第四章(五)
ドンドンドン・・・
明け方近く、微かに扉を叩く音がしたような気がした。
目を覚ますと、まだ辺りは暗い。隣ではググーっという、何かの獣のような寝息が聞こえる。その向方でも大きな寝息が聞こえた。
気のせいか
そう思った時、もう一度、ドンドン と、押し殺したように扉を叩く音が聞こえた。
少し警戒したように神経を尖らせると、人の気配がする。
司はそっと起き上がると、晃一と原田をまたいで玄関まで行くと、「誰だ?」と、小声で言った。その声に目を覚ました原田が起き上がりながら枕元の刀を掴む。
もう一度、同じように押し殺したように扉が叩かれた時、司と原田は目で合図すると、司が引き戸をそっと開けた。
っ!?
扉の向方にいた人影に原田は目を見張ると、構えていた刀を下ろし、慌てたように近づくと、黙ったまま素早くその人物を中に入れ、辺りを警戒したように見回すと、そっと引き戸を閉め、つっかえ棒を立てかけた。
黒い洋服を着た男が一人立っている。辺りが暗くて誰なのかよく分からないが、和服でない事は影で分かる。そして、腰には刀を差していた。
「悪いな原田、水を一杯くれ」
腰に差した刀を二本取ると、上がり口に腰を下ろした。そして脇に刀を置くと、下を向いてふぅと大きな息を一つ吐いた。
一体誰だ?
そう思った時、原田が水桶から汲んだ水を渡しながら、
「大丈夫か? 土方さん」
と、言った。
「えっ!?」
驚いて息を呑むと、マジマジと疲れたように水を飲む土方を見つめた。
「誰だ?」
聞き覚えのある落ち着いた声だ。だが、以前にも増してどこか警戒したようなトゲのある声色だった。
「司だよ、月影の」
原田が言った。
「司? ・・・、ああ、お前か」
土方は一瞬考えるように司を見ていたが、思い出すと目を細めた。
部屋の中が少し明るくなって来る。こちらを見た土方は、紛れもなく資料の中に必ず出て来る写真の姿と同じだった。思わず息を呑んだ。
「どうした?」
「あ・・・、別に・・・」
「ふぅ・・・」
土方が再び疲れたように大きな息を一つ吐いた。
「だいぶ疲れてんな、土方さん」
気の毒そうに原田は言うと、履物を脱いで上がった。司も同じように上がって座ると、まだ寝ている晃一を少し呆れたように見た。
「近藤さんは?」
原田が訊くと、少し驚いたような顔で原田を見た土方だったが、司に気付くと、「そうか」と、呟くように溜息を付いた。
「とりあえず、勝さんと大久保さんに近藤さんの助命をする書簡を取り付けた。それを相馬に持って行かせたところだ。やるだけの事はやった。あとは天次第だ」
淡々と言う土方は既に何かを決意しているように落ち着いている。
「ところで原田、お前らは行かないのか?」
「行くさ。 まぁ、なかなか決まらなくてな。お城が明け渡される前に行かねぇと危ねぇってのに、ぐずぐずしやがってな。結局、今夜の内に出る事になった。隊をまとめるってのは、大変だな」
原田は少し忌々し気に言ったが、最後は土方を尊敬したように言った。そんな原田と目を合わせた土方は、ふっと苦笑すると、
「やっと俺の気持ちが分かったか」
と、少し嫌味っぽく言った。
はははっ・・・
二人が思わず声を上げて笑ったので、ようやく晃一が目を覚ました。
「やっと起きたか」
司は呆れたように晃一に目をやると、顎で土方と原田を指す。
「お?」
寝起きの目をこすり、そこに洋装の土方の姿を見つけた晃一は、思わず叫びそうになるのを必死に堪え、息を呑んだ。
「おい司、あれ、土方さんだよな。 かっけぇなぁ」
晃一は司の隣まで這って行くと感嘆の声を上げ、正座をした。土方と目が合うと、照れたように軽く頭を下げた。
「ところで土方さんはこれからどうするんだ?」
笑顔が一変し、急に真剣な顔付きになった原田が言った。
「とりあえず、江戸城が明け渡されるのをこの目で見てから行く。どの道薩長のヤツ等、今日明日は動けねぇからな。明日の開城を見届け、明後日から旧幕府の残党狩りってところだろう」
「それじゃあ早く行かねぇと、土方さんも近藤さんの二の舞になっちまうぜ」
「なぁに、俺一人ならどうにでもなる。それに、そんなヘマはしない。それよりお前ら靖共隊も危ねぇだろ。ヤツ等の中には新選組を怨んでるヤツはたくさんいる。お前と新八がいるんだ、かなりの標的になってもおかしかねぇ。それに、人数が多いと会津へ行くのも大変だ」
「ま、新八と芳賀さんなら心配する事もねぇさ。それより新選組は大丈夫なのか? 頭の土方さんが居ねぇんじゃ、危ねぇだろ?」
「余計な心配をするな。既に会津に向かわせている」
「誰が率いてんだ?」
「山口だ。あいつに託した」
「斎藤か、それなら安心したぜ。あいつはまだ若いが、一番頼りになるからな」
原田は心底安心したように言うと、笑みを浮かべた。
京都での敗戦から何かと血の気の多い永倉よりも、冷静沈着な斎藤一改め山口二郎と腹を割って話す事が多くなっていた。内に秘めた熱いものを持っていると斎藤の中に感じたのもその頃だ。離隊する時に原田は斎藤にも声を掛けたが、あっさり断られてしまった。それでも原田は斎藤の事はずっと気に掛けていたのだ。
「その前に総司の様子を見てから行こうと思うが、原田も来るか?」
「 ・・・。 いや、これから準備もあるしな。 それに、俺と土方さんが一緒に居たら、それこそ危ねぇ」
「 ・・・、 それもそうだ」
一瞬、間が開いたが、苦笑したように土方は頷いた。
「ところで光月、お前らはどうするんだ?」
土方は体を反転させると、司と晃一に視線を向ける。不意に訊かれて、司と晃一は顔を見合わせた。
「どうするって、言われても・・・」
「出来ればオレ達はここに残りたい」
そう言った司を晃一は一瞬戸惑ったように見たが、もしここでこの江戸から離れる事になってしまったら、現代にも戻れず、もしかしたら賊軍として討ち死にしてしまうかもしれないと考えた時に、ホッと安堵の息を吐いていた。
「そうか・・・。まぁ、それがいいかもしれん。これから会津は戦場になるからな。京を追われ、江戸を追われ、行く宛ては会津のみだ。その先はどうなるか分からんからな。 ・・・、でも、お前になら分かるのか」
最後に土方は呟くようにそう付け加えた。
「土方さん・・・」
「まぁいい。俺は俺の戦いに行く。 そうだ、今夜付き合え。別れの盃を酌み交わそう。原田もどうだ? 行くまでに時間はあるんだろう?」
「珍しいな。 ・・・、いいぜ。 これが今生の別れになるかもしれねぇからな」
原田も何か含んだように言うと、司と晃一に有無を言わせない視線を送る。二人は返事をする事も出来ず、複雑な表情で顔を見合わせた。