第二章(三の2)
シャキーーンっっ
!?
だが、その考えは甘かったようだ。
ほんの一瞬の出来事だった。土方が腰をふっと上げた瞬間、左脇にあった刀を左手で掴むと右手でそれを抜き、司の鼻先に突きつけたのだ。それと同時に原田と山崎も片足を立て、刀の柄に手を掛けている。いつでも刀が抜ける体勢になっていた。
晃一は一瞬の出来事に息を呑む間もなく、目だけが宙を彷徨っている。
司は表情のないその目で土方を見つめた。
「明日、斎藤に聞けばよいと言ったが、お前は何を隠している。何を知っているのだ? 俺達に言えない訳でもあるのか? とにかく、まずは知っている事を話してもらおう」
土方は半ば脅すような口調で言うと、剣先を晃一に向けた。
「ヒエっ」
驚いた拍子に正座していた足が崩れ、尻もちをついてしまった。
「つ、司ぁ、・・・ これじゃ、前ん時と同じだぜ・・・」
かすれるような声で司に言うと、目の前の鋭く研がれた剣先を見つめた。
「さすがに鬼の副長と呼ばれる土方歳三だな。この脅しで何人が犠牲になったんだよ。 ま、いい。そんなに聞きたきゃ教えてやるよ。その代わり、驚くなよ」
少し皮肉交じりに言うと、小さな溜息を付いた。そして、思い切ったように土方に視線を送る。
「伊東派は、新選組の失脚を狙って、近藤勇の暗殺を企んでいる。そして、自分が新選組の局長となり、勤皇派として討幕に参加するつもりだ。それと、今日、坂本龍馬が暗殺されるが、その仕業を新選組だという噂をばらまくのも伊東派だ」
そうきっぱり言った。
「な・・に?」
少し震えているのか、晃一に突きつけていた刀が徐々に下りると、ためらいがちに鞘にしまった。
原田と山崎は驚いて息を飲み込むと、固まったまま土方に視線を送る。
「土方さ・・ん」
「どういう事だっ!?」
気を取り直した土方が司に向いた時には、土方の刀を握る手は驚きを隠せず震えている。
「そういう事だ。だから明日、斎藤一に確かめるんだな」
少し冷たく言い放つと、司は土方の背後にある掛け軸に目をやった。
山に浮かぶ月に掛かる雲が墨絵で描かれている。その雲が徐々に広がって行くように見える。
これから後、1ヶ月で京の町は大きく変わる。維新という大きな時代の波が来るのだ。維新の志士たちが、そして、日本そのものが根底から覆されるように変わってしまう大きな波に呑まれて行くのだ。
その横にある『誠』と力強く書かれた軸。新選組の誠はこの後どうなっていくのだろうか。そして、その新選組は、この目の前にいる土方歳三に全てが懸かっていく事になるのだ。この先どうなって行くのか司には分かっていたが、それでもこの局面をどう乗り切って行くのか見たいという衝動にも駆られていた。
その夜、司と晃一は、土方の客という扱いで、他の隊士とは触れる事のないよう、奥の座敷に通された。
「なぁ、司」
膳が下がり、辺りはすっかり暗く静かになった時、晃一はちらっと閉じられた障子に目をやった。
「ん?」
司は用意してもらった火鉢に手をかざし、何とか体を温めていた。
借りた半纏と袴に身を包んではいるもののこの寒さはもう限界だった。
「俺達、このままどうなっちゃうんだよ? ・・・、にしては寒いなぁ・・」
晃一も同じように身を包んで体を丸め、火鉢に手をかざす。
「まぁ、11月って言っても、実際のところは12月だしな」
「はぁ。 それにしちゃ、これって夢じゃねぇよな? 何回も聞くけど本物だよな?」
「さぁ、な。 ・・・、 そういや晃一、時計どうした?」
ふと思い出したように火鉢から顔を上げると晃一を見る。そして晃一が腕を差し出すと、
「いつの間にか止まっちゃったんだよ」
と、少しがっかりしたように言って時計を外し、司に渡す。
「ホントだ」
デジタルの時計だったが、何の数字も映し出されていない。
「使えねえな。 で、ケータイはどうした?」
司は言いながら晃一に時計を返した。そしてまた、思い出したように半纏の中に手を入れるとシャツの胸ポケットからタバコの箱を出した。
「はは、置いて来たらしい」
晃一の苦笑した言葉に、銜えようとしていた手が一瞬止まったが、「はぁ」と溜息を付くと、口に銜え、ライターで火をつけた。晃一も同じようにポケットからタバコを出すと火をつける。
二つの煙がゆらゆらと静かに天井に上って行く。
「なあ、このまま明日になれば、また現代に戻ってるかなぁ、俺達」
白い煙ををぼおっと見つめながら言う晃一に横目で視線を送る。
「だといいがな」
司も何故ここに居るのか訳が分からず、呆けたように返事をした。