プロローグ
教育とはなんだろうか。いじめが多発する昨今、親と学校は協力してこの現状を打開しなければならない。
あの頃僕は純粋にそう思っていた。
教師になることが夢だったわけじゃない。幼稚園の頃はウルトラマンになりたかったし(文集に書いていた)、小学生のころはパン屋だったと思う。中学生から高校生のころは、夢を持つ、ということを忘れてしまっていたけど。
僕が教師になろうと思ったのは、最近よく聞く、いじめ問題を考えたかったからだ。
痛ましいと思っていた。いじめも、その結果自殺してしまうことも。
中学教師一年目、僕はそんな問題が起きたら、何とか解決できると思っていた・・・
子供たちを、救えると思っていた・・・・・・・・
プロローグ
「どうしてなにもしてくださらないんです!?」
耳に突き刺さるような金切り声に俺は顔をしかめた。職員室は静かなものだと相場は決まっていたはずだ。
それがどういうわけでババ・・もとい四十代女性が騒ぐ空間になっているのか。
俺は一年生を受け持つ教師の集まる一角にいた。デスクは女性のそれとは程遠い、ある種男らしい状態となっている。
「派手にやってますよねえ、最近いつもですよ河原さんのお母さん。」
俺の隣のきれいなデスクには、いつのまにか俺と同じ新任の西條先生がいた。
「そうなの?今日初めて見たけど・・・」
隣でお茶をすすりだした西條先生に聞く。
「桐生先生はいつもこの時間どこかへ行ってるじゃないですか。」
そうだったか。そういえば最近、屋上で寝る・・・というかブレイクタイムをとっていたんだっけ。今日は宿題のチェックが終わっていないので、せっせと終わらせていたわけだが。
「河原さんって1組だよなあ?なんかあったの?」
俺は新任で、一年生に歴史のみを教えているペーペーなので、各クラス事情に疎い。
「知らないんですか!?もう・・・新任とはいえ半年たってるんですから、アンテナ立てたほうがいいですよ、先生」
んなアンテナ立ててもめんどくさいだけだろうが・・・思ったが言わない。また怒られる。
「河原さんはいじめにあってるって相談したらしいんですよ。でも全然解決につながらなかったみたいで・・・ここ一か月はお母さんが校長に直談判。」
いじめか。嫌な響きだ。
「うちの恵美ちゃんはいっつも家に帰ってきて泣いてるんですよ!!! 対応がひどすぎるんじゃありません!?」ビクッとして目をやると、厚化粧のババ・・・もとい河原恵美の母親が教頭に向かってわめいていた。
「うわあ、びっくりした。」
お茶をこぼしそうになりながら西條がいう。俺も多少驚いたが。
「まあ、しょうがないんじゃないの。1組の担任、香山先生だろ?定年前のあの人に、いじめの相談はディープだぜ。」
俺は西條先生のデスクのクッキーに手を伸ばしながら言ったが、すぐさま手をはたかれ、
「そういう問題じゃないでしょう!生徒が相談しに来てるんですから!」
おお、さっきより驚いてしまった。西條先生は、俺の雑な返答に厳しい。だから思ったことをいうのを抑えているんだが、ついやってしまう。
西條先生は名門女子高を出て、W大学にすすんだ才女らしい。正義感も強く、今の学校の現状(よく知らないが)に嘆いた結果、中学教師になったそうだ。俺とは真逆だな。
「まったく・・・香山先生もですけど、対策室はなにをやってるんでしょうか・・・」
対策室。
正式名称を「校内秘密相談対策室」というそれは、ここ2,3年で設置されたものらしい。その任務は名の通り、簡単には相談できないようなことについて、対策室の担当者が相談に乗り、解決を図る、というものだ。カウンセラーみたいなもんか。うちの中学にもあったような気がする。
どうやら河原恵美は対策室にも相談していたようだ。
「対策室の担当者って・・・」
恐る恐る聞いてみる。
「先生は何も知らないんですね!」
なんかヒートアップしてきたなあ、西條先生・・・ 怖い怖い。
「昨年までの担当だった方が転任して、今年から豊田先生が担当なさっているんです。」
ああ・・・それでか。河原恵美の相談が解決に至らない理由がわかったような気がするな。
「あの人、見るからに世間体気にするタイプだからなあ。どんだけ親身になってあげたのかねえ。」
やる気のない担任に、世間の目を気にする対策室担当者か。そりゃいくら相談しても解決なんてできないだろう。でも、河原恵美についての問題はこれだけでは終わらないような・・・
「これじゃあ河原さんがかわいそうです!」
西條先生はまだ憤っているようだ。こういう人を教師の鏡って言うんだろうか。一年目だからよくわからん。
「それはどうかなあ、西條ちゃん。」
急に話に入ってきたのは、体育教師の岡本先生だ。青いジャージ姿で、教師でありながら茶髪、ピアスを躊躇することなくつけている、チャラチャラ系だ。ここに赴任して3年目らしいが、その見た目による保護者からの抗議がよくあるらしい。生徒からはさばさばした性格が人気のようだが。
しかしその実態は・・・
「河原恵美のほうにもいろいろ噂があるんだよお!」
ただのゴシップ好きである。
「噂?」
西條先生より聞きやすいので聞いてみることにする。
「お? さすが桐生君。興味あるよねえ?」
乗ってくれたことがうれしかったようで、ニヤニヤしだした。
「いいから早く答えてくださいよ岡本先生!河原さんがどうしたんですか!?」
「はは、分かった分かった。実はねえ、河原ちゃんって〈かまってちゃん〉らしいよ。何でもないようなことを大げさに言って、心配してもらうっつーことが趣味っつーか癖らしい。」
〈かまってちゃん〉か。それに近いようなやつ、同級生にいた。何でもかんでも先生に言いつけるやつ。それで先生に心配してもらう、同級生に謝ってもらって満足するやつ。そのタイプか河原は。でもそれにしたって・・・
「それがこんな大事になるほどですかね?その情報は確かなんですか?」
西條先生はすでに半分以上河原恵美の味方なので、岡本先生のことを疑っているようだ。
「俺の情報に間違いはない!俺のクラスの生徒から裏は取ってある!」
教師が自信満々に言うことかそれは。
「人に聞いただけではわからないじゃありませんか」
「なんだ?俺のクラスの優秀なしもべ・・・生徒が嘘をついてるっていうのか!成績に色つけてやるっつったのに、嘘つくわけねーだろ!」
岡本先生が反論するが、ちょっと待て、ほんとに教師かあんた。
西條先生は口をパクパクさせながら、
「し、信じられない!」
どっちがだ? 河原の情報か?岡本先生自体がか? ともあれ俺も河原恵美に疑問を抱き始めたので二人に投げかけてみた。
「対策室ってのはよ、誰にもいえねえようなことを相談するんスよね?だとしたら、河原はけっこうおおっぴらにしてるよなあ。自分のいじめ問題を。」
西條先生は驚き、岡本先生はうんうんとうなずく。
「担任、親、対策室、岡本先生の口ぶりだと、他にも言ってそうだよな。〈かまってちゃん〉説も否定できねえところだろ?」
確証はない。だが、この問題が香山や豊田のせいだけだとは思えなかったのだ。
「そうなんだよ桐生君!俺は河原は度が過ぎた〈かまってちゃん〉だとみているんだよ!」
岡本先生までがヒートアップしてきた。正直めんどくさいことこの上ない。
「でも、河原さん本人に話を聞かないとわからないでしょう!?」
西條先生はまだ河原寄りらしい。気持ちはわからんでもないが。
「そこまでは知らねえよ西條ちゃん。俺は噂が好きなだけで事実には興味ねえし。」岡本先生、すがすがしいほどのくずっぷりだ。でも、それには俺も同意見だ。関係ねえのに首突っ込むのはどうかと思うような問題だから。真偽はどうあれ、いつか解決するんじゃねえの?
ガラガラ、ピシャン!!! 大きな音とともに、職員室の扉が閉まった。どうやら件の河原の母親が帰ったらしい。察するに解決はしてねえらしい。こりゃ明日も来るな。
「まったく河原恵美のお母さんにも困ったもんですなあ」
教頭と豊田先生の会話が耳に入ってくる。
「対策室なんてのにそんなに期待されても困るんですよねえ」
「本当だよ、そんなに学校のせいにしたいのかねえ。モンスターペアレントっていうの?ああゆうの。」
そんなこと言っていいのかと思うような会話だ。俺はいいが黙ってないのが俺の隣にいるんだよな。
「ちょっと待ってください!!!」
職員室が静まり返る。 めんどくさいことになってきた・・・
「なんですかな西條先生、大きな声を出して。」教頭がいう。
「河原さんのお母さんは真剣に娘さんのことが心配なんですよ!?どうしてそんないいかたができるんですか!?」
「西條先生、あなたはこの問題についてほとんど何も知らんでしょう?首を突っ込まないで頂けるかね」
豊田先生が反論する。彼は新任の西條先生をなめている。その程度じゃ引き下がらないぞ、この人は。
「本当にきちんと調査したんですか!?河原さんに事情を聞いたんですか!? 子供に悩みを、熱意を持って解決しようとするのが教師で、対策室じゃないんですか!?」
西條先生の憤りの気持ちもわかるが、相手は古株の教頭と豊田先生だ。新任が口答えしていいもんじゃない。俺だってわかることだ。
「対策室ってのが、どれだけ大変なのかわからんだろう!私は生徒会の担当もしているんだ。そっちの活動を導くのでもいっぱいいっぱいなんだよ。そんなに私を非難するなら、君がやってみればいいじゃないか」
豊田先生も大人げねえなあ。じゃあ担当者にならなきゃよかったのに。
「ただし、君だって文化祭実行委員会の担当者に立候補しただろ。それで対策室がおろそかになるようなことがあったら・・・どうなるだろうなあ」
豊田先生お得意のプレッシャー攻撃だ。西條先生はやります!といいたいだろう。ただ、最悪のことも考えてしまっているはずだ。正義感が強いからこそ、どちらかが蔑ろになることを恐れている。そんな感じだろうか。
「西條先生は、新任です。どちらかひとつで精いっぱいでしょ」
岡本先生が助け舟を出す。
おお、俺は岡本先生を見損ないすぎていたようだ。さすが、人生の先輩だ。
「ここにいる桐生先生が新しい担当者になりますとも!!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?
「そうなのかね?しかし桐生君も新任では?」
「新任とはいえ、彼はもう26です。任せてもいい年齢では?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?
いつもは割と冷静な俺も、この展開にはついていけなかった。
「ちょっと岡本先生何言ってんですか!?正気ですか!?」
俺はもちろん食い下がる。
「いやいや麗しい西條先生が困ってるんだよ?助けたげるのが同期でしょ?年上なんだからリードしてやんないとさあ」
勝手なことを吐き散らかすなこの野郎・・・・!
俺は職員室の隅に岡本先生もといクズ悪魔を追いやった。
「そんなめんどくさいことしたくて教師になったんじゃないんですよ俺はあ!」
「まあ聞け。こっちもなあ・・・キミのブレイクタイムのこと、この場でバラしたくないんだよなあ」
うぐ・・・ゆすってきやがった・・・
「なんでそれを・・・」
「いっつも放課後屋上で寝てるから、カップルが困ってんだって!うちのしもべ達が言ってたぜ?」
ぬぬ・・・気づかぬところで青春の邪魔をしてしまっていたのか・・・
「好都合に君は担当教科以外にはほぼ活動してない文芸部の顧問しかしてないだろう?やってやりなよ」
「なんでそんなに俺にやらせたいんですか!不自然ですよ!」
「だって・・・」
岡本先生の答えは俺の想像を悪い意味で超えるものだった。
「そのほうが、面白いじゃん」
「なんなんだね!結局桐生先生がやるのかね!?」
豊田先生は痺れを切らしたようで、隅っこでもめている俺たちに怒鳴った。
「桐生先生・・・お願いできますか?私も精いっぱいサポートしますから!」
誰のせいでこうなった・・・といいたくないわけでもないが、女に頼られるとやっぱ弱い。
「わかりました。誠心誠意努めさせていただきます。」
自分でもびっくりするほどの抑揚のない声で俺は宣言した。
「ふん、新任とはいえ、責任を持ってまずは河原恵美の問題を解決するんだぞ。」
あんたがきちんとやってりゃ・・・これは本当に豊田先生に言いたかったが、我慢だ、我慢。
「責任重大じゃないか!面白・・・いや素晴らしいよ桐生くん!頑張りたまえよ!」
こいつは有無を言わさずブン殴ってやりたい。いやいいような気がする。殴ろう、もう今殴ろう!
「河原さんの相談がどうあれ、相談を持ちかけてきたことに意味があるような気がします。先生ならできます。意外に生徒からの評判、いいですよ!」
殴ろうとしたところで、西條先生が激励の言葉を送ってきた。
ああ・・・文化祭実行委員会の担当のほうが楽そうだなあ・・・替わりますよ、なんて言える空気じゃない。
なんだかいろいろなことがあった。いや、集約すれば俺が対策室の担当になったっつーだけの話だが。一人暮らしのアパートに帰ってからも、ずっと考えていた。別に俺は生徒の手助けがしたくて教師になりたかったわけじゃない。が、生徒を知ることは、対策室でできるんじゃないだろうか。
そうだ、前向きに考えればいいんだ。河原恵美を助けるなんてこと考えるな。現状を知ることだけ考えよう。
そうと決まれば初仕事を嫌だけど頑張ろう。やることはいっぱいあるが、まずは河原恵美本人に話を聞かなければならないな。〈かまってちゃん〉かどうかってことも、そこで見極められたらいいさ。
今日はもう寝る。おやすみ。
プロローグ 終
今後続きをどんどん書いていきたいと思っております。感想・評価等ありましたらありがたく読ませていただきますので、よろしくお願いいたします。