第四章(四)
一人住まいの長屋にしては広い方なのだろう。およそ八畳程の部屋の灯りをつけると、部屋の隅に置いてあった盆を引っ張り出す。そこには茶碗ととっくりがあった。
「まだ呑むの?」
少し呆れたが、晃一に「お前よりはマシだ」と突つかれ舌を出した。
「さっきの続きだが」
妙に真剣な顔で言われ、少し戸惑ってしまった。以前の原田なら半ば脅すように刀を抜いて言っただろう。だが今は、長刀も脇差も抜いて床に置いたまま戦う気はまるっきりない。茶碗にとっくりから白く濁った酒が注がれた。そして、司と晃一の前にも置くと、原田は自分の茶碗を軽く掲げてから飲み始めた。
「他言はしない。だからお前の知っている事を話してくれ」
「原田さん、原田さんはこの戦い、どっちが勝つと思う?」
茶碗を取りながら司が聞いた。その質問に目を閉じた原田は、軽く息を吐いて目を開けると、自分の手の中の茶碗を少し見つめた。そして天井を見上げる。
「俺は・・・」
そしてまた息を一つ吐いて、今度は司を見た。
「この時代の波には逆らえないと思う」
そう言って酒をぐいっと呑んだ。
「大坂城で、慶喜公が家来を見捨てて江戸へ逃げたんだ。大将が敵前逃亡したなんて前代未聞だ。そん時思ったよ、徳川は終わったなって。あんな殿様じゃ、ついて行く気になれやしねぇ。それに、甲府攻めの件。あの時の近藤さんにも呆れる。あの人のわがままで部下を犬死させちまったからな。でも、それだけじゃない。西からどんどん勢いで新政府に恭順しちまってる。この江戸だってそうだ。慶喜公はすっかり恭順なさって、上野から水戸に移っちまった。徳川の大将が自ら退いちまったんだ。これから会津に行ったって、どうなるか。ま、多分会津は最後まで戦うだろうよ。けど、多勢に無勢だ。・・・、いずれ、会津も陥ちる」
少し寂しそうに原田は言った。そして、顔を上げると、「お前らだから言うんだぜ」と、苦笑いした。
「だが俺は、薩長のヤツ等だけは許さねぇ。あいつ等に従うなんざまっぴらごめんだ。だからと言ってこのまま負ける戦に行くってぇのも気が進まねぇんだ。・・・、なんかよぉ、日本ってぇのは小っぽけな国だなぁって、思う事があるぜ。ホラ、大坂から江戸へ戻る時、でっけぇ船で帰って来たからな。海って、でっけぇなぁって。ペリーが黒船でアメリカから来たって話を思い出しちまってさ、不謹慎だとは思ったが、あんなでっけぇ軍艦を造れる国だ、さぞかしでっけぇ国だろうよって、想像しちまってな。そしたら急に羨ましくなっちまってさ。でっけぇ国なら土地も広い。広い所に住んでりゃ、人の心も広くなれんじゃねぇかって。そんなとこに俺も行ってみてぇなってよ」
見た事のない原田の生き生きした目を見た時、少しドキッとしてしまった。
「行けばいいじゃん、大陸」
思わず晃一が口にしていた。
「え?」
「あ・・・、馬賊伝説・・・」
原田と司の呟くような声が重なった。
「大陸?」
原田の不思議そうでいて興味あり気な瞳が司に投げ掛けられた。
思わずごくりと息を呑んでしまった。まさか、藤堂平助を助けたように、次は原田左之助までも生存させる事になるのか。確か原田は、この後起こる上野戦争で、彰義隊に加わって戦死した事になっている。しかし、それも定かではない。
「大陸かぁ・・・。 そうだな、それも有りか。いっそ、この国から出ちまうってのもいいかもなぁ」
笑みを浮かべて言うと、茶碗の中に映った自分の目を見つめた。
「チャンスがあれば生きるべき、か・・・」
「え?」
呟くように自分に言い聞かせるような原田の言葉に二人は原田を見つめた。
「この前、別れる時に斎藤からもらった言葉だ。何かこう聴こえが良くてな、気に入っている。 ・・・、お前が贈ったんだろ、斎藤に」
原田は目を細めて司に言うと、天井を見上げた。薄暗い天井だが、その先に広がる青くて広い空を見ているようだ。殺伐としたこの夜の下でも、今の原田からはそれらは感じなかった。
「なぁ、司、悪いようにはしない。だからお前の知っている事、教えちゃくれないか?」
懇願されるように言われて、司は黙ったまま俯いてしまった。
恐らくここが原田の人生の岐路なのだろう。今まで新選組の中で大儀を成し、自分が行くべき道を進んでいた。だが、その状況は時と共に一変してしまったのだ。後に引く事も出来ず、だが、佐幕派として徳川の為に戦う事も出来ないのだろう。同志の永倉と共に靖共隊を結成したはいいが、どこかで彼等のように熱くなれないのだろう。何か分からない迷いが今の原田にはあるようだ。
「司、いいんじゃねぇの?」
晃一が言った。顔を上げると、少しやり切れなさそうな顔をしているが、「決めるのは本人だ」と、付け加えられ、司は再び俯いてしまった。
そして、一つ息を吐いた。