第37話 決断
愛が支部に帰還して三日が経った。
翠ヶ林村での一週間、愛と猫野瀬は快適な、むしろ生き生きとした本来の人間らしい生活を送っていた為それほどの休養は必要としていなかった。
しかし精神的な疲れもあるだろうと言われ、半ば強制的に休養を取らされていた。
休みの間、愛は自分の考えついた事を繰り返しシュミレーションしていた。
武流をあの村から解放する方法。
那美との話の間にふと思いついた一つの可能性。
それは正解のようにも思えたが、その手段が現実的には高いハードルを越えた先にあった。
そしてそれがもし成功した場合のデメリット。
武流が村を離れる事が出来たという事は、つまりは月読との契約が破棄されたという事を意味する。
武流の今の強さはその契約によって与えられた加護によるもの。その加護の効果が失われた場合、外の世界に出た武流はただの一般人と同じになってしまうのではないだろうか?もしそうなのであれば、危険な世界に解き放つよりも、今の戦う力を持ったまま村で生きていた方が武流にとっては幸せなのではないだろうか?
武流を村に縛り付けている呪縛から解放したい。その想いは愛が勝手に抱いている感情であって、その事を武流に確認してはいない。自分の勝手な行動によって、結果的に武流が不幸になるのであれば、それは愛の望んだ事とは正反対の結末を迎える事になる。
そしてもっと大きな問題として、神の怒りを買ってしまうのではないだろうか?という事。
今の日本は月読の力によって存在を許されていると言っても過言ではない。
もし武流を解放した事に激怒した月読によって、与えられていた神力を取り上げられ、岩戸隠れが起こった当時のように太陽の無い夜の世界——いや、おそらくは月すらも無い暗黒の世界になったとしたら……。
それは近日中の日本の消滅を意味するだろう。
どうしたら良い?
自分はどう行動するのが正しい?
「武流殿……私はどうしたら……」
ベッドの枕に顔を押し付けて苦悩する愛。
その時、部屋のドアを誰かがノックした。
「……はい」
「愛さん。うちや」
帰ってきた返事は猫野瀬の声。
彼女も愛と同様に休養を申し付けられ、同じ兵舎の中で過ごしていた。
「なんや……えらい酷い顔しとるな。幽霊みたいやで?」
愛の返答を待つこともなく部屋に入ってきて、その顔を見るなり猫野瀬は眉をひそめる。
いつものようにまとめていない髪はブラシを通されておらずぼさぼさで、目の下には深い隈が見える。
「……そんな事を言いにわざわざ来たのか?」
開口一番に悪態をつかれた愛は猫野瀬に睨むような視線を送る。
「まあまあ、そんな怖い顔せんとってや。おおかたそんな事やろ思て来たんやないですか」
しかし今更その程度の事で気心の知れた猫野瀬がたじろぐような事はなかった。
「どうせ武流はんをどないかしょう思て悩んでたんやろ?それはうちかと同じ思いや。神さんとの約束やいうても、あれは流石に酷過ぎるわな」
猫野瀬はベッドの近くにあった椅子に座って横になったままの愛の方を見る。
「愛さん、村を出てからずっと何か思いつめた顔しとったからな。何か考えついた事があって、それでどないしよか悩んどるんやないの?」
「……よく見てたな。ずっと車に酔って隣でうーうー言ってたのに」
「車は酔っても酔われるなや。酔わされたらしんどいから、自分から先に酔う事で酔いを和らげるっちゅう作戦や」
「……今は酒に酔ってるのか?」
「いいや、全然素面やで。それが証拠にちゃんと愛さんに渡さないかんもんも持って来とる」
そう言うと、猫野瀬はポケットから一通の封筒を取り出した。
「私に渡すもの?」
「そや。愛さんに渡して欲しいって言われて預かった大事な手紙やで」
「手紙?私に……手紙……。まさか!?」
「あー、武流はんとはちゃうで?」
「あ、ああ……」
「そない露骨にがっかりせんでも。でもそれに近しい人——那美さんからや」
「え?那美さんからの手紙?私に?どうして?」
「さあ?うちは手紙にどんな事が書かれとるか知らんから、那美さんがどうして愛さんに手紙を書いたんかも分らんよ。でも村を出る前に那美さんに呼ばれて、もし愛さんが何か悩んでるようやったらこれを渡して欲しいって言われたんや」
猫野瀬はその時の那美を様子を思い出す。
いつもと変わらない優しい笑みを浮かべた那美。
とても還暦を過ぎているとは思えない美しい見た目。
そしてその奥に飲み込まれてしまうのではないかと思う神秘的な輝きを持った瞳。
猫野瀬はその瞳に支配されたように黙って手紙を受け取った。
そして何故かついさっきまでその事を忘れていたのだ。
しかしその部分は自分の気が抜けていたからだろうと考えて、あえて愛に伝える事はしなかった。
「まあ、読んでみたら分かるんちゃう?」
そう言って持っていた手紙を愛に渡す。
しばらく受け取った封筒をじっと眺めていた愛だったが、意を決したように封を開いた。
そして中の手紙を読み始め数分が過ぎた。
愛は手紙に目を落としたまま——
「——決めた。猫野瀬、私は決めたぞ!」
そうはっきりと何かを宣言した。
その表情はそれまでの沈んだものではなく、いつもの精悍な愛が持つ、凛とした強さを感じさせるものだった。
「……それやったら良かったやないですか」
猫野瀬は安心したように優しく微笑んだ。




