第二章(三)
「そう言えば、斎藤一は?」
司は土方から話をはぐらかすように訊ねたが、それがいけなかったのか、原田が突然刀を掴むと、ドンっと苛立たしげに突くように立てた。
「 ったく、アイツっ 裏切りやがった ・・・っ 」
吐き捨てるように言うと、唇を噛み締める。そんな原田とは対照的に土方は落着いたまま溜息を吐くような息を一つ付くと少し疲れたように目を開けた。
司が原田から土方に視線を移すと、目が合った。
「お前、知っているのか?」
と、探るように土方に聞かれ、司は何も言わずに頷いて答えた。
「何だよ?」
原田と晃一が同時に身を乗り出す。そして二人は顔を見合わせると座り直した。
土方は何か言いかけたが、すぐに口を閉じてしまった。そして、障子を睨むように視線を送る。
誰かがこちらへ来る気配がしたのだ。すると、人影が現れ、腰を下ろす。
「土方副長」
障子越しに少し落としたような声がする。
「誰だ?」
「山崎です」
「入れ」
一瞬警戒したような土方だったが、監察担当の山崎が何をしにここへ来たのかを承知しているのだろう。それに、司たちが居ても差し支えないようだ。
障子が開くと、中座していた町人姿の山崎が中へ入って来る。一瞬、司と晃一に警戒したように視線を向けたが、土方が気にするなというように目配せしたのに気づくと、安心したように障子を閉めた。
「 で、どうだ?」
腕組みをしたまま土方が聞く。
「この者達は?」
山崎はこのまま報告していいものかどうかためらってしまった。それに、事情を知らない原田までいる。
「構うな、承知している」
という土方の言葉に山崎は「分かりました」と返事をすると座り直した。
「明日、こちらへ向かうそうです。急ぎ、知らせたい事があるとか」
「そうか、ならば守備を固めなきゃなんねえな」
「はい」
土方と山崎だけの会話に、原田と晃一は訳が分からず顔を見合わせた。
そして誰もが土方の次の言葉を待っている。少し考えるように目を閉じたまま腕組みをしている土方に視線が集まった。
「光月、とか言ったな。お前が知っている事を話せ。 ・・・、いや、話せる事を話せ」
ゆっくり目を開けながら司に向いた。
「 ・・・ 」
「お前はあの時、総司に『勝てる』と言った。 だから総司は応援を待たずに行ったんだ。途中で倒れた。それもお前が言ったように血を吐いてだ。 だが、それでも俺達は勝った。あの一件で新選組は名を得た。お前には先見の目があると見た。だが、余り先の事を考えてもこの時勢だ、仕方がない。今を生きるにはお前の目を借りるのも悪くはないだろう」
そう言った土方に司は少しホッとしたように苦笑してしまった。
「意外と素直な人なんだな、土方さんて。鬼だって聞いてたから、オレ達すぐにでも殺られるかと思ったけど。それに、まさか他人の手を借りるなんてね」
そう言って司が晃一に視線を送ると、晃一も少し苦笑いを浮かべた。
「 で、原田さんはこの事を知ってるの?」
司が土方から原田に視線を移すと、原田は訳が分からずキョトンとしている。司は再び苦笑したように土方に向いた。
「ま、いいや。明日は土方さんが動かなくてもちゃんと戻って来るよ。しかも、とびきりのビッグニュース抱えて」
「ビッグ・・・、ニュ、ニュース??」
司としては気軽に言ったつもりが、土方・原田・山崎には聞き慣れない言葉に身を乗り出して聞き返して来る。
「あ、えーと、もの凄い情報、かな」
「情・報・・? とは、報せの事か?」
原田の隣に座っていた山崎が聞き返す。
「驚くべき報せ、だろ」
晃一が言う。ははっと失笑しながら司が晃一に向くと、晃一はツンとしたような視線を司に向け、
「お前、日本語弱いよな」
と、嫌味っぽく付け加えた。
「驚くべき報せ、か・・・」
土方は呟くように言うと、再び目を閉じて考え込むように一つ息を吐いた。
「ちょっと待った、土方さん」
何の事情も呑み込めない原田が業を煮やしたように聞く。
「何だ?」
目を開けた土方は少しうるさそうに原田に視線を送った。この一大事に今までの経緯を詳しく説明している間はない。
「えーと、原田さん知らないみたいだから教えるけどいい?」
司の問いに、好きにしろと言わんばかりに軽く頷いた土方に苦笑してしまった。
「何だよ、俺だけ知らねぇってのは、何だが腑に落ちねぇな」
ふて腐れたような原田にも思わず笑ってしまう。
この殺伐とした幕末の渦中でもやはり「人」なのだという事に気づくと、和んでしまう。
「伊東甲子太郎について行った斎藤一の事なんだけど」
そう切り出した司に、原田の凄む視線が飛ぶ。
「土方さんの命令でスパイをしていたんだ」
「スパイ?」
「スパイじゃねえ、間者だ」
原田の怪訝な声に晃一が間髪入れずに言った。
「何ィ!?」
思わず大きな声を出して驚いた原田に今度は土方が窘める。
「原田、声が大きい。 ・・・、続けろ」
「で、時々、彼等の目を盗んで土方さんに報告していた」
「何を?」
「それは・・・」
言いかけて司は土方に視線を送る。
自分がどこまで話していいものか。だが土方は目を閉じたままだ。司は自分が試されていると分かっていたが、何も話さない訳にはいかない。
どの道明日になれば全てが分かるのだ。となれば司の知っている事を話せばよい。
「伊東派は、薩摩と手を組んで尊皇攘夷を成そうとしている。しいては新選組に対して・・」
そこまで言ったところで口を閉ざしてしまった。土方が微かに鋭い眼差しをこちらに向けたからだ。それは山崎からも原田からも伝わって来る。
「新選組に対して、何だ?」
土方が言う。
「これ以上はやめとくよ。それに、これ以上話せば斬られそうだから。明日、斎藤一に直接聞けばいい」
そう言って司は一息つくと座り直した。
伊東甲子太郎の事を話しても歴史がそう大きく変わるわけではないが、これから起こる歴史的事件となる坂本龍馬暗殺にも関わって来るのだ。余り先の事は彼等も知らない方がいい。それに、明日になれば、伊東派の真意を斎藤一が持ち帰ってくれるのだ。明日になれば全てが分かる。
そう思い、今はこれ以上話さない方がいいと考えた。