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コーヒー

作者:

「コーヒーってのは、人生を要約したようなもんだよな」

 何年前だろう。

 十年以上前に、我が父はそう言っていたような記憶がある。

 マグカップに入ったコーヒーを飲みながら、ふと思いだされた。


 紅の澄んだ色の光を纏った曙の陽が俺の全身を緩やかに照らしつける。

 それは俺の飲むコーヒーの色とは対照的だ。

 俺のコーヒーは白っぽく濁った薄茶色をしている。

 ミルクだの砂糖だのをコーヒーの中に入れて混ぜれば、そのような濁ったコーヒーが出来上がるのだ。

 と、「のだ」と言って偉そうな表現をしても、単に飲みやすくしただけ、と言う話なのだが。


「コーヒーの味は人生の中から苦痛を取り出して出来た味で、コーヒーの香りは人生の中から幸福を取り出して出来た香りなんだよ、俺はそう思う」

 父はそんなことも言っていた。父の言う”人生の要約”とは”人生には幸福と苦痛がある”と言うことと俺は解釈している。


「だが、香りを嗅ぐだけではこのコーヒーの、本当のよさが分からない。口に入れて香りを楽しんで初めて、本当のよさが分かる。

 苦痛を味わった人間こそが本当の幸福を知ることが出来る、俺はそう思っているよ。

 まあ、苦痛との対比で幸福が強く感じられるって言うしな」

 父の”名言”は以上である。

 父はよく「コーヒーの香りは好きだが、味はあまり好きではない」と言っていたように、味わうことには少なくとも苦痛に思っていたようだ。

 しかしそう言っておいて父は、香りが損なわれると言ってミルクや砂糖は決してコーヒーの中に混ぜたりはしなかった。

 父曰く”純粋な幸福を味わうため”だそうだ。


 だが俺は今、コーヒーにはミルクと砂糖を混ぜて飲もうとしている。

 ブラックコーヒー――すなわち砂糖やミルクを使わないコーヒーのことだが、俺はそれを飲めないと言うことはない。

 飲めないことはないが、俺は甘いコーヒーのほうが圧倒的に好みなのでブラックコーヒーは基本的には飲まない。

 だから俺が父の言う”苦痛”から逃げているのか、と言うと、そうは思わない。

 幸福は人それぞれ、苦痛も人それぞれ。

 そうであるならば、この飲み方は手間が少しかかる代わりに味を”幸福”にしているようにも思う。

 俺自身が幸福を創出している、と言えば言い方は良過ぎるかも知れないが、俺はそう思う。


「いい香りだ。味が苦痛だが、スッキリした飲み口にいつまでも口と鼻にたまり続ける香りがたまらん」

 たまり続けるのにたまらんとはどういうことか、と幼少の俺は言ったものだが、今はそんなことは重要ではない。

 これも父の”名言”……名言ではないが、先ほどの話から続くものである。

 父が言うには、ミルクと砂糖が入るとどうしても味がべたついて、香りを感じにくいらしい。

 だからこの苦痛な味を薄めないし、幸福を創出したりもしないようだ。


 俺は考えるのをやめて、コーヒーを一口に飲み干した。

 甘い。そして、香りも良い。世界になんの不幸もないような、そんな飲み口だった。

 その味を意識したのは、父の”名言”を思い出した今日だけではあるが。


 だがこの味には、余韻が残らない。

 父の言う”本来のコーヒーの香り”は多分に余韻を含んで、長い間幸福を味わい続ける事が出来るらしいが、俺が創出したこの幸福は、味と香りを楽しんだらそこで終わり、余韻など全く残らないのである。

 結局父の”名言”を、今日に限って何度も思い出してしまう。


 幸福は苦痛の先にある。


 父はすでに俺の近くにはない。

 一応実家で元気にしているのだが、父に言わせれば俺の創出した幸福は「偽りの幸福だ」と言われるかも知れない。

 苦痛のない世界では、幸福は当たり前であって、幸福は”平常”に変わるのかもしれない。

 そう考えると俺は幸福を”創出”しているのではなく、苦痛を幸福に”変換”しているだけではないだろうか、と思い始めた。

 幸福が苦痛の先でなくなる。

 コーヒーの香りが苦味の先にあるものではなくなる。

 味が幸福で、香りも幸福。

 だが幸福の先にある幸福と言うのは、弱く感じてしまう。

 父が本当に言いたかったのは今になって”人生には幸福と苦痛がある”と言うことではなく”苦痛を味わった人間こそが本当の幸福を知ることが出来る”と言うことと”苦痛との対比で幸福が強く感じられる”と言うことを言いたかったのではないか、と少しだけ思った。


 父は、苦痛を耐えてその先の幸福を目指して生きていた人間だったのかもしれない。

 その自己暗示として俺によくコーヒーと幸福、苦痛のたとえを話していたのだろう。


 働いて働いて、それでも報われないことの多い父だったが、彼は何を持って”幸福”を感じていたのだろうか。

 そして俺は、何を持って”幸福”を感じるのだろうか。

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