第三章(三)
「今夜はヤケに月が綺麗だな」
澄んだ夜空から照らされる月明かりが、まるで街灯の下にいるように明るい。
これから繰り広げられる『死闘』という舞台を照らすように冷たい光が降り注ぐ。
「これだけ明るければ、平助は見分けられる」
身を隠すように壁に寄り掛かって腰を下ろしている斎藤が、司の隣で言った。
「頼むぜ、オレは覚えてねぇんだから。とにかく、永倉さんが上手くこっちに追い込んでくれないと話にならないからな」
「分かっている。恐らく大丈夫だ」
「恐らく?」
司は思わず聞き返したが、斎藤の何も語らないその表情に諦めると、
「ま、いいや」
と、勘念したように、再び通りを伺った。
既に伊東甲子太郎は殺され、その遺骸は油小路に置かれている。あとは合図を待つだけだ。
静かな夜更けが少し騒がしくなった。
御陵衛士達が籠屋を連れて戻って来たようだ。
司は神経を集中させると、そちらへと更に集中させる。
路地の真ん中に一人の侍が仰向けに倒れている。そこへ向かって籠屋と共に数人の侍が駆けて行く。一人が倒れた侍を伊東甲子太郎だと確認すると、全員が唇を噛み締め、怒りを露わにした。そして、刀に手を掛けて、辺りを伺いながら籠に伊東の遺骸を入れようとした。
パーーンっっ!!
一発の鈍い銃声が響き渡った。
同時にわっと四方から隊服を着た新選組の隊士が一斉に刀をふりかざして彼等を取り囲む。
籠屋の男達は慌てて逃げ出して行ったが、侍達はそれぞれ刀を抜くと、一斉に斬りかかって行った。
キーーンっ カーーンっ
という研がれた刀と刀のぶつかり合う激しい音がここまで聞こえて来る。
晃一は思わず頭を両手で抱えてしまった。
「もうすぐ来るぞ」
原田の放った銃声から10分程が経った。
タタタ・・・
数人の駆けて来る音と、刀と刀のぶつかる音がすぐそこまで聞こえて来た。
斎藤が塀の陰から顔を覗かせる。
「来たっ、平助と新八だっ」
「晃一、待ってろよ」
司は晃一に合図すると、斎藤と共に出て行った。
ガツーーンっ
その時、振り向き様に藤堂が永倉に向かって刀を振り下ろす。
交えた剣のギリギリという軋む音が気迫と共に聞こえる。
「平助逃げろっ。俺達はお前をこんな所で死なせたくはないっ」
永倉が藤堂の力を抑えながら言った。
「今更何言ってっ!? ・・ もうっ 俺は新選組じゃねぇんだっ!」
力では到底敵う相手ではない事くらい分かっていた。剣の腕だけでなら藤堂の北辰一刀流と、永倉の神道無念流ならばほぼ互角だ。しかし、力の差では永倉の方が数段勝っている。
「新八さんっ、あんたに殺られるなら俺も本望だ。 このまま叩っ斬ってくれっ」
ザザっ・・・
その言葉と同時に二人は一旦引くと、はぁっはぁっと、肩を揺らして息を整えた。
そして再び剣を構える。
「平助、頼むから逃げてくれっ、俺にお前を斬らせないでくれっ。今なら追手も来ない、早く行けっ」
永倉は後ろから誰も来ない事を祈るような気持ちで藤堂に言った。
「もうっ 遅いっ!」
「平助っ!!」
「 !? 」
藤堂は自分を呼ぶ別の声にハッと後ろを振り返った。
「斎藤っ!?」
刀を構えたまま藤堂は永倉と斎藤を交互に見る。
つい先日まで斎藤は伊東派に属し、伊東の命を受けて近藤勇を斬る為に出て行ったのだ。しかし、今自分は、斎藤が斬る筈だった近藤の代わりに伊東が斬られ、その仇を討つ為にここ居て剣を振るっている。
「斎藤っ、伊東さんが斬られたっ。新選組にっ!」
確かめるべくそう叫んだ。
「分かっている。 ・・・ 俺が教えたんだ、近藤さん達に」
「えっ!?」
一瞬絶句した藤堂は一度永倉を見ると、再び斎藤に振り返った。
「俺は新選組の隊士だ」
「斎藤っ!?」
落ち着き払った斎藤の言葉に耳を疑うように、斎藤を凝視すると、思わず刀を下ろしてしまった。
「斎藤、どういう事だ? ・・・ 裏切ったのかっ!?」
そして永倉に背を向けると、斎藤に向き合った。
「平助、俺は裏切った訳ではない。俺は初めから新選組の隊士で、今も新選組だ。変わってはいない。お前も、そうだろ? 平助」
「何言ってんだよっ、俺は伊東さんに連いて、新選組を出て行ったんだ。離隊したんだっ。だから、俺は新選組を裏切ったんだっ!」
そう吐き捨てるように言うと、唇を噛み締めた。強く握り締められた刀の先が微かに震えていく。
「違う、裏切った訳ではない。考え方の違いだ。ただ、それだけだ。俺達は誰も平助が裏切ったとは思っていない。お前は新選組が出来る前からの仲間だ。最初からの同志だ。隊を離れたくらいでお前が同志ではないとは思っていない」
「でも、近藤さんや土方さんが・・・」
「その近藤さんと土方さんが、お前を助けたいと言っているんだ」
「え?」
思いも寄らない斎藤の言葉に思わず気が抜けてしまったように顔を上げた。
一瞬、斎藤と藤堂の間に静かな優しい空気が流れた。
「斎藤さんっ、早くしろっ」
二人の会話が止まった事に一つの区切りがあったように感じた司は、声を掛けた。
斎藤は司に振り返って頷くと、再び藤堂に視線を戻し、
「平助、こっちだっ」
と、力強く導くように言った。
「斎藤・・・」
少しためらいがちに斎藤に視線を送ったが、やがて決心したように、一歩踏み出した。
タタタ・・・
「とあーーっっ!!」
ザシュっっ
「平助っっ!!」
一瞬の出来事だった。
永倉の背後から一人の隊士が、もの凄い勢いで駆け抜けて行ったかと思うと、刀を思い切り振り払ったのだ。
藤堂は一瞬にして背中を斜めに斬られ、がくりと膝を付いたが、瞬時にして振り向き様に、刀を水平に払った。
「うわぁっ!」
「三浦っ!?」
両膝を斬られた三浦と呼ばれた隊士は、永倉に抱えられた。
「くっそっ・・・、やっぱり、俺は・・・ っ!!」
藤堂は地面に刀を突いて、何とか立ち上がると、肩を上下に大きく動かしながら再び両手で刀を構え、永倉と三浦に向かった。
「平助っ!!」
再び斎藤が大声で呼ぶ。
「斎藤・・・、俺はもう・・・ っく・・・ 」
藤堂は歯を食いしばり、両足で何とか体を支えると、刀を頭上高く振りかぶった。
「平助っ やめろっ」
永倉は三浦をかばいながらも刀を握った右手に力を込めた。
「俺はっ!!」
「平助っ!!」
藤堂の叫びと斎藤の叫びが重なった瞬間、藤堂の腕が振り下ろされた。
ガっっ
「うわっ!?」
その時、何かがきらりと光り、藤堂の刀の柄に巻き付くと、藤堂は刀を握ったまま、振り回されるように勢いよく地面に転がってしまった。
「永倉さんっ、早くそいつをっ!」
一瞬何が起こったのか分からなかったが、斎藤の背後にいた司が飛び出すと、永倉に合図する。
「頼むっ」
永倉は三浦を抱えると、引きずるようにその場を離れた。
永倉達の姿が見えなくなったのを確認すると、司は倒れた藤堂に近づきながら右手を軽く振った。すると、藤堂の刀に巻き付いていた細い鎖がするすると離れ、右手首のブレスレットに吸い込まれて行く。
藤堂は、斬られた背中を地面に打ち付けて、動く事が出来なくなってしまったが、近づいて来る足音に向かって、刀を握り直した。
ガツっ
!?
しかし瞬間、握り直した筈の刀を弾き飛ばされ、挙句、その腕を踏み付けられてしまった。
恐る恐る見上げれば、髪を短く切った異国人のような者が、自分を冷ややかに見下ろしている。
月明かりに照らされたその髪の色はまるで月のように銀色に光って見えた。
そして、その手に握られていた自分の刀の刃先が真っ直ぐに自分の喉元に向かっているのが見えた。
それを目にした時、藤堂は少しホッとしたように目を閉じた。
これで終わる、楽になれる・・・