第三章(五)
「今夜は大津まで行きたいとこだが・・・。 お前ら・・・ 」
京都市街を一望した後、峠に入った所で立ち止まると、藤堂は呆れた様に振り返った。そして、大きな溜息を一つ吐く。
「はぁっ・・・、何でそんなに歩くの遅いんだ・・・」
見れば司と晃一が袴に足を取られながらはぁはぁ言わせ、やっとの思いで坂を上って来ている。
司も晃一も体力に自信がない訳ではない。過酷なスケジュールの中でも2時間以上のライブは楽にこなせているのだ。しかし、普段歩く事を余りせず、すぐに車や電車等に乗ってしまい、自分自身で体を動かす事なく、どこにでも移動出来てしまうという生活をしているのだ。そのせいか、やはり歩く事に慣れていない体はすぐに悲鳴を上げてしまう。
「この分じゃ、山科辺りで日が暮れてしまう・・・」
藤堂は少しがっかりしたように再び溜息をつくと、峠の先を見つめた。
京の町から大津宿までそう遠くはない。それを見越して昼過ぎに出たのだが、何分この二人の歩く速度は遅すぎる。
「京から大津まで3里ほどだぞ」
呆れたように、ようやく追いついた二人に言った。
「3里って?」
晃一が聞く。
「1里が・・・、だいたい4キロくらいだがら、12キロか・・・」
「12キロ・・・。 聞くだけなら大した事ねぇけどよ・・・。 この坂、何とか何ねぇのかよ・・・。 それに、大津って、滋賀県だろ? 県一コ跨いでんじゃねぇかよ。 遠いなぁ・・・」
晃一は息を切らせながら言うと、空を見上げ、ふうっと大きな息を一つ吐いた。
「もう少し早く歩けない? 夜までに着けないぞ」
藤堂は少し怒ったような口調で言うと、短くなった髪を軽く掻き毟った。
「言いたい事は分かるんだけど、普段歩き慣れてねぇからな。 それに・・・、何だか、京都から離れてくと、何となく体が重くなっていくような気がして・・・」
「同感」
少し疲れたように司が言うと、晃一も頷いた。
先程から感じている疲労感は、歩き疲れたというより、体全体の動きが少し鈍くなっているような気がするのだ。さっき、晃一に、「このまま京都から離れていいのか?」と、聞かれた時、ドキッとしてしまったのは、このまま現代に戻れなくなるのでは?という、一抹の不安に駆られたからでもある。
「まったく・・・、京に未練があるのは分かるが、お前らが前に進め、と言ってくれたのだろう。 ・・・、とにかく、この峠だけは越えなきゃならない。多分、今夜は山科で野宿になるぞ」
呆れ半分、脅すように言うと、二人を急かす。
二人は黙って顔を見合わせると、肩に何か乗っているのではないかと疑うように、軽く肩を叩いて、藤堂の後について行った。
どんより曇った空のせいか、峠の道は奥深くて暗い。人通りも少なく、寂しい道が続いていた。まるで、何かの入り口へと続くトンネルの中を歩いているような感覚だ。
薄暗い山道に、白っぽい霧のような靄がかかる。それが二人の体を更に重くしていった。
そして、ようやくその重苦しいトンネルを抜けるかのように、峠の麓に点々と灯りが見え始めた。
「山科だ」
しかし、ここに大きな宿はない。ここは一つの通過点だ。京へ上る者は大抵大津からそのまま京へ入り、京から下る者はそのまま大津の宿を目指す。その為、ここには休息としての茶店はあるが、宿屋はない。そればかりか、家もそう多くはない。まだまだ山の中の未開の地だ。
「何もねぇじゃん。さっきの灯りはどこに行ったんだよ?」
ようやく峠を下りたが、まるで森の中を歩いているような感じがする事に晃一は驚きを隠せない。
「当たり前だ。 ・・・、確か、この先に小さなお堂がある筈だ。今日はそこで寝るぞ」
藤堂に言われ、先を急ぐ。
しかし、何分この二人は余りの体のだるさに声を出す事も出来ない。やっとの思いでたどり着いた本当に小さなお堂の中に入ると、足を投げ出して壁に寄り掛かると、ぐったりしてしまった。
「本当に辛そうだな。 大丈夫か?」
藤堂は二人の顔を心配そうに覗き込んだが、晃一は既に目を閉じて眠ってしまっている。
「なぁ、藤堂さんよ・・」
「何だ?」
「オレ達、明日、京都に戻るよ」
「え?」
「一人で行けんだろ?」
唐突に司に言われ、驚いた藤堂だったが、意識を失くしてしまったように眠っている晃一に目をやると、再び司に向いた。
「多分、オレ達、今京都から離れられないんだと思う」
「 ・・・、どういう事だ?」
「分かんないけど・・・。とにかく、体が重くて、すっげぇ眠い。こんなの初めてだよ。 それに、あんたと斎藤さんのお察しの通り、オレ達、この時代の人間じゃねぇから・・・」
「え?」
「とにかく、・・・、あんたは一人で東京へ行ってくれ」
「東京?」
「 ・・・。 あと3年もすれば江戸は東京に変わる。東京だけじゃない。世の中全てが変わる。生き残ったあんたにはそれを見届ける義務があると思うぜ。これから散って行くあの人達の代わりにあんたが最後まで見届けるんだ」
何とかそこまで言って、藤堂の顔を見るが、徐々にその顔がぼやけて行く。
「おいっ、光月っ しっかりしろっ」
藤堂が慌てたように両肩を揺すって声を掛けると、閉じそうになった瞼が再び上がる。
「このままオレ達を置いて行ってくれ」
「しかし・・・」
「いいから、行けよ」
「 ・・・、分かった。 お前達によって生かされたこの命、決して無駄にはしないぞ。これから何があるのか分からないが、生き抜いてみせる。そして、必ず見届ける。新選組の為にも、そして、伊東さんの為にも」
藤堂は、ここでもこの二人との今生の別れを悟ったのだろう。最後に斎藤に言えなかった事をここではっきりと誓うように口に出した。
その言葉に、司が口の端をニッと上げて頷くと、
「お前達の事は忘れはしない。本当に恩に着る」
そう言って、藤堂は頭を下げた。
そして、懐から何かを取り出し、司の力の抜けた手にそれを握らせると、立ち上がった。
「さらばだ」
そう言って、お堂の扉を開けると、薄暗くなった外に出て行った。
パタンと扉が閉じられた時には、司は意識を失くしたように目を閉じていた。




