第一章(四の2)
辺りが静かになり、鴨川の音が何事もなかったように暗闇に響く。月に掛かっていた雲が流れ、川面が月明かりに照らされてきらきら光っていた。
司はふうっと軽く息を吐いた。
「お主、やるな」
斎藤が刀を払って血を落とし、鞘に納めながら言った。
「俺は新選組三番組組長、斎藤一。 お主、武士ではなさそうだが、見事だ。その剣、どこで習った? 見た事がある」
司は一度斎藤を見たが、黙って刀を沖田に返した。何とか立ち上がっていた沖田は刀を鞘に納めると、
「確か、光月司君、とか言ってなかった?」
と言って、ニッと口の端を上げた。
「光月? ・・・、まさか、・・・、月影一刀流? いや、そんな筈はない・・」
驚いたように息を呑んだ斎藤に司はフッと息を吐いた。
「なぁに? 斎藤君、月影一刀流って? 聞いた事ないけど」
「いや、何でもない。俺の勘違いだ」
探るように聞く沖田に斎藤は何事もなかったように倒れている男達に目をやった。
「池田屋の残党か」
「そう、みたいだね。 ・・・にしては光月君って、人は殺さないんだね。この状況で峰討ちだなんて。僕なら生かしておかないんだけど」
そう言って沖田は、背中に突かれていた小太刀をぐっと抜いた。そのとたん倒れていた男が呻く。
「総司っ!?」
斎藤が窘めたが既に遅く、沖田はとどめの一撃を突いていた。
オレよりも残酷だな
司は顔をしかめたが、このご時勢だ。志士達の生死を懸けた大儀を果たそうとする諸行なのだ。それを黙って見過ごすと赤い月を見上げた。
鴨川のせせらぎが静かな夜に妙に冷めたように響く。つい先程の戦闘がまるで嘘のようだ。
川原に倒れた男達をそのままに四人は橋を渡った。
ゴホっ ゴホっ ゴホっ
再び沖田が激しく咽返る。
「大丈夫か?」
斎藤が心配して顔を覗き込んだが、司と晃一は黙って顔を見合わせるだけだった。
この時から沖田が肺結核を患っている事を二人は知っていたからだ。この時代では『労咳』と呼ばれる不治の病だ。この病気の治療法が解明されたのは昭和になってからだ。
半分意識の薄れた沖田をようやく祇園町会所へと運んだ。
「光月君と言ったか」
沖田の寝ている部屋の襖を閉めると、刀を置いて座った斎藤が、壁に寄り掛かって片方の足を投げ出し、もう片方の足の膝を立てて座っている司に向いた。
司と晃一はすっかり疲れ切っていた。
伏せていた顔を上げると、斎藤を気だるそうに見た。ほんのりと揺れるろうそくの灯りで斎藤が映し出される。
意外にも柔和な顔付きだった。彫りも深く鼻筋も通っており、今で言う好青年だ。だが、敵なのか味方なのかその表情が読み取れない程に隙がない。ただ司には斎藤が何を聞きたいのかは分かっていた。
「月影一刀流の事か?」
司が呟くように言うと、斎藤は軽く頷いた。
「何だよ、それ?」
今度は晃一が少し疲れたような気だるい口調で聞く。
「ん・・・。 まぁ、別にお前に隠す事でもないが、この時代では余り言いたくはないな」
そう言ってふうっと一息ついた。
「月影と言えば、古来より朝廷をお守りする隠密と聞くが」
「隠密? 忍者か!?」
晃一が少しすっとんきょうな声を上げた。
「何だ、知ってんのか。 でも、隠密ってのは聞こえが悪いな」
「知る者は少ないが、俺も過去に色んな一刀流を見て来ている。前に一度手合わせをした事がある。が、見た事もない動きだった。確か、その血筋でなければ扱えぬと言っていたような気がするが。 お前によく似た男だった。確か、名を・・」
「光月鷹司」
「誰だよ、それ?」
「ん・・、光月家の者だよ。 なぁ、それくらいにしないか、斎藤さん。これ以上は・・。それに、これからあんたも大変になるだろうし・・」
「分かった。今はもう聞かぬ。お前達も疲れているのだろう。今日はご苦労だった、休んでくれ」
斎藤はそれ以上は何も言わず、司とは反対側の壁に寄り掛かると、刀を抱えて座った。
「休んでくれって言われたって・・」
「仕方ない、オレ達見張られてんだから」
司は苦笑しながら晃一に目配せすると、そのまま目を閉じた。晃一も少し安心したように目を閉じるとそのまま軽い寝息を立て始めた。そんな二人に斎藤は目を細めると、二人が寝入るのを確認してから奥の座敷へと入って行った。