第十話
アイシャの過去の回想、そしてギルカ族の村に再び災難が訪れる話。
今回は主にアイシャ視点で話が進みます。
修正・加筆の可能性大です。
そして気がつけばいつの間にか六万文字越えてました。
当初の予定ではもっと早く大きな街に行く予定だったのですが、どうしてこうなった。
私の名はアイシャ。
次期族長と名高く勇敢な戦士だった父アイラスと、当時村一番の美人と呼ばれ誰よりも優しかった母ミーシャを両親に持つ。たくさんの愛情を注がれて育った私は、そんな両親の事を心から誇りに思い、そして愛していた。当時の私はその幸せな生活がいつまでも続くと信じて止まなかった。
─あの忌々しい事件が起こるまでは。
****
その日私は近くの森で採ってきた花で、大好きな父と母に贈るための首飾りを作っていた。母からは危ないから森に入るなと言われていたが、好奇心旺盛だった私はたまに母の目を盗んでは森の中で遊んでいたのだった。
「お父様!」
「おお、アイシャか。どうしたんだ?」
「お花で首飾りを作ったの!お父様にあげる!」
「ほう、これは良い出来だな。ありがとうアイシャ」
「えへへー」
「アイシャ良かったわね、お父さんに褒められて」
「はい!これはお母様のね!」
「あら、ありがとう。でもこの花は森に生えてる物でしょう?森は危ないから入ったら駄目ってあれほど言ってるのに」
「うう…ごめんなさい」
「まあそう怒るなミーシャ。森には毎日のように村の戦士が狩りに入ってるんだし、奥まで行かなければそう危険は無い。それに子供はこれくらい好奇心旺盛な方が丁度良い」
「もう…アナタは本当にアイシャには甘いわね」
「可愛い一人娘だからな。…それにしても何だかさっきから村の入り口の方が騒がしいな」
「…そういえばそうね。何かあったのかしら」
「まあ大方誰かが喧嘩でもしてるのだろう。少し様子を見てくる」
「喧嘩を止めるのはいいけど、仲裁に入ったアナタが怪我をさせたら駄目よ?」
「はは、善処するよ」
「お父様お出かけするの?行ってらっしゃい!」
「ああ、すぐ戻るからいい子で待ってるんだぞ」
「うん!」
父は私の頭をひと撫ですると、愛用の槍を持ち出かけて行った。私は父のその大きな背中を見送りながら、帰って来たら夕食の時間までたくさん遊んでもらおうと胸を躍らせていた。
……だが私のそんなささやかな願いが叶う事は無く、それが最後に見る父の姿となってしまった。
****
それから間も無くして騒ぎが徐々に大きくなり、ただ事ではない雰囲気が辺りを包んでいった。すると一人の青年が必死の形相で私と母がいるテントの中へと駆け込んできた。
「た、大変だミーシャさん!」
「ど、どうしたのそんなに慌てて。入り口の方で何か騒ぎがあったみたいだけど…」
「く、黒い牙だ!黒い牙の連中が襲ってきやがった!」
「な、何ですって!?」
「今村の戦士達が必死に足止めをしている!ミーシャさんはアイシャを連れて村の裏手から早く逃げるんだ!」
「ま、待って!アイラスは!アイラスはどうなったの!?」
「ア、アイラスさんは…頭と名乗る大剣を持った男と戦ったが…恐らくはもう…」
「そ、そんな…!」
母が青年の言葉を聞き、青ざめた表情を浮かべながらその場にへたり込んでしまった。私も二人のやりとりを聞いて、父の身に何かがあった事は何となく理解出来た。だが村一番の戦士で誰よりも強かった父がやられるなんて私には想像が出来なかった。
しばらくすると母がゆっくりと立ち上がり、壁に掛けてあった短刀を手に取りテントの外へ向かおうとしていた。
「ど、どこに行くんだミーシャさん!」
「アイラスを…アイラスを助けに行かないと…!」
「無理だ!あいつらは強すぎる!ミーシャさんが行ったところで状況は何も変わらない!」
「で、でも!アイラスが…!」
「頼むから逃げてくれ!ここであんたらを死なせる訳にはいかないんだ!」
「…ッ!」
青年の必死の説得に、母も感情を押し殺すようにして手に持った短刀を力強く握り締めた。そしてしばらくすると母が何かを決意したような様子を見せ、優しい笑みを浮かべながら私の頭をひと撫でした。
「…ごめんなさいアイシャ。…そうね、ここでアナタを死なせるわけにはいかないわ。アナタの事は私が命を掛けてでも守るから安心して」
「…お母様」
「話が済んだなら早く行ってくれ!アイディールさんには先に裏手に向かってもらった!」
「ええ、わかったわ」
私は母が差し出してくれた手を取り、そして強く握り締めた。不安で押し潰されそうになっていた私にとって、その母の手の温もりはとても心強く感じたのだった。
テントの外に出ると、村の入り口の方で火の手が上がっているのが見えた。
私と母は逃げ惑う人々の群れに紛れ、村の裏手に向かった。裏手に着くと既に十数台の馬車が用意されており、祖母であるアイディールがその中の一つに先乗り込んで私達の到着を待っていた。
「お義母様!」
「…おおアンタ達。無事で良かったよ。さあ早くお乗りなさい」
「よし、ミーシャさん達で最後だな!乗り込んだら早く出発してくれ!ここは俺達が抑える!」
村の裏手を守護していた戦士にそう促され、馬車に乗り込んだ私と母は祖母のアイディールと共に村を発った。
これから私達は一体どうなるのだろうか。
漠然とした不安と恐怖で涙が溢れそうになる。
すると私の気持ちを察したのか、母が優しく微笑み自分の胸に私を抱き寄せてくれた。
「…大丈夫よアイシャ。アナタの事は必ず守るから」
「…うん」
だがしばらく走っていると、後方から砂煙と共に馬蹄の音が近付いてくるのがわかった。 やがて追手の姿は視界の中にはっきりと捉えられる距離まで迫っていた。
戦士達は手綱を引いているので戦う事は出来ないだろう。ましてや馬車の中は女子供だらけだ。追いつかれたらきっと一溜まりも無く、私達は捕まるか殺されてしまうだろう。
「…ッ!思ったより早かったわね…」
「…お母様怖い」
「…大丈夫…大丈夫だから」
すると私達より後方を走っていた一台の馬車が追手に追いつかれ、手綱を引いていた戦士は盗賊の手によって無残に殺されてしまった。
そして若い女性達は身ぐるみを剥がされ、幼い子供達は縄で縛り上げられ、そして年老いた者達は皆その場で殺された。
「…ひッ!」
「…!アイシャ、見ちゃ駄目!」
そして気付けば十数台の馬車はいつの間にか散り散りとなって走っていた。
手綱を取っていた戦士達が何か大声で合図を送り合っていたので、恐らくは追っ手を撒くための最善策を取ったのだろう。
だが運の悪い事に追手は私達の馬車に狙いを定め、その距離を縮めてきた。
すると追手の先頭に一際大きな大剣を肩に抱えた一人の大男の姿が見て取れた。きっとあの男が盗賊の頭なのだろう。あの男が私の父を…。
「はっはッー!逃げても無駄だぜェ!大人しく捕まれやァ!」
男がまるで地鳴りのような大声で叫んできた。こちらも必死で走ってはいるが、何十人も人を乗せた馬車ではどうしても速度に限界がある。このままではやがて追いつかれてしまうだろう。
私は今後自分の身に降りかかるであろう災難を想像し涙を流した。だがその時、母が私の肩を優しく抱き寄せ耳元でこう呟いた。
「…アイシャ。愛してるわ」
「…え…?お母様?」
すると次の瞬間、母が家から持ち出してきた短剣を手に取り馬車から飛び出した。そして道の真ん中で追手の行く手を塞ぐようにして立ちはだかった。
「…アイシャ!絶対に逃げ切りなさい!そして必ず幸せになるのよ!」
「お、お母様!?何してるの!お母様ー!!」
私は母の取った行動を見て馬車を飛び降りようとしたが、祖母であるアイディールに肩を掴まれ母の後を追う事は出来なかった。
「い、嫌!!お母様ー!お母様ぁぁ!!」
……そして私がその時見たのは、大男の大剣で胸を貫かれる母の最後の姿だった。
****
気分の悪さを体に感じ、私はゆっくりと眠りから目を覚ます。
「…またあの時の夢か」
もうこの夢は一体何度見た事だろうか。私は悪夢を振り払うように頭をブンブンと左右に振り、床から起き上がる。
「…黒い牙…私は絶対に許さないからな」
あの時母は私に幸せになれと言ってくれた。だが私は過去に囚われ、その幸せというものを未だ掴めずにいる。
「…とりあえず顔でも洗ってくるか」
私は手拭いを手に取り近くの川に向かった。早朝という事もあり人通りも少なく、穏やかな時間がゆっくりと流れていた。
あの襲撃から10年、村はようやく平穏を取り戻した。だが私の心は、この村の平和を守る使命感と黒い牙に対する復讐心で未だ大きく揺り動いていたのだった。
その日私はレン殿から教えてもらったワーラビの胡麻和えという料理を祖母のために作っていた。
レン殿達が村に来て一ヶ月、彼等の尽力のお陰で村の食事も見違えるように彩り豊かなものとなった。
そして村の若者達もレン殿の訓練を受け、大きな成長を遂げていた。特にシンに至っては、身体強化を使っていない私と匹敵するほどの強さを身に付けている。いずれは父親を越える立派な戦士となるだろう。
こうして改めて考えてみると、まるで神が私達にレン殿達を引き合わせてくれたような気持ちにすらなる。本当に、彼等には感謝してもしきれない。
そんな事を思いながら調理を続けていると、テントの入り口に二つの人影が見えたので、私はその人物達を中へと招き入れた。
「レン殿にナナミ殿か。二人ともよく来たな」
「よう、アイシャ」
「やっほー。ん、何か作ってたの?」
「ああ。以前レン殿に教えてもらったワーラビの胡麻和えを作っていたのだ。大婆様もこれをいたく気に入っててな」
「そうか。それは良かった」
「それで今日は私に何か用か?大婆様は今用事で出かけているのだが」
「ああ、実はな…そろそろ拠点をここから王都へ変えようと思っていてな。今日はそれを伝えに来た」
その時、彼の口から出た言葉は拠点をここから王都へと移すというものだった。
考えてみればそうだ、彼等の才能はこんな辺境の小さな村一つに留めておいて良いものではない。いずれその時がくるとは思ってはいたが、いざその状況になってみると何とも言えない感情が込み上げてきた。
「…そ、そうか。それは寂しくなるな」
「でももう二度とここに来れなくなるというわけじゃないし、たまには顔を出すさ。山を通れば割りとすぐの距離なんだろう?」
「そ、それはそうだがあの山には森とは比べ物にならない強さの魔物が大勢いるんだぞ。まあレン殿達にはいらぬ心配なのかもしれないが…」
「危なくなったら全力で逃げるから大丈夫さ。だから心配するな」
「そうそう!身体強化を覚えたお陰で、逃げ足も凄く速くなったからさ!」
彼等は冗談とも本気とも取れるような口調でそう言った。だが事実、彼等の実力であればその辺の魔物に遅れを取る事などまず無いだろう。
そしてその時、私の頭の中では様々な感情が渦巻いた。
私も彼等と一緒に世界をまわる事が出来れば、いずれは黒い牙の足取りも掴めるかもしれない。そこでもし彼等の助力を得る事が出来れば、きっと奴らとも互角に渡り合えるはずだろう。
それに私は生まれてこの方、村以外での生活をした事が無い。まだ見ぬ世界というのは一体どんなものなのか。そういったものに全く興味が無いわけではなかったのだ。
「…なあレン殿」
「ん、何だ?」
「その…私もレン殿達と一緒に…」
「おや、レン殿とナナミ殿じゃないか。よく来たね」
「…ッ!」
祖母の声で私は我に返った。
…私は何という事を考えてしまったのだろうか。村の恩人である彼等を、私はただの私怨に巻き込もうとしてしまったのだ。
それに今はまだ村の戦士の数も圧倒的に足りない。今この状況で私が村から離れるわけにはいかないのだ。
グルグルと思考を巡らせていると、祖母との挨拶を終えた彼から声をかけられた。
「それでアイシャ、さっきは何を言おうとしてたんだ?」
「…え?ああ、いや何でもないんだ。気にしないでくれ…」
「…?そうか、わかった」
そしてしばらく談笑した後、最後の挨拶を済ますと彼等はテントを後にした。すると私の様子を見て何かを察したのか、祖母から声をかけられた。
「…本当にあのまま行かせて良かったのかい?」
「…ッ!な、何の事ですか大婆様…」
「…お前が決めた事なら私は何も言わないよ。それに彼等は本当に良い子達だからね」
「…はい」
…そうだ、きっとこれで良かったのだ。
私はこれからもギルカ族の戦士としてこの村を守り続けていく。いつまでも過去に囚われていてはいけないのだ。
私は自分にそう言い聞かせ、雑念を必死に振り払うように調理に没頭したのだった。
****
その日、私は眠れない夜を過ごしていた。
今から行けばまだ間に合うかもしれない。考えれば考えるほど、私は後ろ髪を引かれるような気持ちに苛まれてしまった。
そして床に入ってからどれくらい時間が経った頃だろうか。ふと、どこかで何か騒ぎが起きているような音が耳に入ってきたような気がした。
…またあの夢か。
だが今日はやけにその喧騒がリアルに感じる。
すると遠くの方から誰かがこちらに走ってくるような音が聞こえ、やがてその足音は私のテントの入り口でピタリと止まった。
「た、大変だアイシャ姉!」
「…その声はシンか。こんな夜更けに一体どうしたのだ」
「や、奴らだ!奴らが来やがった!」
「…!!」
シンの言葉で私の意識は一気に覚醒する。
シンも10年前のあの事件を経験している。そのシンが「奴ら」と呼ぶのはあいつ等しかいない。
「まさか…黒い…牙!」
私は飛び起きると、枕元に置いてあった槍を手に取り、そしてシンと共に騒ぎの元へと急いだ。
村の入り口に着くと、火の手が上がる中、若い戦士達が必死に盗賊達の足止めをしていた。レン殿の訓練の成果もあってか、若い戦士達も盗賊相手に決して引けを取ってはいない。
「貴様ら!ここをギルカ族の村と知っての狼藉か!我が名はギルカ族一の槍アイシャ!死にたい奴からかかってこい!」
「ケッ!餓鬼が二人増えたくらいでなに粋がってやがる!ぶち殺してやらぁ!」
すると盗賊の一人がシャムシールの様な三日月型の刀剣を私に向けて突き出してきた。私はその突きを半身で避け、すれ違い様に槍の柄を叩きつけ盗賊の首をへし折った。
「…なッ!」
「お、おい!コイツやるぞ!何人かで囲め!」
すると五人の盗賊が私を囲むようにして波状攻撃を繰り出してきた。さすがに五人を同時に相手するとなると私も油断が出来る状況にはならなかったが、それでもレン殿達を相手にする事に比べたら雲泥の差だ。
攻撃を避け続けていると、私が手を出してこない事を好機と捉えたのか、五人がアイコンタクトを取り同じタイミングで一斉に斬りかかってきた。
「死ねやアマぁッ!」
「死ぬのはお前達だ!!」
私は上段に剣を振りかぶった盗賊達の喉元目掛け、槍を横薙ぎに払うようにその場で一回転した。すると盗賊達の喉元から一斉に血が噴き出し、五人はそのまま地面に倒れピクリとも動かなくなった。
「さあ、次に死にたい奴はどいつだ!」
「…くッ!この餓鬼…」
仲間を一度に五人失った盗賊達は明らかに二の足を踏んでいる。だが未だ数は圧倒的にこちらが不利だ。もしここで更に増援が来ればいずれは押し切られてしまうだろう。
「…シン!いるか!」
「どうしたアイシャ姉!」
「ここは私が抑える!シンは隣街まで行って応援を呼んで来てくれ!あそこには王国軍の駐屯兵がいるはずだ!」
「え!?い、嫌だアイシャ姉!俺も残って戦う!」
「頼むシン!この状況で任せられるのはお前しかいない!」
「ア、アイシャ姉…」
私の頼みにシンが苦渋の表情を浮かべる。だがそれも無理はない。父親の仇が目の前にいるのだから。だが若い戦士達の中で身体強化が使えるのはシンだけだ。移動速度を考えたらシンの他に頼める者はいなかったのだ。
「…ちくしょう、わかったよ!」
「…済まないシン!シンが戻るまでここは必ず私が抑えておく!」
「すぐに戻ってくるからな!絶対に死ぬなよアイシャ姉!」
するとシンが身体強化を使い、村の外に向かって一直線に走り出した。だがシンが入り口から外に出ようとした瞬間、物凄い衝撃音と同時にシンの体が空中に吹き飛んだ。シンは何とか受身を取って地面に着地したようだが、手に持っていた槍は柄の部分が粉々に砕け散っていた。
「虫ケラが一匹逃げようとしてんなァ」
「…ッ!!」
その時、地鳴りのような野太い声が私の耳に入ってきた。
忘れもしないあの忌々しい声。
私は一瞬でその声の主が誰かを悟った。
「一人も逃がさねェぞ。とりあえずテメェは死ねや」
「う…うあ…」
すると次の瞬間、圧倒的な威圧の前で身動きが取れないシンに無慈悲な凶刃が振り下ろされた。
「…させん!」
私は二人の間に割って入り、その凶刃がシンに届く既の所を槍で受け止めた。今まで一度も体感した事の無いような物凄い衝撃に、まるで全身の骨が揺るがされるような感覚を覚える。
「…あァん?誰だテメェは」
「立てシン!そして早く行け!」
「で、でもアイシャ姉!そいつは!」
「いいから行け!こいつは私が抑える!」
「…く、くそッ!」
そしてシンは何とか立ち上がると、再び村の外へと向かい走り出した。
「…ちッ、一人逃がしちまったか。それでテメェは一体何なんだ?」
「…ふふ」
「あァ?何笑ってやがる」
「…やっと…やっと会えたな」
「悪いが俺はテメェの事なんざ知らねェぞ」
「…一つ聞きたい。お前は何のために人を殺す」
「理由なんてねェよ。虫ケラを殺す事に理由なんているのか?」
「…そうか。ならばもう何も聞くまい」
そして私は挨拶代わりに男の顔面を目掛け槍を突き出す。だが男は大剣の腹で軽々と私のその突きを弾いた。
「大方敵討ちってところか、下らねェな。まァ暇潰しくらいはさせてくれよ」
「…ほざけこの外道がぁ!!」
下らない事など百も承知だ。それにあの父ですら敵わなかった男だ。私が勝てる見込みはほぼ無いだろう。だが私はどうしても目の前の男に一矢報いたかった。
もし私が死んだら、天国で父と母はよく戦ったと褒めてくれるだろうか。
****
「くそッ…!くそッ…!!」
アイシャ姉に応援を呼ぶよう頼まれた俺は、無我夢中になりながら隣街へ向けて全力で歩を進めた。
だが隣町までは普通に歩けば四刻はかかる。身体強化を使って全力で飛ばしても片道で一刻、応援を呼んで村まで戻る事を考えれば少なくともその倍以上は時間がかかってしまうだろう。
「無理だ、間に合わない…」
…あの大剣の男。恐らくアイラスさんを殺したのはあの男だろう。
当時歴代最強と呼ばれていたアイラスさんを一瞬で倒してしまうような男だ。いくらアイシャ姉が強いといっても、俺が応援を呼んで村に戻るまであの男を抑えられるとは考え難い。そもそも応援を呼んだところで、一般の兵士レベルで倒せる相手ではないだろう…。
「…あの男なら…もしかすれば…」
その時俺は走りながら、ある一人の男の事を思い浮かべた。
正直初めてあの男を見た時は、いけ好かない余所者としか思えなかった。
だがあの男は俺がどれだけ辛辣な態度を取っても、ちゃんと正面から俺にぶつかってきてくれた。こんな事を言うのは不本意だが、今ではあの男の事はそこまで嫌いではない。
だが俺はそこで少し躊躇した。
アイシャ姉だってあの男の実力は知っているはずだ。それでもアイシャ姉が俺に隣街まで応援を呼んで来いと言ったのは、もしかしたら王都へ旅立つあの二人の事を巻き込みたくなかったからなのかもしれない。
「…だけど…俺は…」
そして気付けば俺は隣街ではなく、森の方角へと歩を進めていた。
これで俺はアイシャ姉の命令に背く事になる。その事でもし罰を与えられるなら俺はそれを甘んじて受け入れよう。
だが俺はギルカ族の皆を、そしてアイシャ姉を救える可能性が少しでも高い方に賭けたかったのだ。
「確かスイレンテイだったな…。みんな…アイシャ姉…待っててくれ!」
俺は一縷の望みを胸に秘め、千切れそうになる足を必死で動かしながら、全力でスイレンテイへと向かった。
****
「うらぁぁぁ!!」
私の放った突きが虚しく空を切り裂く。
シンが村を経ってからどれくらい時間が過ぎただろう。
感覚で言えばまだ一刻経つか経たないかくらいだろうか。
私は目の前の男に向けて全力で槍を繰り出し続けていた。だが十合も打ち合う頃には、その男と私とでは明らかにレベルが違う事を悟っていた。
私の槍を軽々と避けたその男は私の鳩尾に蹴りを入れてきた。物凄い衝撃と同時に私は後方へと吹き飛ばされるが、私は痛みに耐えながらなんとか体勢を保った。
「ぐッ…!く、くそッ…!」
「どうした。もう終いか?」
「五月蝿い!私はまだ…やれる!」
私は口の中に溜まった血を吐き出し、再び槍を構え直した。
辺りを見回してみると、若い戦士達も徐々に盗賊達に押し込まれ始めているのがわかった。このままでは応援が来る前に全滅になる事は必死だろう。せめて目の前にいる男に手傷の一つでも負わせる事が出来れば…。
「…そうだ…あの技を使えば」
その時私は昔父が得意としていた一つの技を思い出した。
その技はギルカ族に伝わる一撃必殺の槍で、会得するには相当な実力と修練が必要と言われている。私も過去に何度か試した事はあるが、結局ただの一度として成功させた事は無かった。
このまま戦いを続けていてもいずれはやられてしまうだろう。それなら一か八か、今の私にその技を使う事が出来れば或いは…。
「…お父様。私に力を貸して下さい」
そして私は大きく息を吐き、身体強化の魔法で腕と足、そして丹田を集中的に強化した。この技は攻撃に必要となる体の部位のみを強化して繰り出す、謂わば防御を完全に度外視した技だ。正しく一撃必殺。恐らくこの技を避けられたら私の命はそこで終わりだろう。
「…おい貴様。そういえばまだ名前を聞いてなかったな」
「名前だァ?悪いが弱ェ奴に名乗る名はねェよ。まあ俺の女になるってぇなら話は別だがな。よく見りゃ相当な上玉じゃねぇか」
「…ッ!誰が貴様の女になどなるか!ならば力ずくでもその名を聞かせてもらうぞ!」
そして私は地面を大きく蹴り、槍を中段に構えながらその男へ向けて突進した。
「…はッ!何かと思えば身体強化を使っただけの馬鹿正直な攻撃じゃねェか。そんなモンで俺を倒せると思ってんのか?」
その瞬間、男に一瞬の隙が生まれたのを私は見逃さなかった。
私は強化した足で地面を思い切り踏み込み、その場で爆発的な瞬発力を生み出した。踏み込んだ地面にクレーターを作り、私はそのたった一歩で男との距離を一気に縮める。
「…ッ!」
一瞬、男が焦りの表情を浮かべた。私は男の胸元に狙いを定め、強化した腕で神速の突きを放った。
「風牙!!」
槍を繰り出した瞬間、限界まで強化した手足がビキビキと悲鳴を上げた。だがタイミングは完璧だ。事実、目の前の男は身動き一つ取れていない。
「捉えた!」
…だがその刹那、私の槍が貫いたのは何も無い虚空だった。私が捉えたと思ったのは、その男が一瞬で攻撃を避けた時に生まれた残像だったのだ。
「…くッ!」
私は手足に猛烈な痛みを覚え、その場で崩れるように膝をついてしまった。すると私の背後から忌々しいあの声が聞こえてきた。
「…今の技。そうかオメェ、あの時のヤツの娘か何かか」
「…そうだ。やっと父の事を思い出したか」
「ハン、やっぱりそうか。確かにアイツは強かったなァ。いいぜ、今の技に免じて冥土の土産に俺様の名を教えてやろう」
そして私が後ろを振り向くと、不気味な笑みを浮かべながら大剣を上段に構えている男の姿が目に入った。
「俺様の名はガズハール。黒い牙の団長にして元ガインス帝国騎士団百人隊隊長、鮮血のガズハール様だ。あの世でこの名を何度でも復唱しな!」
ガズハールと名乗った男がそう言い終えると、上段に構えた大剣を私目掛けて振り下ろしてきた。
…思えば短い人生だった。
本音を言うならばもう少しだけ生きたかった。
戦うことしか脳の無い私だったが、いずれは父のような強くて優しい男と結ばれ、そして子を産み、またあの時のように幸せに暮らしてみたかった。
…もし彼と一緒だったら、私のそんなささやかな夢も叶えられたかもしれない。
「…レン殿」
私は最後に彼の事を思い、自分に訪れる死を受け入れゆっくりと瞳を閉じた。
すると次の瞬間、ガキンという金属同士がぶつかる様な音が耳に入ってきた。そして私の命を刈り取るはずだった凶刃がこの身に届く事は無かった。
「…アイシャ。無事か?」
その声に私は耳を疑った。
そしてゆっくり目を開けると、ここにいるはずの無い彼の姿がそこにあったのだ。
「少し待っててくれ。こいつは俺が何とかする」
私が状況を整理出来ずにいると、彼はそう言って私に優しく微笑みかけてきた。
その笑顔を見た瞬間、私は自分の胸の中で何かが大きく弾けたのを感じたのだった。
※一刻は凡そ30分程度の設定です。




