第三章(六)
プィ~~ン・・・
耳元で、障るような嫌な音がした。
思わず顔をしかめる。
そして、もう一度、プィ~~ン といういやぁな羽音を聞いた時、手でそれを払った。
パチンっ
「 ッテ・・・」
蚊の羽音を耳元で聞くと、どうしても無意識の内に自分の耳を叩いてしまうのだ。少しうんざりして重たい瞼を開けた時、陽の光が目に飛び込んで来た。
うわっ 眩しいっ
瞬間的にぎゅっと目を瞑ったが、そのほんの少し前に、人影が見えた気がして、慌ててもう一度目を開けた。
あ?
開いたまま声が出ない。しかも、自分の思考回路は止まったままだ。
「君達ィ、大丈夫かい?」
声を掛けられたが、返すリアクションすらない。目の前の人物を見たまま隣で寝ている晃一を揺さぶった。
「 ・・・、んん・・・、うがっ・・・ 」
しかし、爆睡したまま起きる気配がない。
「起きろっ、晃一っ、・・・ 起きろっっ!!」
今度は両手で思い切り揺さぶると、耳元で大声で晃一を起こしに掛かる。
「 ん・・・ あん? ・・んだよ・・・、朝・・かぁ・・・?」
ようやく目を覚ました晃一は、司の驚いた顔に首を傾げたが、すぐ近くに人の気配を感じて、ふと目を移した時、息を呑んでしまった。
「 ・・・、お、まわり、さん?」
「君達、あんまり変な所で寝たらあかんで。誤解されるよ」
「はぁ」
「もう、大丈夫そうやな。ほな、僕は行くけど。 ・・・、ああ、そうそう、この上の道は東海道で、山の方へ上がって行ったら、京の都の入り口・粟田口に出るしな。最近ようおるわ、東海道歩く人。お宅らもその口? ま、野宿は危ないから気ィ付けや。けんど、昔の人は東京からここまでよう歩かはったなぁ。自転車でもよう行かんわ。ほな」
少し感心したようにそのおまわりさんは言うと、軽く帽子のつばをつまんであいさつした。そして、乗っていた白い自転車のハンドルを返すと、行ってしまった。
え?
後に残された二人は呆然とその後姿を見送ったが、ブオーっという車のエンジン音を頭上で聞いた時、ハッとしたように立ち上がって顔を見合わせた。
「何?」
「何、じゃねぇよ・・・。 何なんだよぉっっ!!」
ブオーーっっ!!
晃一の叫び声がトラックのエンジン音に掻き消された。
辺りを見渡すと、木々の隙間から住宅が立ち並んでいるのが見える。もちろん、目の前はアスファルトの道路になっている。そして、おまわりさんの言うように、背後は山を削ったのか、土手のようになっており、その上を白いガードレールが並んでいる。道は東西に走っていた。
「司・・・」
「ん?」
「俺達、・・・、現代に戻れたんだな・・・」
「そう、みたいだな・・・」
「良かったっ」
晃一は、ガシっと、司の両肩を掴むと頭をうなだれた。そして、ぐいっと顔を上げると、
「ところで、ここはどこだ?」
と、聞いた。
「つまり、ここを真っ直ぐ行けば、京都に出るらしい」
アスファルトの道路を歩きながら、司は何故か夢見心地のような思いだった。
昨日、藤堂の後をついてむき出しの道を歩いて京の町から出て来たのだ。
恐らく先程寄り掛かって寝ていた土手は、峠を下りた所の付近だったのだろう。それにしては、昨日まで着ていた袴や着物は何処へ消えてしまったのだろう。しかも、昨日までは真冬のような寒さだったのが、今空から受ける陽射しはヤケに熱くて眩しい。
「晃一、まさかとは思うが・・・、時計、見てみろ」
言われて晃一はポケットから時計を取り出して目を落とす。
「おっ!? えっ!?」
「何だよ? 貸せ」
驚いて目を真ん丸くしたまま動かない晃一から時計を取り上げる。
やはり思った通りだ。
「10時10分。しかも、7月10日。あれから2日しか経っていない・・・」
「どういう事だよ?」
「 って言われても、よく分かんねぇよ。 ・・・ あれ? 切らしてら」
晃一に時計を返しながら自分のポケットを探ったが、タバコが見当たらない。
昨日、立ち寄った喫茶店で2箱買ったつもりだったが、タイムスリップした2週間で吸い尽くしてしまったらしい。
「 っチ、とにかく、行こうぜ」
気を取り直したように再び歩き出したが、何かを何処かに置いて来てしまったように、二人とも心にポッカリ穴が開いてしまった気分だ。
黙ったまま歩き続けたが、住宅街を抜けたような景色を目にした時、立ち止まって、その先に広がる街に目をやった。
「京都だ」
町並みはすっかり変わってしまっているが、間違いなく昨日、藤堂と最後に振り返って見た京の街だった。
「なぁ、結局、藤堂平助って、生きてたな」
ボソッと司が言った。
「ああ、そうだな。 ってか、ホントかよ? 夢、とか言うんじゃねぇの? だって、証拠がねぇだろ」
「証拠?」
「そうだよ、証拠だよ。だって、タイムスリップだぜ。 ふつう、有り得ねぇだろ」
少し興奮したように言う晃一を司はじっと見つめた。
「あるよ、ここに」
そう言って、手の平を見せた。
「何、これ?」
「昨日、その藤堂平助からもらった二分金」
第三章・終