第二章 油小路の変 (一)
翌朝、照り返すような暑さと騒音で目が覚めた。
っっ!!??
一瞬、目の前のこの当たり前のような光景に驚きを隠せず息を呑むと、慌てて隣で寝ていた晃一を叩き起こした
「晃一っ、起きろっ!!」
「 ・・・ んだよ ・・・」
重たい瞼をこじ開け、ボーっとぼんやりする頭を何とか持ち上げる。
!!??
が、次の瞬間、頭痛がする程に驚いて息を呑んでしまった。
二人の目の前を車やバスが大通りを普通に走っているのだ。朝とは言え、陽射しは既に強い。エンジンの騒音と共に排気ガスの臭いが鼻を衝く。
どうやら二人が座っているのは石段で、目の前は大きな三叉路になっている。
ふと後ろを振り返ると、大きな石造りの駒獅子に挟まれた立派な朱い鳥居が見えた。
何と二人は八坂神社の門前の石段に居たのだ。
まるで狐に包まれてしまったかのように二人は言葉を発する事が出来ず、見慣れている筈のこの光景を呆然と見つめてしまった。
二人の人間がここに居る事も余り珍しくはないのだろう。行き交う人も見て見ぬ振りをしながら通り過ぎて行く。
やがて、顔を見合わせ、
「どういう事だよ?」
と、晃一が口を開いた。
「夢、か?」
信じられないと、司は自分の両手を広げて見つめた。
この手の平には、確かに刀を握った感触がある。皆、意図も簡単に振るっていたが、実際にはかなりの重量があり、少し驚いたのだ。それゆえ、体の線が細そうな沖田でさえも、抱えた時に感じた鍛え抜かれた筋肉質な胸や腕には驚かされたが、納得もしてしまった。
それに、川原で男達と乱闘をしたという感触も全身に残っている。掻き上げた髪も乱れているし、足元を見れば、革靴も何処をどう歩いたのかという程、土埃で汚れていた。
「なあ、司、俺達・・・」
「あ ・・・、うん。 ・・・ 何があったんだろ・・・」
司は立ち上がると、目の前の交差点の角に立つ建物を見つめた。
今はコンビニエンスストアになっているが、確かに昨夜ここへ、斎藤一と沖田総司を運んだのだ。
あれは夢の中での出来事だったのだろうか。それにしては余りにもリアルだ。それに、晃一と全く同じ夢を見る事自体、また不可思議な事だ。
気を取り直して石段を上がると、鳥居をくぐった。
境内には朝の参拝客が数人、手を合わせていた。周りには樹齢何年だろうか、高い木々がひっそりと立ち並んでいる。この木々は幕末以前からここにある。きっと、あの夜の出来事も知っているだろう。何故かそう思った。
「なぁ司、せっかくだからお参りでもしようぜ。小銭、持ってねぇ?」
「あん?」
余りの気の変わりように一瞬唖然としてしまったが、言われて司はズボンのポケットに手を入れた。
「あれ?」
「どうした?」
ポケットに片手を入れたまま黙ってしまった司に晃一は首を傾げた。それに、みるみる司の顔色が変わっていくのが分かる。
「どうした? 気分、悪いのか?」
「いや・・・。晃一、オレ達、やっぱりホントにタイムスリップした、みたいだぜ」
司は自分の声が少し震えているのが分かったが、抑える事が出来ない。なぜなら、ポケットから出した手の平には、昨夜、近藤勇から預かったお守りが出て来たからだ。
「これ・・・?」
「昨夜、近藤勇から預かったお守り、だよ」
「あ、 ・・・ あれか?」
晃一は思い出すと、ア然と司を見つめた。
「という事は、やっぱり夢、見てた訳じゃねぇんだな・・」
「らしいな」
「え? ・・・ えええーーーーっっっ!!??」
晃一の悲鳴に近い声が境内に響き渡った。
バサバサバサっっ・・・
驚いた鳩が地面から飛び立った。参拝客は一斉にこちらを見たが、また見て見ぬ振りをすると、足早に去って行った。
二人はしばらく呆けたように黙ったまま境内の石段に座っていた。
「晃一、オレ、少し回って見ようと思う」
ようやく司が口を開いた。
「何を?」
「あの後の新選組の跡をさ。何でオレ達あんなとこに行ったのかなって。前にも妙なとこに行ってエライ目に遭ったけど、それなりに意味はあったしな。今回も何かあんのかなって、ふと思ったりしてさ。
気のせいかもしれないけど、何となく気になるんだ」
「はぁ・・」
「気乗りしないならお前は帰っていいぞ。どうせこの後はもう東京に戻るだけだろ?」
「そうだけど・・・。 そりゃねぇぜ、俺も一緒にタイムスリップさせといてそのままはいサヨナラなんて言うなよな。 それに、俺はあの幕末ん中じゃ、どっちかって言うと、新選組派だからな」
「幕府側ってこと?」
「幕府だ尊王攘夷だなんてどっちでもいいけどよ。新選組は好きだしな。何か、男の中の男って感じで。 それに、昨日の土方さんなんてやっぱ、カッコよかったしな」
「ふーん」
「お前は? そういや昨夜、斎藤一と話してた時、朝廷の隠密が何とかって言ってなかった?」
思い出したように晃一は言うと、司の顔を覗き込んだ。 『隠す事ではないが、あの時代では言いたくはない』 と、言っていたのを思い出す。それに気づいたのか司はフッと笑った。
「ああ、その話? うちのご先祖様のお話だよ。奈良・平安時代からか、とにかくすっげぇ昔から朝廷の力って強かっただろ? それくらいからかな、帝をお守りする近衛の裏部隊ってヤツか。そんなたいそうな事をやっていたらしい。ホラ、徳川の将軍にはお庭番とかいう忍者がついてただろ? そんな感じ。 でも朝廷だから表立って出ないんだよ。ま、何処の世界にもおエラ方には必ず陰で護衛する組織があるって事だな」
「へえ~、って事は、司のご先祖様は完全に攘夷派で、新選組の敵って事になるのか?」
「まぁ、系列からすれば結果そうなるけど、新選組だって元々は尊王攘夷掲げてた訳で、幕府の命で朝廷を守ってただろ? それがいつの間にか佐幕か倒幕かに分かれて、天皇が薩長に味方したから賊軍になっちまったんだろ。それで武士の世が終わったんだ。 けどまぁ、近衛にはそういう思想ってのはないからな。たとえあったとしても、それを出す事は出来ない」
「ふ~ん」
少し黙ってしまった司に晃一はかわすように相槌を打つと、立ち上がった。
「なあ、司、どこから行くんだ?」