、わたし、好きか?」
「もちろんさ、二人の愛は、永遠だよ!」
他人が聞いたら、赤面するだけでは済まないようなセリフを、堂々と言ってのけた科学部長は、少女の両手をしっかりと握った。
ニャンニャンは、そんな捺差内に、寂しそうな微笑を向けた。
「幸司、知らない。知ったら、そんなこと、言えない……わたし、ニャンニャン、N2、人間違う……サイバー・ウェポンある」
「サイバー・ウェポン?」
捺差内には、ニャンニャンの言っている言葉の意味が、わからなかった。
中国娘は、再び寂し気な微笑を浮かべた。
「私の体、人間に似せて、人工的に作られた、戦闘用生体ユニット……私の本体、この空の上、大気圏外にあるあるね……」
そしてニャンニャンは、ゆっくりと、自分が二番目の開発ユニットであることを話した。彼女は、自分のコード・ネームがN2であること、兵器として開発されたということを、わかりやすく説明した。
最初、捺差内はSFマニアでありながら、容易にそのことを信じようとはしなかった。
「手を触れずにものを持ち上げたり、高いところへ飛んだりするくらい、生徒会長や副会長なら、いつもやっている……」
彼にとって、いや、この学校の生徒にとって、そのような現象は確かに珍しくも何ともなかった。そういう意味では、この科学部長の判断は、あながち間違いとも言えなかった。
ニャンニャンは、楽しそうに笑って、そのための苦痛に顔を歪めた。
「こんな、学校だから、そんな幸司だから、いつの間にか私も、自分が兵器だということ、忘れていた……幸司とシステムを作るの、とても楽しかった……でも、ニャンニャン、人間でない。人間の道具、役に立たなければ、処分される……ウッ!?」
ニャンニャンは、再び体を痙攣させた。
捺差内は必死になってその手を握り、娘に呼びかけた。
「ニャンニャン、ニャンニャン!しっかり、しっかりしろ!!」
「幸司、B2を利用して、ごめん。あれは素晴らしいシステムある、きっと幸司なら……」
「いいんだ、B2なんて、どうでもいいんだ!B2が駄目なら、B3、B4、幾らでも作ればいい!ニャンニャンさえいれば、幾らでも作れる、そうだろう!?」
苦痛に堪えながら、ニャンニャンは皮肉な笑いを受べた。
「そう、幾らでも作れる。私が駄目なら、N3やN4が……」
「駄目だ!ニャンニャンは、ニャンニャンだけだ!君の代わりを作るんじゃない、君と一緒に作るんだ!!」
激しい痙攣に顔を歪めながら、ニャンニャンはそれまでとは違う激しい力で、捺差内の手を握り返した。
「ニャンニャンも、ニャンニャンも、幸司と作りたい!一緒に、作りたい……」
そう言うと、少女の青い瞳から、涙が溢れた。
次の瞬間、N2ことニャンニャンの体は、さらに激しく痙攣した。それは、どんなに捺差内が押え込んでも、その腕から飛び出すほど、激しいものだった。
やがて、その動きが納まるに連れ、次第にニャンニャンの体が透き通り、消えて行った。
「ニャンニャン、ニャンニャン!ニャンニャーン!!」
科学部長は、そう叫びながら、中身の消えた制服を抱きしめていた。
「行って、しまいましたわね」
涙にくれる捺差内の背後で、そんな声が聞こえた。
驚いた捺差内が振り返ると、そこには彩香と京子が立っていた。
「この人殺し、貴様が、貴様が!」
感情を爆発させた捺差内は、涼しい顔をしている彩香に飛びかかった。
だが、彼女はすっと身をかわし、勢い余った科学部長は、化学室の机に無様な形で体当りしただけだった。
「人殺しとは、乱暴な……あなたも、お聞きになったでしょう?彼女は、サイバー・ウェポン、人間ではありませんのよ」
「それが、どうした!お前達だって、人間離れしているじゃないか、彼女とどこが違う?だいたい、同じようなお前らが、平気で普通に、生徒会やっているのに、純真で可憐なニャンニャンが、科学部をやっていて何がいけない!?」
およそ、まともな論理展開ではなかったが、変態オタクと蔑まれ続けた男の純情は、それなりに胸に響く、真剣なものがあった。
オイオイと、人目もはばからずに泣き出した科学部長を前に、京子と彩香は、顔を見合わせるしかなかった。
「そんなに、好きだったのか?」
涙でクシャクシャになった捺差内に、生徒会長達の背後に立っていた美術講師が、ハンカチを差し出した。
彼も彩香達と一緒に、化学室に来ていた。ただ、捺差内の余りに激しい剣幕に押されて、今まで後ろに下がっていたのだ。
「わからない、でも、楽しかったんだ。あの娘といっしょに、システム作ってて、俺は、会長や生徒会なんて、どうでもよくなったんだ。こんなことなら、あんなシステム、完成させなきゃ良かった!」
そう言って、捺差内は透に借りたハンカチで盛大に鼻をかむと、ありがとうと言って、それを返した。
さすがの透も、そのハンカチを受け取ると、そのままポケットには入れられず、そっと、背後のゴミ箱に捨てた。
「彩香、ドクターのところへ、行けるかい?」
透の言葉に、彩香はヤレヤレといった表情を作った。
「それは、行けないことは、ありませんけど……」
「なら、ちょっと、連れて行って、やってくれないか?」
「でも、この人は、わたくしのこと、淫乱生徒会長って……」
口を尖らせる彩香の頬に、透はそっと頬を寄せてささやいた。
「別に構わないじゃないか、僕は淫乱な位の方が良いと思うよ」
「もう、先生ったら……!」
たちまち彩香は、耳まで赤くなると、そんな透の足を思いっきり踏んだ。
思わず顔をしかめた透から離れて、彩香は座り込んだままの、捺差内の方へ歩み寄り、片手を差し出した。
「これだけは、約束して下さいな。ニャンニャンさんの、本当の姿を見ても、決して、後悔しないと……もし、この約束を破ったら、あなたを成層圏の外へ、放り出さなくてはならなくなります……」
そんな彩香の、穏やかだが、厳しい意味の言葉に、思わず捺差内は息を飲んだ。
しかし、その直後に意を決すると、変態オタクの科学部長は、差し出された生徒会長の手を取って、立ち上がった。
「約束する。愛するニャンニャンの、どんな姿を見ても、後悔しない!」
それを聞いて、彩香はニッコリ微笑むと、背後の京子と透を振り返った。
透は軽く頷き、京子は、またかじりかけのリンゴを喰わえた。
「後のこと、お願いね」
そう言った彩香は、片手を軽く振った。慌てて、捺差内はニャンニャンの残した制服を胸に抱いた。
その直後、部屋の中につむじ風のような、渦巻く風が起こり、周囲の物を巻き上げた。
それが収まって、紙などがヒラヒラと、机の上に舞い落ちて来た時には、既に彩香と捺差内の姿は、どこにもなかった。
「本当に、だいじょうぶなの?サイバー・ウェポンとかの、正体を見せて、発狂すんじゃない?」
リンゴをかじりながら、京子は叔父である美術講師に尋ねた。
透は、肩をすくめて見せた。
「わからないよ、そんなことは。でも、それを見ても、なお、気持ちが変わらないなら、あの二人の仲は本物だろう。たとえ、いきさつは何であれ……」
「彩香と、叔父様の時みたいに?」
京子の、そんな、やや意地悪気な質問に、叔父である美術講師は敢えて、答えようとはしなかった。彼は、化学室に背を向けると外へと向かった。
もしニャンニャンが、再びここへ戻って来るようならば、教師として用意するべき手続きが、色々とあるのだった。京子は、そんな叔父の背中を見ながら、ため息を一つ吐くと、リンゴをかじりながらその後に続いた。
後には、主もなく機材もない準備室のドアが、寂し気に、開いたままになっていた。