1話
【異世界転送まで残り22:54:13】
厚いカーテンを閉め切っているせいで朝だというのに薄暗いアパートの一室。私こと山下亜紀は片手で短いぼさぼさの髪をかき回した後、テーブルの上にあるタバコを手繰り寄せ火をつけてから大きく息を吸い込む。ニコチンが肺一杯に広がりようやく意識がはっきりしてきた。
【異世界転送まで残り22:52:36】
目の前に浮かぶのは四角い半透明なカウントダウンのウィンドウ。
試しに目線を移動させると一緒についてくる。どうやら左上が定位置のようだ。
今度は化粧に使う手鏡を取り出し瞳を覗き込む。特に異物は見当たらないし、眼球に焼き付いてるってわけでもないようだ。
ではウィンドウに触ってみたらどうなるのか? そう思い手を伸ばし触れた瞬間、ウィンドウが下方に広がった。
「んむ?」
【異世界転送まで残り22:51:32】
アキ・ヤマシタ Lv0
種族:人間 性別:女 年齢:28歳
職業:会社員
HP 10/10
MP 20/20
力 1
体力 1
素早さ 1
知力 5
精神 32
運 8
【残りステータスポイント0】
【スキル】なし
【残りスキルポイント0】
【次のLvまで必要経験値10】
【残り時間または寿命を消費してボーナス獲得または転送キャンセルを実行できます】
【使用可能残り時間22時間。使用可能寿命55年。ボーナス獲得または転送キャンセルを実行しますか? はい/いいえ】
がくっと全身から力が抜けた。このRPGみたいなステータスは一体とか、寿命が後55年って本当なのかとか色々突っ込みたいことはあるが……
「とりあえず【はい】っと」
選択するとまたもやウィンドウが下方に広がる。お約束的な【片手剣Lv1】や【火属性魔法Lv1】などファンタジー要素満載なスキル群が並んでいる。ステータスポイントも選べるようだ。
斜め読みしながらウィンドウをスクロールしてお目当てである転送キャンセルを探す。
ファンタジー系の物語やRPG系のゲームは大好きだ。しかし、実際に体感してみたいか? と言われたら迷わずノー。
あれは紙面や画面の中だからこそ楽しめるのだ。若い頃なら後先考えずに飛び込んだかもしれない。だが今はもういい年だし仕事は順調。男となかなか長続きしないという不満はあるものの、そこはもうそういうもんだと割り切っている。
今時生涯独身なんて人間はめずらしくない。お一人様生活も慣れれば気楽そのもの。何よりこちらには家族や友人がいる。
「んーっと、これか」
【異世界転送キャンセル:残り時間での実行はできません。使用寿命54年】
「はあ?! 寿命でしか支払いできないってどうゆうこと?! 私が望んだわけじゃないのにキャンセルしたら残り寿命1年って!!」
現代社会で1年か異世界で55年……あまりの理不尽な選択に怒りがこみ上げる。こんなの誰かの悪戯だと無視してしまえればどんなに楽だろう。
――本当か嘘かリミットがくるまでわからないのがいやらしい。
心の天秤が大きく異世界に傾いた。現代社会を選べばきっと苦しみ続ける……寿命まであと何ヶ月と恐れ指折り数えながら生きていくことになる。何より後1年で死ぬなんて絶対に嫌だ。
でも異世界で55年生きられるのだろうか?
言葉は通じるのか? 衣食住を確保できるのか? 社会体制は? 何もかもわからない。もしかしたら転送された瞬間殺されてしまうかもしれない。
テーブルにある携帯電話をじっと見つめる。誰かに相談しようか……でもこんな事態を信じてくれるだろうか。
親しい友人、親兄弟。きっと誰に話しても頭がおかしくなったのかと言われるのが関の山だ。
ウジウジ悩むのは好きじゃない。この膨大にあるスキル群。このどれか一つを取ってみよう。パッと見た限りキャンセル以外は残り時間で支払える。
使えなかったら現代社会、使えたら異世界を選ぼう。
だとするとなるべくわかりやすい物がいい。【片手剣Lv1】とかは論外、剣を持っていない以上確認しようがない。【火属性魔法Lv1】などの属性魔法群もありえない。発動できたら部屋が大変なことになる。
真剣な表情で最初から最後までじっくり眺め使えそうなのはペンでメモをとっていく。
数十分かけ作業が終了した。
メモにとったのは
【言語自動翻訳:2時間または寿命2年】
【性別転換:5時間または寿命5年】
【回復魔法Lv1:5時間または寿命5年】
【ホムンクル召還:5時間または寿命5年】
【使い魔召還:5時間または寿命5年】
【ステータスポイント上昇:1ポイントにつき1時間または寿命1年】
たった6つだけ。思ったより選べるものは少なかった。
「まあ、ここは【言語自動翻訳】かな」
【ボーナスを獲得しました。残り20:14:52】
早速効果を確認するためDVDプレイヤーにお気に入りの映画をセットしスイッチを入れる。音声と字幕を英語に設定し再生。
「うわー……ジョニーが日本語しゃべってる」
セリフは全て日本語で聞こえてくる。設定で音声を日本語に切り替えてみると英語版とは声質が全く違う。文字は英語字幕の上にうっすら日本語訳が空中に浮かんでいた。試しにパソコンで某検索サイトのUSA版、ロシア版を回ってみると同じく原文の上に日本語訳が浮かんでいる。書く方は書きたい言語と文章を頭に思い浮かべると空中に浮き上がるので、これを書き写せばいいようだ。
話す方はどうだろうかと疑問がよぎる。少し方策を練った後、先ほど開いた検索サイトのUSA版で現地ホテルの電話番号を調べてかける。
数コール後電話口から癖のない流暢な日本語が聞こえてきた。
『お電話ありがとうございます。○○ホテル予約受付でございます』
「こんにちわ。質問があるのですがそちらのフロントで日本語が使える方はいらっしゃいますか?」
『大変申し訳ございません。残念ながら当ホテルで日本語を習得している従業員はおりません』
「そうですか、ありがとうございます」
通話を切った後更に上から順に10件ほど同じ調子で電話をかけ、どうやら話す方も大丈夫だとあたりをつける。
スキル効果は実感できた。
「んじゃ異世界行くか」
1年以上生きられれば私の勝ち、そんな感じでいこう。
そうと決まれば準備が必要だ。着の身着のまま行くなんてありえない。持てるだけの食料や水に着替え、それに武器になるような物も必要だろう。
ステータスなんて物があったらモンスターも絶対いそうだ。
後タバコなどの嗜好品も。
「あー、会社に休むって電話しなきゃ」
◆◇◆◇◆
身内に不幸があったので今日明日は休む旨を上司に伝えて電話を切り、またボーナス一覧を睨み付ける。
スキルが【言語自動翻訳】だけでは甚だ不安だ。荷物を持っていくにしても力1の私が持てる量なんてたかがしれている。出来れば4次元ポケット的な物がほしい。
がんばって探してはみたがそれらしいのは【時空魔法Lv1:20時間または寿命20年】くらい。
これはちょっと無理だ。とったら数分しか残らない計算になる。
もう一つ【創造魔法Lv1】なんてものもあるけどこっちは支払い寿命のみでしかも50年。もっと無理。死にたくないから異世界行くのに寿命減らしてどうするよ。
さんざん悩んだ末最初にピックアップしていた【ホムンクルス召還:5時間または寿命5年】を選んだ。たぶん金髪ちびっこ錬金術師漫画に出てきたみたいなヤツだろう。
使い魔召還は小動物が出てくる気がしたので避けた。
荷物はホムンクルスとやらに持ってもらえば持ち込める量は増えるはず。
【ホムンクルス召還】
【使用可能魔法→①ホムンクルスコーリング:ホムンクルスを1体まで召還し使役する。使用MP10。
②リターン:ホムンクルスを帰還させる。使用MP0。実行しますか? はい/いいえ】
どうやらスキルは取得前に詳細がわかるようだ。わからないと思い込んでいた。迷わず【はい】を選ぶ。
【ボーナスを獲得しました。残り15:05:37】
特に身体に変化はないがステータスをみるとスキル欄にちゃんと表示されている。
早速呼び出してどれくらいの荷物を持てるか確かめる。
「えっと、ホムンクルスコーリングって言えばいいのかなって……ちょっ!!」
スキル名を口に出した途端、部屋中が真っ白になるほど光り輝き同時に体から何かが抜けていく。
これがMPを消費した感触だろうか。得に疲労感はないが減ったという感じはする。
しばらく待つと光が段々薄くなりホムンクルスらしきシルエットが見えてきた。予想通り人型だ。
うんうん、よかったよかったと喜んでいたのも束の間、光が消えてなくなり姿が鮮明になった瞬間表情が凍りついた。
「こ、これは……予想外」
「ヴァ?」
大きさは慎重165cmの私が見上げるくらいあるのでおそらく180cm以上。肉体は浅黒く鍛え上げられ細マッチョという表現がよく似合う。髪は薄い紫色でさらりと腰まで伸びていた。
服は一切着用しておらず素っ裸で股間のモノを見る限り立派な男性形態。買い物に行ったらこの子用の服も買わねばなるまい。
いや、そんなことはどうでもいい。問題は顔だ。
大きく息を吐いて近づき両手を伸ばしてぺたぺた触る。
見た目通り瞳がない、鼻もない、口はあるけど耳はない。御伽噺に出てくる妖怪のっぺらぼうにそっくりだ。
正直少し気持ち悪い。
口に手を突っ込み大きく開けさせる。
「歯がないわね……舌もか」
「ウガァー」
これではしゃべれないのも納得だ。翻訳される言葉は文章や単語になっていなければならない、とかそんな前提条件があるんだろう。
苦しいのかホムンクルスが僅かに身じろぐ。癖のない髪がさらさらと顔にかかる。
口から手を離してからブラシとゴムを取り出し背後に回る。
「ちょっと座ってくれる?」
指示を出すとすぐさま行動に移り正座した。その様子に思わず笑いが漏れる。形はでかいが子供か小動物でも相手にしている気分だ。
パパッとポニーテールに結い上げ房をみつあみに編んでいく。
最後に先端にゴムを結びつけるとみつあみをホムンクルスがいじりはじめた。
「もしかして見えてるの?」
「ヴァ」
こくこくとホムンクルスの首が上下に動く。
試しに腰に手を当て右手を高く掲げ同じポーズをとるように指示を出してみる。
一部の隙もなく同じポーズをとるホムンクルス。フルチンだから結構まぬけだ。
まあ、指示が聞こえている時点で耳の方も問題ないだろう。
「名無しじゃ不便だし名前付けようか。んー……ホムンクルスだから今日からクルスね」
「ヴァー!!」
クルスは手をバタバタ振り口を大きく開いて叫び声をあげた。どうやら喜んでいるらしい。
同時に“嬉しい”とクルスの感情のようなものが伝わってきた。
私とクルスはどこかで繋がっているようだ。
「クルスってご飯食べなきゃ死ぬ? 排泄ってするの? ステータスとスキルってどんな感じなの?」
「ヴァ? ヴァー、ヴァヴァ」
「さっぱりわかんないわ」
「ヴァー」
悲しみの感情が伝わってきた。喋れないのだから一気に質問を投げかけた私が悪い。
ごめんと謝り、はいならヴァ、いいえならヴァーと伸ばすように指示してから疑問点を解消していく。
食事は必要で排泄もする。トイレの使い方はわかるらしい。というか私の知識にあることは理解できるようだ。
試しにTVをつけてと指示するとリモコン使ってあっさりクリア、拍子抜けした。
服や靴のサイズはわからないようなので後でメジャーで図るしかない。購入してくるまで裸と言うのもアレなので大きめのバスタオルをクルスの腰に巻きつける。
一番気になっていた帰還させた際荷物や服がどうなるのかだが、再び呼び出せばそのままの状態で出てくるそうだ。
そしてクルスのステータスはこんな感じ。
クルス Lv0
種族:人工生命体 性別:男 年齢:0歳
主:アキ・ヤマシタ
職業:無職
HP 200/200
MP 0/0
力 15
体力 20
素早さ 6
知力 1
精神 0
運 5
容姿 1
【残りステータスポイント0】
【スキル】【忠誠:主を背に戦う場合力+10】
【残りスキルポイント0】
【次のLvまで必要経験値10】
やはりLvは0スタート。私と違い力や体力がずば抜けていて素早さもそこそこ。スキルも合わさってバリバリの前衛タイプ。
ホムンクルス召還とって本当によかった……。荒事は全てクルスに押し付けよう。
私のHP10だしね。戦闘なんて無理無理。
容姿のステータスは顔でLvアップして増やしていけばパーツがそろっていくんだろう。
せめて舌と歯は出してやりたい。食事しなきゃいけないのに噛めない味わからないじゃ拷問だ。
数値が100とかいけばイケメンになるんだろうか?
◆◇◆◇◆
【異世界転送まで残り14:40:22】
時間はダイヤモンドより貴重だ、と昔ハマった小説のキャラが言っていた。
今の私の状態もそれと全く同じ。急いでクルスのサイズを測ってラフな服装に着替えノーメイクで財布と携帯を持って家を飛び出す。
クルスにはトイレ以外で部屋から動かないよう指示を与えておいた。
全速力でアパート近くにある駐車場まで走る。100mもない距離なのに愛車の軽に乗り込んだ時には息が上がって苦しい。つばを飲み込み気合でキーを回す。
まずは銀行。元手がなければ始まらない。
給料日直後ではないので窓口は比較的空いていた。安堵して用紙に記入し窓口へ向かう。
下ろす金額はかなり多めに見積もって100万円。私の預金額の1/3だ。
残りはアパートの解約と原状回復を任せる母親に渡す予定。心配や迷惑をかけるけど馬鹿な娘を持ったと諦めてもらえればいいなと思う。
特に何もトラブルが起こることなく銀行を後にする。こんな大金を生で持ったのは初体験なので心臓がバクバクとうるさい。
こんな調子でこれから大丈夫なのかと不安になった。
銀行の後に向かったのは大型のドラッグストア。風邪薬や胃薬、痛み止めに傷薬、包帯などダース単位でカゴに放り込む。
しばらく錠剤コーナーをうろうろしていたが精神安定剤が見当たらない。
レジにいた店員に場所を聞くため質問するが、カゴをちらりと見た後そんな大量の薬を買ってどうするのかと眉間に皺を作り不振げな表情で返された。
確かに怪しい。いくら必要だとはいえこれはやりすぎたようだ。
「一週間後海外に赴任予定なんです。向こうは具合が悪くなって病院に行っても日本語が通じるお医者さんはいないと同僚から聞きまして……」
口から出任せを並べて店員に説明するが眉間の皺がなくなることはなかった。というか薬の購入自体を拒否されそうになり慌てて免許証と社員証を見せ、「何なら会社に確認を」とはったりをかましたら量は大幅に減らされたが何とか売ってくれた。
次の薬局では気をつけよう。
その後10数件ほど薬局を回り何とか量を確保。精神安定剤の他に睡眠導入剤と虫下しも少量だが手に入れることができ、ほくほく顔で愛車を運転する。
これだけあれば私とクルスの分くらいは賄えるだろう。
次はアウトドアの専門ショップ。予定が押しているのでさくさくこなす。ちなみに目標買い物時間は4時間。残った時間で何かスキルをとるつもりだ。
紐で結ぶタイプの頑丈そうな登山靴を1足づつ選び、後はいかにも山男といった感じの風格漂う店員と相談しつつそろえていく。
今回の設定は夫婦で自転車日本一周だ。初心者だという説明に疑問を持たず、店員はニコニコ顔。
不思議に思い質問を投げかける。
「無茶だ、やめろとはいわないんですね」
「こういうのは体験してみないとわからないもんです。限界だと思ったらすぐに中止して戻ればいいんです。初回はお試し気分でいくといいですよ」
「そう……ですね」
お試し、それが出来れば苦労はない。行けば行ったきり。戻ってくる手段はないと考えたほうがいい。
それにクルスには戸籍がない。よっぽどひどい世界でない限り手段があったとしても向こうで一緒に暮らすだろう。
クルスは0歳。ならば私が産み出したのでは? そう考えている。ならクルスは私の子供のようなものだ。
主なら主らしく死ぬまで一緒にいるのがせめてもの義務。
つらつら物思いに耽っているとぽんと肩を叩かれる。ハッと顔を上げると心配そうな表情をした店員さんがいた。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。すいません。予定を組み立てるのに没頭してしまって」
「ハハハハッ! 今からその調子では持ちませんよ」
「ですね。気をつけます」
「行き詰ったら自転車から降りて深呼吸してみて下さい……所でこれお勧めなんですがいかがです? 尻皮というんですが」
「尻皮?」
聴き慣れない単語に疑問符が浮かぶ。店員が持つ商品をじっくりと眺める。
大きなふかふかの毛皮の端に黒いベルトがつき、毛皮の裏にはファスナーがついていた。その名の通りお尻をカバーする為の装備らしい。
着用してみるように言われ腰にベルトを回し前で止める。ベルトは長さが調節できるようになっていた。着けただけなのにほんわかお尻が暖かい。
「それは見本なので気にせず床に座ってもらえますか? 効果を実感できます」
「おー……床が冷たくない」
「でしょう? 付属のポケットにタオルを詰め込めばもっと座り心地のいい座布団になります。腰で固定するのでずれないし便利ですよ」
元々雪山用なので多少塗れた地面でも使えるとのこと。大いに納得し熊皮だという茶色い一番大きなタイプを2つカゴに入れた。
2人分のリュックや寝袋、テントにアウトドア用の折りたためる食器類、小型コンロなどを買い込み後部座席に積み込んでもらうとすでに2時間が経過していた。
急いで大型DIYショップに駆け込み災害用品や武器になるような刃物類を探す。
災害用品はすぐに見つかった。太陽光で充電できるライトや水かお湯を入れれば食べられるアルファ米、ろ過装置がついたペットボトルなど豊作だ。
武器になるもの……と鉈か鎌でもないかと刃物コーナーをうろついていると驚くことに薪割り用の斧が売っていた。かなり重い。
私が使うのは厳しいだろう。鞘つきの柄が長いのと短いのを1本づつクルス用に選び、自分用には小ぶりな鞘つきの鉈を選んだ。
ついでに好きな野菜の種とさつまいもの種芋を入手した。
少し買いすぎた気がしないでもないが、入らなければ置いていけばいい。まあ、無理やりクルスに持たせる気満々ですが。
最後にデパートでクルスと自分用の服だ。体力がないせいで車を運転しているだけなのに何故か息切れしている。疲れた。
気力を振り絞りクルスの服から探していくがズボンが見つからない。あの身長と足の長さのせいだ。
「もう! のっぺらぼうの癖にスタイルだけよくてどうすんのよ!!」
悪態をつきつつ捜索は店員にまかせ下着と薄手のシャツ、靴下を10枚づつ選び防具代わりの厚手の皮のジャケットを1枚購入。
問題のズボンだがメンズ売り場の店員総動員の結果、なんとかジーンズが1本だけ見つかった。
さすがにコレだけでは着替えが足りない。膝丈のズボンを2枚手に入れ、駐車場へ。
時間がないので自分用はもう家にあるのだけでいいと諦めた。
エスカレーターを降りつつ向かっていると気になるものを発見した。黒地に赤や緑、黄色の裏地のついたローブ。
こんなの売れるのかと不思議に思い辺りを見回すと看板にコスプレ専門店の文字が……納得した。
このローブは映画にもなった魔法使いの少年が通う学校のローブらしい。
荷物を床に置き羽織ってみるとなかなか着心地もよく、丈も長いしフードも着いている。値札を見て少し冷や汗が出たがお金はある。
裏地が赤地の物をクルス用に、緑の物を自分用に購入した。
◆◇◆◇◆
【異世界転送まで残り11:05:56】
アパート前に到着。予定時間ギリギリ……というかまだメイン食料と水を購入していないため、オーバーしそうな気がする。
嫌な予感を振り払いつつ、まずは衣服から持ち込みクルスに渡す。
服を適当に選んで着るよう指示した後、車と部屋を往復する。
全て運び終えるとボーっと突っ立っていたクルスに靴も履いておくよう指示。
「履き終わったら刃物と食べ物以外は袋から出して床にならべといて!」
【異世界転送まで残り10:50:12】
目端に写るカウントダウンに焦りがこみ上げ、ついきつい物言いをしてしまう。
「後で謝ろう」
そう心に誓い車をアパートから2件隣にあるスーパーへ横付けする。
まずは10kgの米を5袋、おかずになりそうな缶詰を5種類1箱づつ車の後部座席に乗せてもらうように頼み一旦清算、その後カート押してすぐに食べられるお弁当を6つ、それから長持ちしそうな野菜や果物、加工食品、米2kg。水に各種調味料に飴とタバコを残ったお金を全て使用して購入し助手席に乗せる。
目を白黒させている店員を置き去りにして再びアパートへ戻り助手席に乗せた買い物袋だけを部屋に持ち込む。
「ただいまー。さっきはごめんね」
困惑した感情を伝えながら首を傾げてるクルスにニッコリと笑いかける。
一旦キッチンにビニール袋を置き部屋を見渡す。床一面に様々なアイテムが広がり足の踏み場もない。
大きく1つ深呼吸をして腕を捲り上げる。
「さあ、ちゃちゃっとやっちゃおう」
◆◇◆◇◆
【異世界転送まで残り10:23:13】
外はすっかり暗くなり、電気をつけクルスと2人で黙々と詰めている。
出来れば10時間余らせ5時間づつ消費する【索敵Lv1】と【回復魔法Lv1】を獲得したい。
実質残り時間23分だ。
自分のリュックに着替えを詰めながらアレもほしいコレもほしいと後悔が頭をよぎる。
荷物をまとめる時間さえ足りないのにこれから外に買出しに行くなど論外だ。
「うぅ。まだお母さんと友達に手紙を書いてないのに……」
泣き言を零してる合間にも時間は無常に過ぎ去っていく。
「ヴァ」
「ん? ああ、終わったのね。ご苦労様」
「ヴァヴァ」
「じゃあ次は一番下の箪笥に入ってる布団袋出して」
「ヴァ?」
「そうソレ。チャック開けて押入れ開けた所に入ってる毛布とタオルケット入れて。余裕があったら床に引いてあるラグもお願い」
「ヴァ」
クルスと話している間も手は止めていない。
【異世界転送まで残り10:08:41】
ようやく自分のリュックが満杯になった。ぶっちゃけ詰め方は滅茶苦茶だ。
仕分けは向こうについてから……もしついてすぐに襲われたら荷物捨てて逃げればいい。
命>荷物。この関係は不動だ。
「ヴァー」
クルスの方に意識を向けると準備ができたのか、リュックを背負い左手に膨れ上がった布団袋を持ってこちらを見ている。
「おおっ。ラグまで入ったんだ? ちょっとパンパンだけどまあいっか。お疲れ様!」
全力で労わりつつ右手に長めの斧を持たせリュックのサイドポケットに短いほうを突っ込む。
元から部屋にあった黒いボストンをクロスの頭を潜らせ斜めにかけ、入りきらなかったアイテムを入れていく。そして最後の仕上げとばかりに手持ちの貴金属ケースと化粧品をポーチ丸ごと詰めて完成。
「よし、クルスじゃあ今度は向こうでね。リターン」
出現した時と同じ眩い光が部屋照らす。クルスが荷物ごと消えたのを確認し登山靴を履きながら実家の番号へ電話をかける。
この時間なら確実に家にいるはずだ。
数コールで懐かしい母の声が聞こえた。
「あ、お母さん? 私……うん、元気だよ。ちょっと相談があって――――もう! お金のことじゃないってば」
【異世界転送まで残り10:04:58】
長くなりそうな母の話を途中で遮り用件だけをまくし立てる。
「明後日うちのアパートに来てくんない? うん、話したいことあるんだ……ごめん時間ないー。もう切るね。うん…………会った時話すよ」
無理やり電話を切り、メモ帳に手紙を書き残す。
『お母さんへ
旅に出ます。犯罪には巻き込まれてません。遠いところに行きます。
2度と戻ってきませんが自殺ではありません。貯金はお母さんに譲りますので、部屋の解約と掃除お願いします。
最後まで迷惑をかける馬鹿な娘で本当にごめんなさい。
今まで育ててくれてありがとうございました。
お母さん大好き。 亜紀より』
家族との思い出が走馬灯のように蘇り目頭が熱くなる。
走り書きした手紙の上に通帳と印鑑を重石代わりに乗せ、リュックを背負い腰のベルトをパチンと止めた。
入りきらなかった食料が入ったビニール袋を手首に提げる。紐が食い込み痛みがはしるが気にせず出口へ向かう。
部屋の明かりをつけたまま鍵を閉めずに運転席へ飛び込む。
溢れる涙を袖で拭いつつウィンドウに手を伸ばす。
【異世界転送まで残り10:01:26】
ボーナス欄を急いでスクロールさせ予定していたスキルを獲得する。
【索敵Lv1:半径10m以内にいる敵の情報を探る】
【回復魔法Lv1:使用可能魔法→ヒールLv1:1名の傷と疲労を小回復する。使用MP10】
ステータスに記載されているのを確認すると安堵のため息が漏れた。
【ボーナスを獲得しました。残り00:00:35】
ハンドルを握ったままじっと1秒、1秒減っていくカウントを見つめていると不安がよぎる。
じわりじわりと焦燥感が湧き上がっていく。
「何か忘れてるような……」
車内を見渡し脳内でアイテムリストを反芻していく。
「石鹸も入れたしー、歯磨き粉も歯ブラシも入れたしー後は…………」
指折り数えていくとパッと脳内で電球が輝き疑問が晴れる。
「嗚呼!! 生理用品入れ忘れた!!!!」
【異世界転送まで残り00:00:21】
顔から血の気が引いていく。
痛すぎる、あまりに痛すぎるミスに唖然としてしまう。たかが生理用品されど生理用品。
よく考えてほしい。ずれることもあるが生理が上がるまで世の女性ほぼ全て、初潮迎えてからは毎月毎月くるのである。
タオルで代用できるとはいえ、専用品とでは感じる不快感が天と地ほどに違う。どちらが天かは説明するまでもない。
【異世界転送まで残り00:00:15】
この残り時間では取りに行くのも買いに行くのも不可能。諦めるしかない。
だが……
「嫌。そんなの嫌! 生理用品なしで野宿なんて!!」
【異世界転送まで残り00:00:10】
瞳が空ろに染まった。ウィンドウに右手を伸ばす。
【性別転換:残り時間不足です。寿命で支払いますか? 使用寿命5年】
【はい/いいえ】
【異世界転送まで残り00:00:05】
答えは決まっている。
「遠くの老後より今日の安心よ! 男になれば生理はこないわ!!」
【はい】を押した瞬間全身に激痛が走った。両手でハンドルを握り締め歯を食いしばりながらウィンドウを睨み付ける。
額からじんわりと冷や汗が滲む。
【異世界転送まで残り00:00:00】
【ただいまより異世界に転送いたします。御武運を】
――――世界が白く染まった。