第12節
N2の生みの親
校庭では、生徒達の悲鳴や歓声が再び起こり、街の喧騒が遠くから響いて来た。
しかし、校庭にうずくまった巨大ロボットは、そのままの姿だった。やがて、次第に、そのロボットの色が透けるように薄くなり、徐々に消えて行った。
逃げ惑っていた生徒達も、その変化に気付くと、恐る恐る、ロボットの方へ体を向けていた。
「機械が、止まっている……」
立体映像を作り出していた、プラズマ発振器をはじめ、科学部長が苦労して用意した数々の機器が、すべて動くの止めていた。
やがて校庭は、何事もなかったかのように、静まり返った。
「ニャンニャン、ニャンニャン、しっかりしろ!」
周囲の変化に、気を取られていた京子は、そんな捺差内の言葉に、視線を屋上に戻した。
彩香によって、生まれて初めての衝撃を受けたニャンニャンは、小刻みな痙攣を繰り返していた。
「ともかく、医務室へ!」
その美術講師の言葉に促されるように、捺差内は中国娘を抱えたまま立ち上がると、昇降口に向かった。
その時、いつの間にかその入口に、一人の老人の姿があった。その老人は、医者のような白衣を着ていた。
「ニャンニャンを、N2を、こちらに渡していただきたい……」
「なんだ、あんたは!?」
ニャンニャンをかばうようにして、捺差内が睨んだ。
「わしゃ、その娘の保護者じゃ。言わば、親代りみたいなものじゃ……」
京子と透、そして捺差内は顔を、お互いに見合わせた。
いつもの、優等生然とした態度に変わった彩香は、老人の前に進み出た。
「ドクター・チャンで、いらっしゃいますね?」
「いかにも。さすがは彩の姫巫、すべてはお見通しか……」
そう言うと、老人は寂しそうに笑った。
その時、微かにニャンニャンは、目を覚ました。そして、混乱する意識の中で、老人の名前を聞いた。
「ドクター、私、連れに来た。嫌、私は、嫌、処分は、されたくない……幸司、助けて……」
そういう微かな声と共に、留学生は自分を抱く科学部長の胸を、弱々しく掴んだ。
その声に頷いた捺差内は、ゆっくりとその場から遠ざかった。
「あッ、これ、ニャンニャン、違うんじゃ、わしゃお前を……」
自分の娘のようなニャンニャンを抱いた男が、ゆっくりと後ろに下がるのに気付いた老人は、慌てて呼び止めた。
京子達も、捺差内の方を振り向いた。
「ダメ、来ないで!お願い、幸司、逃げて!!」
だが、捺差内が逃げた方向には、屋上の柵しかなかった。
科学部長は、たちまち逃げ場がなくなったことを知った。
「ダメだ!ニャンニャンは、誰にも渡さない。俺が、俺が、守る!!」
「違います。科学部長、この方は……」
「寄るな!」
穏やかに誤解を解こうとした彩香は、頭から捺差内にそう言われて、やや感情的になった。
とりわけ捺差内に対して、例の「淫乱会長」発言以来、この表面的には優等生で通している生徒会長は、良い印象を持つはずはなかった。そんな彩香の感情の変化を察して、ニャンニャンは、再び捺差内の胸にすがった。
「幸司、柵を越えて、飛び降りて!お願い!!」
一瞬、捺差内は背後の柵越しに、はるか遠くの校庭を見て、顔色を変えた。
「幸司、お願いよ、私を信じて、お願い……」
再度、弱々しい声で、可憐な少女は科学部長の腕にすがった。そして、再び激しく痙攣して、仰け反った。
その痛々しい姿と、悲鳴に促されるように、ついに意を決した科学部長は、自分の前の四人を見渡し、震える声で叫んだ。
「いつの時代にも、お前らのような横暴と無理解が、俺達のような純真な恋人同士を、追いつめるんだ!自分達が何をしたのか、後で知って後悔しても、もう遅いんだ!!」
いったい、いつから、お前らは恋人同士になったんだよ!思わず、京子は顔を押さえた。もちろん、彩香にも何でそうなるのか、理解できるはずはなかった。彼女は、思わず小首を傾げていた。
いつの間にか、悲劇の主人公になってしまった捺差内は、少女との心中を決意すると、柵に手を掛けてよじ登った。
「さらば、諸君!我々の愛は、永遠だ!!科学部、万歳!」
わけのわからないことを叫ぶと同時に、柵の上に身を乗り出そうとした捺差内だったが、土壇場でその高さに怯えた。思わず柵を掴もうとして、彼の体はバランスを崩した。
腕に抱きしめた少女から、手を放さなかったことはさすがと言うしかなった。だがそのために、科学部長は無様な格好のまま、地面に向かって落下して行った。
運が良いのか悪いのか、それは校庭側に対して、校舎の裏側となり、人影がなかった。だから、他の生徒がその様子を目撃することはなかった。
「しまった!」
京子は叫んだが、一歩遅かった。柵に飛びついた京子は、彩香を振り返った。彩香が何かの方法で、助けることを期待したのだった。
だが、彩香は肩をすくめて首を振った。驚いた京子は、慌てて視線を地面に戻したが、そこにはどこにも落下したはずの二人の姿がなかった。
「消えた!?」
京子の隣りで、透が驚きの声を上げた。
彼は、落下する途中で、二人が虹色の光に包まれて、消える瞬間を目撃していた。
「マックスが、転送しおった。じゃが、あの体では、そう遠くへは行っておるまい。すぐに、見つかるじゃろう……」
京子達の背後で、白衣の老人はそう言って、小さなため息を吐くと、夕焼けに染まる空を見上げた。
事情がわかっているのか、微かに頷いた彩香と違って、京子とその叔父は、顔を見合わせるだけだった。