第35話 仮定、過程、家庭
「ただいまー」
玄関から武流の声が聞こえる。
那美は洗濯物を畳んでいた手を止めて廊下へと出た。
「お帰りなさい。皆さん帰られたの?」
「うん」
愛と猫野瀬の二人は、迎えに来た第一師団と共に村を後にしていた。
「そう。賑やかだったのにねえ」
「うん」
「賑やかだった分、寂しくなるわねえ」
「うん」
おっさんが「うんうん」と返事をしている姿は多少不気味に思えるが、家族といる時の武流は普段からこういう話し方をしている。
これも月読の加護による影響ではないかと那美たちは考えていたが、もしその場合には月読のショタコン趣味の疑いが強くなるので、あまり深くは考えないようにしていた。
「武流ちゃんもついていけば良かったのに」
「うん……え!?」
「初めて出来た友達でしょ?もっと一緒にいたかったんじゃないの?」
「え、いや、だって俺はこの村から離れられないし……」
「離れられないから、ね。それは行きたくなかったというわけじゃないのよね?」
武流が帰って来てからいつもより元気が無い事に那美は気付いていた。
そしてその理由も当然分かっている。
生まれてからずっと同世代の友人もいなかった武流(見た目が同世代は昔はいたが)にとって初めて歳の近い愛と猫野瀬。二人と話す時の武流は、表情こそいつもと変わらなかったが、その声からは楽しそうな感情が伝わってきていた。
「俺にはこの村のみんなを守るっていう約束があるし……」
「……武流ちゃん。それは違うわ」
「……違う?」
「いえ、今更私がこんな事を言うのも違うかもしれないけど、武流ちゃんはそんな約束なんてしていないのよ。確かにあなたが月読様の婚約者になったのはこの村を護れるだけの加護を授かる為。でも、だからといって絶対にあなたがそれを守らなければいけないって事はないわ。だって、私たちにそんな権利なんて最初から無いんですもの。ただ私たちが全てを武流ちゃんに背負わせているだけ。あなたをこの村に縛り付けて自分たちの身を守っているだけの人たちに、あなたの気持ちを踏みにじる権利なんてあるはずが無いもの」
「でも……俺はこの村の人たちを……」
「そうね。経緯はどうあれ、あなたは自分の意思でこの村を護ってくれているわ。そして私たちはその優しさに甘え続けてきた。でも、もしあなたを縛り続ける呪縛が解けて、自由に生きて良いって言われたらどうする?」
「……そんな、突然自由に生きろって言われてもどうしたら良いのかなんて分からないよ。でも俺はこの村の人を見棄てて出ていくような事は出来ない」
「じゃあ、この村の人たちの安全が保障されたとしたら?」
「——え!?」
「もしもの話よ。もしみんなが安全な場所に避難出来て、あなたも村から離れる事が出来るようになったらどうする?あなたには危険な外の世界でも生きていけるだけの力があるわ。愛さんや猫野瀬さんたちがいる外の世界でも自由に生きていけるだけの力が」
「そんな事があるとは思えないよ。もしみんなが安全なところに避難出来たとしても、俺がこの村から離れられないのは変わらない。少なくともそれは月読様と交わした約束でしょ?」
「まあ、これはあくまでも仮の話ね。そんなに真剣に考える必要はないわ。でもね、いつかそんな日が来るかもしれない。それは10年後かもしれないし、明日突然訪れるかもしれない。だから今から少しでもいいから考えておいて欲しいの」
那美の表情はいつもと変わらない柔和なものだったが、その口調は武流がこれまでに聞いたことがないような真剣なものだった。
那美が何を言いたいのかよく理解出来ない武流だったが、その雰囲気に飲まれるように小さく頷いた。
「40年間、何の変化も無かった日常という水面に小さな石が投げ込まれた。その波紋は最初は石と同じように小さいけれど、その波紋は徐々に大きく広がっていくわ。そしていつかこの狭い世界を壊してしまうかもしれない。短い間だったけど、あの二人を見ているとそう思ってしまうのよね」
「……」
「きっと二人もあなたをこの村から解放したいと思ったはず。その理由はどうあれ、その想いは奇跡を生むかもしれない」
「……本当にそんな事が起きるの?」
「もしもの話よ。起きるかもしれないし起きないかもしれない。少なくともこの村の中にいる私たちよりはその可能性はあると思うわ」
「可能性……。もしそんな事が起こったとしたら、俺はどうしたら良い?お母さんは俺にどうしてほしい?」
「私の、私とお父さんはずっとあなたに負い目があったわ。村の人たちの為とはいえ、生まれたばかりのあなたを生贄のような立場に追い込んでしまったんですもの。だから私たちの願いが一つ、もし、もしもそんな奇跡が起こったとしたら、その時は自由に生きなさい。あなたが思うところに行き、あなたが思うように行動しなさい」
「お母さんたちと離れて生きるってこと?」
「そうね。私もあなたと離れるのは寂しいわ。でもそんな我儘を言うには、あなたは大人になり過ぎているわ。本当ならとっくに親離れ、子離れをしないといけなかったんですもの。だからその時が来たら私は笑ってあなたを送り出すつもりよ。二度と会えなくなるわけじゃないし、生きている限りはいつでも会うことが出来るんですもの。寂しいなんて言って、あなたに未練を残すような事はしたくないわよ」
「……でも」
「武流。言ったでしょ?これは仮の話よ。だからそんな寂しそうな顔をしないで……」
「俺、料理出来ないから独り暮らしなんて出来ないよ……」
「……その時に備えてお母さんがこれから教えてあげるわ」




