召使と親友との接触
昼三時を回ろうとしていた頃、ようやく奏汰は昼飯を作り終えた。自分以外の人が食べる料理のため、出来る限りの手を振るったが、失敗した時は覚悟しておくことにした。
「唯依――」
奏汰は呼び捨てで言った。先程リビングから出て行ったのを最後に唯依の姿が見えなくなったからではない。唯依が機嫌を悪くしていると困ったからだ。
仮に自分のせいで唯依が機嫌を悪くしてしまっているのであれば、それを直してやる事が重要だろう、と思ったのである。奏汰は、自分自身を「捻くれ者」だと思っていることに違いはないが、それは容姿などに関しだけであり、基本的に捻くれているわけではない。
「ど、どうしま……」
玄関の方、トイレに近いところに唯依は居た。腹でも壊したのか、と奏汰は疑問に思い口に出そうとしたが、口にだすのをやめた。下手に絡むのはダメだ、と言い聞かせたのだ。
特に根拠といったものは無かったが、互いに口数が少ない中で、更に口数を少なくさせるのを躊躇った形だった。
「あ、あの……」
しかし、奏汰の躊躇いなど気にすることなく、唯依は奏汰に話しかけた。
「ど、どうかしまし……」
「キ、キスしてしまって……その、ごめんなさい……」
ぺこりと頭を下げて彼女は謝った。目をぎゅっと閉じて、相当反省しているようだったが、奏汰は決して謝って欲しいわけではなかった。むしろ、キスをしてもらえて嬉しかったのが奏汰の本心であった。
ただ、そういった下心を丸出しにすることもなく、奏汰は冷静沈着な対応を心がけた。
「だ、大丈夫だ。別に、ほら、欧米じゃこういうのは……」
奏汰は、自分自身で言った言葉でさえも変な言い訳でに聞こえた。奏汰が居るところは新潟。日本だ。アメリカではない。イギリスでもない。フランスでも、オランダでも、ドイツでもないのだ。ここは日本だ。だから、それは墓穴を掘ったも同等であった。
「あ、別に私、髪の毛金髪ですけれど、欧米人というわけではないんですよ。『冴時』っていう風に、ちゃんと私は日本人だし、親も日本人……」
どうやら、奏汰が受け取った事と唯依が受け取った事は、同じ内容でも受け取り方が違ったらしい。別に奏汰は、彼女の髪の色が何故金色なのかということを聞きたいわけではなかった。
どうせなら、自分が掘った墓穴を思い切り壊して欲しかった。バカにして欲しかった。けれど、口で言わないとなかなか通じ合えないのだろう。
たとえ主人と召使、と言ってもまだまだ一日も経っていない仲である。仕方がない。
「そ、そうなのか……。ところで、昼ごはんを二人分作ったんだが、食べるか?」
奏汰は、敢えて「食べるよな?」と聞くような真似はしなかった。彼女が自分自身の言い分を鵜呑みにするようになって欲しく無かったのである。
「た、食べますっ!」
唯依はそう言った。その目は、キラキラと輝いているのがわかった。ご飯に釣られたのか、それとも食欲に釣られたのか。
いずれにしろ、ご飯に関係することで釣られたのは確かだろう。何せ、今までとは打って変わって、目がキラキラ輝いているのだから。
「えと、その、これでも俺あんまり料理得意じゃないからさ、仮に不味かったら、普通にそのまま、自分の思いのままに言ってくれて結構だから。主人に逆らえないとか、そんな風な規約みたいなのが有ったとしても、俺はお前の発言権を束縛したくはないから」
「いえ、別に規約なんてものはないんですよ。ただ、召使は基本的に主人に従順ですので、そこから奏汰様が思われているように、『束縛』という風に捉えられてしまうだけで……」
「そ、そうなのか……」
つまり、奏汰がこれまで行ってきたことは、考えてみれば余計なお世話ということなのだ。期待してもいないような真似を、奏汰は散々行ったわけで、唯依はやっぱり『余計なお世話』という風に最初から受け取っていたのだろう。
「取り敢えず、お昼ごはんを食べましょうか、奏汰様」
奏汰が、自分の悪態に頭を抱えている最中、召使である唯依はそういった。唯依は、決して奏汰を心配していないわけではなかったが、出来る限り話を逸そうとした。これ以上は会話も弾まないのだから、いっそ会話を断ってしまおう、と思ったのである。
「ああ、じゃあ、食べようか」
奏汰もそれを感じ取った。そして、リビングに戻って昼飯を食べ始める。
「美味しい……か?」
それほど自信作というわけではなかった。むしろ、奏汰はその料理を失敗作だと考えていた。自分自身が口にその料理を運んだ時、いつもとは違う味がしたのだ。勿論、いい意味でではなく、悪い意味でである。
元々料理が下手な、苦手な自分が不味いと思ったのだから、唯依にも「不味い」と言われるだろう、と奏汰は思っていた。
だが、奏汰の作った料理に対し、唯依はきついコメントなど一切つけなかった。
「はい、美味しいです……」
初めて言われた。親以外で、家族以外で、初めて。初めて、誰かに自分の手料理が「美味しい」と言われた。自信作ではなかった。むしろ失敗作だった。なのに、それなのに。
「……そんなに私の顔をじっと見て、何か付いていますか?」
「いや……」
奏汰は、褒められたことに相当な喜びを感じ、「もっと言って欲しい」なんていう思いを抱き始めた。結果、目の前の召使である唯依をじっと見てしまった。当然、奏汰は唯依に言われるまでそのことに気づいていなかったため、顔を真っ赤にして照れる。
「付いていないのですか。それなら良かったです」
そう言うと、唯依は微笑した。その後、お茶を少量ながら飲み、彼女は汁物を口に運んだ。今日のお昼ごはんの汁物枠は、『豚汁』である。別にインスタントと言うわけではない。奏汰が入学式の朝、つまり今日の朝に作っておいたものである。
「美味しいです」
唯依の反応に、奏汰はホッとした。まあ、豚汁に関しては奏汰の得意な料理の一つであった。肉じゃが、炒飯、オムライスに並ぶ、奏汰の四大得意料理の中の一つだからだ。
「……ところで、唯依は敬語をいつまで使っている気なんだ?」
『いつまで』と言っても、別にそれほど長い期間敬語を使っているわけではない。何せ、まだ奏汰とあってからほんの一時間程度しか経っていないのだから。
「すいません、奏汰様。敬語の件に関しては、変えることは出来ないのです……」
「どうしてだ……?」
「私は、本当の私を知らないんです――」
「ど、どういうことだ……?」
「私は、先程も言いましたが、昔の記憶を失っています。父に対する感情だって、人に教えられて、初めてそれを感じました。だから、基本的に記憶が無いんです。記憶を作るしか出来ないんです。昔の私の記憶を取り戻せる技術なんか、今の時代には無いですし」
「そ、そうなのか……」
「仕方ないじゃないですか。魔法を手に入れる事は、記憶を消去することなんですから」
信じられなかった。記憶を消去、なんて事をそんな淡々と話せるなんて。だが、彼女の瞳はうるうるしていた。涙目になっていた。だから、感情は有るらしい。
唯依は、奏汰が自分のほうを見て来たのを見て恥ずかしくなったのか、掛けていた赤縁の眼鏡を曇らせて、涙だとかが無かったことのように振る舞う。
「おい、眼鏡曇って……」
もちろん、考えて眼鏡を曇らせたなど、奏汰は一切知らない。だから、唯依は特に気にすることなどなく、眼鏡を曇らせた。
「……あ」
「ど、どうかしましたか?」
「唯依、お前眼鏡外したらどんな感じになるんだ?」
「えっ……」
別に『絶対』やって欲しいわけではなかったが、それでも奏汰は、唯依にやって欲しいという感情を抱いていた。眼鏡は掛けるだけで印象が変わるからだ。だから、眼鏡を掛けていない彼女の姿を見てみたいと思ったのである。
「……み、見てみたいんですか?」
曇らせた眼鏡に映る、照れた彼女の表情。頬を少々ながら赤く染め、右の方向を向く。奏汰は、コクリと首を上から下に動かして「うん」と言う。
「――わ、分かりました。わ、笑わないでくださいね?」
「お、おう……」
奏汰はぎごちない返答をした後、ゴクリと唾を呑んだ。一方の唯依は、一度深呼吸をしてから心を整え、「じゃ、じゃあ……」と眼鏡を外し始める。
唯依が眼鏡を外し終わった後、その方を見た奏汰は、その可愛さに心を奪われた。
「―――」
ドキドキし、心拍数が上昇していく。自分の頬が紅潮していくのが分かる。そして、召使に対して「可愛い」という風な印象を持っている自分がいる……。奏汰は、そんな事を心のなかで考えながら、口に出さないよう気をつける。
「な、なんかコメントください! こ、こんなの恥ずかしいですっ……!」
一々反応が可愛いから困る。あんなに強そうな印象を与える反面、こんな可愛い表情をされると、ギャップのせいで萌えてしまう。それに加え、二人きりであることも意識してしまうので、その点でも奏汰は照れてしまう。
全く、これだから童貞は……と奏汰は自分に言い聞かせて、何とか落ち着こうとするが、それはなかなか難しい。
「か、可愛い……な……」
そっぽを向いて照れ隠しをする奏汰。そして、「可愛い」と言われて更に顔を紅潮させていく唯依。そんな二人が何も喋らなくなって静まり返ったリビングに、インターホンの音が鳴る。
そのインターホンの音に、奏汰が先に反応して玄関の方へと向う。その際、捨て台詞のようにして、奏汰は唯依に言った。
「へ、下手してもその、玄関の方に出てくるような真似はしないでくれ。その、居候とかさ、話し通用しないと思う人が来るだろうから」
「ど、どういう……」
「後で話す」
この時、奏汰は何となく分かっていた。インターホンを押した奴が誰であるのかということを。もちろん、こんな真っ昼間に来る奴なんてあいつしかいない。そう……。
「やあ」
玄関の扉を開けたところに立っていたのは帆人だった。自分のデコの上でピースをし、ウインクをする彼を見ていると、奏汰は吐き気がしてきた。
だから、吐き気を一度抑えるため、奏汰は玄関の扉を一回閉め、落ち着いてから再度開けた。
「な、なんだよ。俺が気持ち悪いのか」
「違うよ。ただ、さっきのウインクにピースってやつがガチで吐き気したから……」
「ああ、それなら俺も狙っていたから別にそういう反応で大丈夫だと思うぞ」
だよな、と奏汰は首を上下に振った。それから、帆人は「家に上がっていいか?」と奏汰に聞いた。まあ、そうでもなければインターホンを鳴らした時に断るはずなんだが、どうやら帆人はそこまで考えていなかったらしい。
でも、聞かないと聞かないで困る。
「じゃあ取り敢えず、俺の部屋に行こう」
「そうか。……って、おい」
「な、なんだよ?」
「お前の家ってさ、妹さんも母親も居ないんだろ? それに、父親は出張中……」
「げっ……」
「じゃあ、この女物の靴は、一体誰のもなんだろうかね……。まさかセフレの……?」
「ちっ、違う! 断じて違う! それはただ、居候してる奴の……あっ……」
「ふぅん……」
ニヤける帆人。帆人と奏汰は高校生来の友人である。共に「親友」という解釈のもとで居るが、今の帆人からはどことなく「幼なじみ」という風なイメージが伝わってくる。
「よし、その居候している可愛い子ちゃんを激写するために上がらさせてもらおうか」
「なっ!」
帆人の脳内には、居候している奴が「男」だという認識はないらしい。まあ、事実居候している奴は女の子だが、それでも何故だ? ……あ、靴か。靴のせいか。靴は女物だ。
奏汰は、自分が墓穴を掘った事を恥ずかしく思い、帆人を部屋へ連れて行こうと、居候している女の子を見せないようにしようと、必死に抵抗をする。だが、その抵抗虚しく、女の子の居るリビングの方向へ、帆人は一直線で歩き出した。
「……っ!」
リビングのドアを開けると、そこには当然ながら唯依の姿があった。帆人は、彼女の姿を見たと同時、リビングのドアを素早く閉め、動揺しながら帆人に話を切り出す。
「なんだよ、あの子……。金髪で、蒼眼で、赤縁の眼鏡掛けてて、女子高生とか……」
「いや、女子高生かどうかはまだ定かではないというか……」
「で、奏汰。お前は、あの女の子におさわりしたわけ? あの子を脱がせたりしたわけ?」
「なっ……!」
まあ、帆人とは『親友』という括りであるだけ、それなりに知ってはいるつもりだったが、やっぱり聞いてきたか。本当に、こういう下心丸見えな質問はやめて欲しいものだ。
「まだだよ。風呂に入ったこともなければ、料理を作ってもらったこともない。当然、触ったり脱がせたりしたことなんてまだ……」
「じゃあ、夜……」
「お前もう黙れよっ! それ以上はダメだろっ! 下心丸出しすぎだぞ、変態リア充っ!」
恐らく、『夜の行為』と言おうとしたのだろう。奏汰はそれを止めたかったが故に、大きな声でそうやってツッコミを入れる。全く、入ってきた来客はとんでもない奴だ……。
「ところで、奏汰。お前にもう一つ聞いていないことが有るんだが……」
「な、なんだよ?」
奏汰が訊き返した時、帆人は訊き返しの言葉を待っていたかのように、すぐ言った。
「――キス、した?」
親友からの思いがけない言葉だった。もし仮に、目の前に居る人が『親友の男』ではなく、『幼なじみの女』であれば、それはもう『修羅場』としか言えないだろう。ただ、今回は修羅場というわけではない。
……というより、帆人は結構リア充な方だし、これでも自分はまだまだリア充ではない、と奏汰は言い切ろうとしたが、居候している女がいる時点でリア充だろう、ということには反論ができなかった。
そんなことを考えているのは一先ず置き、奏汰は先に帆人の質問に答えた。
「それは……その……」
「したんだ。……羨ましいな、おい。俺だってまだ幼なじみとも、義妹や義姉とも、彼女ともやってないんだぜ……。あっ、幼なじみは小さい頃にやったっけなぁ……なんて」
「まじかよ……。つか、お前恵まれすぎだろ。日本人の黒髪幼なじみと、アメリカ人の金髪幼なじみ、それに加えて義理の姉妹も居るとか、完全にリア充で勝ち組じゃないか!」
さっき考えていたことを奏汰はそのまま話す。反論できないことをふと思い出した時にはもう遅く、奏汰が言ったことに帆人が既に反論を始めていた。
「いやお前、居候している奴が女の子の時点で勝ち組だろ……。しかも美少女だし……」
「そ、それは……」
またやってしまった。奏汰は、自分自身が言った言葉に責任をもつことは重要だということを学んだ。それは、自分が恥ずかしい目に合わないためにも必要なスキルでもある。
「まあ、とにかく。お前のお父さんは今、出張中なんだろ?」
「だから、なんでお前その情報……」
「お前、今日入学式の後、教室で俺に言っていただろ。『俺、今日親不在だから夜遅くまで遊べるぜ』って。だからお前の家に来訪したというのに、お前はエロゲー展開真っ只中」
「―――」
確かに、考えてみればエロゲー展開であろう。仮に相手の女の子が『召使』とはいえ、その身体は『人間』であろう。だから、エロゲー展開だって出来ないことはないのだ。
「でも、お前のことだから手とか出さないんだろ? ……本当、ライトノベルの主人公ってチキンハートな奴多すぎだろ。それに鈍感な奴ら多すぎ」
「まあ、それは確かに言えなくもないな……」
「だろ。それに加えて、『ぼっち』とか言っているくせに『ぼっちではない』ことも有るから質が悪い。『何がぼっちだ。ラブコメしてんじゃねえか!』って話だよ、全く」
「まあでも、そういうのを好んでいる萌え豚さんが居る限り、その手の話は無くならないだろう。例えば、君みたいなヲタクで萌え豚な奴が典型的だな」
「いや、俺は決して『萌え豚』なんかじゃないぞ。確かに、二次元嫁の水着バージョンのフィギュアも数多く持っているが、萌え豚というわけでは……」
「じゃあ、帆人は今期のアニメ、どんなやつを見ているんだ?」
「げっ……!」
突然、帆人は返答をしなくなった。どうやら、萌え豚だということは確定らしい。断定してしまうと、すぐに思考停止になってしまうのが奏汰の特徴だったが、今回はその特徴に則り、帆人の言い訳など一切聞かないようにした。
「と、取り敢えずだな、俺はひと通りのアニメは三話まで見ている。そ、そこからは色々と切ったり(視聴しないこと)しているが、別に萌え豚というわけでは無い……」
「いや帆人、そういう言い訳、痛いだけだから」
「だ、だから……っ!」
「ごめん、そういう話は受け付けられない。済まないが、俺はお前を萌え豚と認定する」
その瞬間、帆人はその場に跪いた。唖然とした表情を浮かべ、震えながら言う。
「なん……だと……?」
「ふっ……。残念だったな、貴様は今日から……萌え豚だッ!」
「どういう……ことだ……」
なんともまあ、名言のオンパレードであったわけだが、奏汰はそれを一旦止め、すっかりアニメネタに入り込んだ帆人を自室へと誘導しようとする。
「ささ、帆人君。俺の部屋に行ってくれ。さあ、早く!」
奏汰がそういったのに対し、帆人は抵抗を見せた。自分のことを軽く馬鹿にしているのは日頃から奏汰は何かと感じていたが、人の家でもしてくるとは……と、少し軽蔑した。