第五章(二の2)
一瞬、馬上の黒い軍服に白い鉢巻を巻いた男と目が合った。
「土・方さん・・・?」
馬上で指揮していた手が一瞬止まる。
パーンっ パーンっ
わあぁぁぁぁっっっ・・・
っっ!!?
激しい銃声と喚声が火山の噴火の如く上がる。怒涛のように兵士達が突進して行った時、ヒヒーーンっという馬の嘶きが聞こえた。
一瞬目を離した隙に馬上の男を見失ってしまった。
「土方さんっっ!?」
間違いない、あれは土方歳三だ。
司は飛び出すと、雪崩のように押し寄せて来る兵士達をくぐり抜けて探した。誰も途中から迷い込むように入って来る司に気を止めない。逆に邪魔だと言わんばかりに突き飛ばされてしまう。
「土方さんっっ!!」
もみくちゃにされながら土方の姿を探す。その内、兵士が走り抜け、隙間が出来た時、黒い馬が倒れて起き上がろうともがいているのが見えた。その向方で、二人の洋装をした兵士が誰かを介抱するように必死に叫んでいる。
「土方さんっっ!?」
ようやくたどり着いた司の声に二人が振り返る。二人とも顔はこわばり目は血走っている。どうしていいか分からず、全身が震えているのが分かる。
「隊長っっ!!」
「しっかりして下さいっっ!! 隊長っっ!!」
必死に呼び掛けるが、反応がなさそうだ。
「土方さんっっ!!」
見ると、真っ青な顔をした土方が苦痛に歪んでいた。土埃で汚れた黒い軍服を視線で追って行くと、腰の辺りが濡れている。手を当てると、赤い血が付いた。
「土方さんっっ!!」
何度呼びかけても目を開けない。
「隊長っっ!! ・・・ あとは我等がっっ!! おのれっ、薩長のヤツ等・・・」
一人が唇を噛み締め、ワナワナ震えながら叫ぶように言うと、ゆっくり立ち上がった。
そして、一度司の腕に抱かれた土方を見て一礼すると、刀を振りかざし、
「うおぉぉぉっっっ」
という雄叫びを上げて走って行ってしまった。
「おいっ、待てっっ、ダメだっっ!!」
司は叫んだが、その声は彼には届いていなかった。そして、もう一人の兵士と
目が合うと、その兵士はじっと司を見つめた後、
「隊長を頼むっ」
と、立ち上がった。咄嗟に司は彼の腕を掴んだ。
「ダメだっ、やめろっ! 死に急ぐなっっ!!」
「止めないでくれっ、俺は、隊長の、新選組の誠と共に死ぬと決めたんだっっ!!」
「 っっ!?」
「土方隊長を頼む。敵から隠してくれっ、ヤツ等に隊長の首を取られてなるものかっ! 頼んだぞっっ!!」
「待てっっ!!」
掴んでいた司の手を払いのけると、その兵士も刀を振りかざして走って行ってしまった。
わぁぁぁっっっ という喚声と砲撃の音が更に激しさを増す。気が付けば、周りは倒れた者ばかりだ。体を起こして無事な者は司を除いて誰一人としていない。
「土方さんっっ!!」
もう一度呼ぶが、目を開けようとしない。まさか、死んでしまったのだろうか。
ちょっと待て・・・
一瞬、司は冷静に息を一つ吐くと、ゆっくり土方を寝かせ、首筋に手を当てた。
「生きてる・・・」
波打つ脈が指先に伝わったのだ。どうやら何かの衝撃で気を失ってしまったらしい。血のついていた腰辺りをめくってみると、やはり白いシャツは赤く血に染まっていた。だが、司から見れば、それが致命傷ではないように見えた。
ドーンっ ドーンっ
うぉぉぉぉっっっ・・・
更に大きな戦いの音が響く。司は何かに急き立てられるようにハッとすると、土方に気を送った。そして、もがいている馬の気を静めると、立ち上がらせ、その背に土方を乗せようと肩に担ぎ上げた。
「 ・・・っつ・・・」
耳元で微かに呻き声が聞こえ、ハッと見ると、苦しそうな息を吐いていた。
「土方さんっ!?」
再びゆっくり地面に横たわらせた。
「 ・・・っく、・・・ お前か・・・」
意識を取り戻し、苦しそうに瞼を動かすと、微かに目を開いた。
薄っすら開いた自分の視界に、朝陽に照らされた薄茶色の柔らかい髪の間から、見覚えのある透き通ったような琥珀色の瞳が見えた。
初めて会った時から不思議な程素直にその瞳に惹かれていた。時に何の感情もない冷たさも感じたが、その冷たさに殺伐とした殺気を感じなかったのも土方としては初めての事だった。司と話をする毎に、今自身の愚かさと時代の儚さを感じてしまったのも事実だった。未来を見たい、そう強く思ったのもその頃からだ。
ふぅ・・・
土方は、ゆっくり息を吐いた。腰辺りを銃で撃たれ、その拍子に落馬してしまい、全身を強く打ちつけてしまったのだ。落馬した時の衝撃で、気を失ってしまったらしい。しかし、撃たれる直前、土方は自分の動きが止まった事を知っていた。司を見つけたからだ。怒涛のような人波で見失ってしまった司が今目の前にいた。
「土方さんっ、しっかりっ」
「 ・・・、つれて行け・・・、ここは危ない・・・、とにかく離れろ」
「分かった。 立てるか?」
土方が頷いたのを見た司は土方を抱えると立ち上がらせ、何とか馬に乗せた。そして、自分も馬に跨ると、皆が突き進んで行った方とは反対方向に馬を走らせた。
少し先に旗が見えると、土方が逸れるように手を動かした。司はそれに従い、道を逸れると林の中に入った。そして、道なき道をゆっくり進む。
「土方さん、どうするんだ? 五稜郭へ戻るのか?」
馬の背にぐったり体を倒している土方の耳元で言う。
「 ・・・。 五稜郭の裏手に回れ・・・ 」
「分かった。 でも、その前に手当てしないと。 ・・・、この辺りなら大丈夫だ」
周りに気配がないのを確認すると、土方を馬から下ろす。そして、ゆっくり寝かせると服をめくった。
脇腹に弾が一つ食い込んでいる。思わず息を呑んだが仕方がない。
「土方さん、弾を取り除く。痛むが我慢してくれよ。 ・・・、何かナイフみたいのないか・・・ 」
土方の刀は先程の場所に置いて来てしまっている。司もいつもナイフを持ち歩いている訳ではない。何か尖ったものはないか、自分のポケットを探ると、黒い皮のジャケットの内ポケットにボールペンが差してある事に気付いた。
「仕方ない、これでやるか・・・」
消毒も何もない。しかし、これで弾を取り除くしかないのだ。
「堪えてくれよ」
そう言って土方を見ると、苦笑したように頷いていた。
「 ・・・うぐっ・・」
弾を取り除くと同時に一気に血が溢れて来る。司は急いで止血すると、右手を傷口に当てて気を送った。
はぁはぁ言わせていた息遣いも次第に落ち着くと、司は土方を馬に乗せた。そして、気を失ったように眠っている土方が落ちないように支えながら、再び馬を進めた。
もし、土方の死が今日だとすれば、明日には弁天台場は陥ちる。
そして、この函館市内は激しい戦場となり、数日後には五稜郭も陥ちる。旧幕軍は降伏し、武士の世の幕引きとなった戊辰戦争は終結するのだ。
だとすれば、このまま土方を五稜郭に戻す事もないだろう。それに、自分も危なくなる。土地勘はないが、資料での地図は何となく頭に入っている。とにかく箱館領内での長居は出来ない。そう思った司は、勘を頼りに馬を走らせた。