第81話 評価の拍手
初めての海外大会での二回戦。相手は重いスピンとスライスを織り交ぜるやっかいな選手でした。紗菜はその高低差に苦しみながらも、自分らしいリズムを崩さずに対応し、ついに試合を掌握していきます。ロンドン特有の、声を張り上げないけれど熱のこもった拍手。その音に背中を押されながら、紗菜は堂々と「勝者」としてコートを後にします。試合後には記者から英語での質問攻め――片言ながらも、自分の言葉を絞り出す紗菜の姿に、成長と決意を感じ取っていただければ嬉しいです。
薄曇りのロンドンの空。柔らかな日差しがコートの白線に反射して、淡い光を放っていた。
紗菜はラケットを握り直し、白いオーバーグリップのさらさらした感触を確かめる。
手首には、自分のお気に入りの布製ヘアタイ。これを巻くと、不思議と心が落ち着くのだ。
深呼吸を一つ。
胸の奥に溜まったざわめきを吐き出すように。
相手はイタリアのシード選手。
背が高く、体格にも恵まれている。
打ち込むボールは高く弾むトップスピンと、滑るように沈むスライスの組み合わせ。
ウォームアップの数球だけでも「嫌なタイプ」だとわかる。
(上下の高低差でリズムを壊してくる……合わせたら負ける。こっちから時間を奪わなきゃ)
審判のコールが響き、試合が始まった。
第1ゲーム。
相手のサーブに押し込まれ、トップスピンで深く弾む球に後手を踏む。
スライスで時間を奪われ、前後に揺さぶられた末に失点。
0–1。
観客席からは「ほう」と小さなどよめきが漏れ、すぐに落ち着いた拍手が広がる。
ロンドン特有の、熱を秘めた抑制のある反応だ。
(まだ大丈夫。最初は様子見……)
続く第2ゲーム。
紗菜のサーブ。
相手は積極的に踏み込んでリターンを狙ってくる。
紗菜はあえて体の近くに食い込むボディサーブを放った。
相手のリターンが浮き、バックに回り込んでフォアで叩く。
次は外へ広げるワイドサーブ。
相手の届かないところへ鮮やかに決まった。
1–1。
観客席から、先ほどより大きめの拍手が鳴り響く。
第3ゲーム。
リターン位置を半歩前に。
相手の弾道を早めに捕らえ、低いクロスで返球。
相手は体勢を崩され、ボールが甘く浮く。
紗菜が一気に踏み込み、鋭く決めた。
ブレーク成功、2–1。
観客席からは「今のは速い!」という低い声がいくつも混ざる。
大きな声ではないが、確かに熱が乗っていた。
第4ゲーム。
相手はスライスを増やし、テンポを落としてきた。
だが紗菜は合わせず、逆に弾むトップスピンのショートアングルでコートを広げる。
相手が外へ走ったところで、逆サイドへオープンコート。ボールは鋭く突き刺さり、3–1。
観客席から「おぉ!」と小さな波のようなどよめきが広がり、そのあとに温かい拍手が長く続く。
第5ゲーム。
相手が高く跳ねるフォアを叩き込んできた。
だが紗菜は落ち際を狙ってオンザライズ。
勢いを殺さずに逆クロスへ。
相手は慌ててロブを上げるが、浅い。紗
菜はすかさず前に出てスマッシュ。4–1。
観客席から再び強い拍手。
中には立ち上がって両手を叩く人の姿もちらほら。
(よし、リズムはこっちにある)
だが、第6ゲーム。
相手はドロップショットを混ぜて紗菜を前へ走らせ、そこからロブで後ろへ追いやる二段攻撃を仕掛けてきた。
必死に走って返球したが、わずかにアウト。4–2。
相手が小さく拳を突き上げ、観客席も「ナイス!」と声を上げる。
(……前後の揺さぶり、これから増やしてくる)
第7ゲーム。
紗菜はスプリットステップの間合いを修正した。
短いボールには素早く一歩前へ、長いボールには腰を落として時間を作る。
最後は力強いクロスを叩き込み、5–2。
観客席からは拍手が波のように広がる。
ロンドンの観客は派手に騒がないが、ボール一つひとつを確かに見てくれているのが伝わる。
(あと一つ。この一つを取り切る……!)
紗菜はタオルで汗を拭き、再びベースラインに立った。
次のゲームで、このセットに終止符を打つ。
第8ゲーム。
相手のサーブ。
高く上がったトスから、重く沈むスピンサーブが飛んでくる。
紗菜は一歩前に出て、腰を沈めながらラケットを振り抜いた。
鋭いクロスリターン。
相手が差し込まれ、返したボールは甘く浮く。
紗菜は迷わず踏み込み、フォアで強打。ラインぎりぎりに突き刺さる。
「ラブ・フィフティーン!」
審判の声と同時に、観客席から温かい拍手。
抑えめだが確かな熱を帯びた音。
続くポイント、相手は思い切ったドロップショットを放ってきた。
だが、紗菜は最初から読んでいたかのように素早く飛び出す。
ネット際で低く構え、逆クロスにしなやかに叩き込む。相手が動けない。
「ラブ・サーティ!」
観客から「速い!」という囁き声と、笑みを浮かべながらの拍手が重なる。
相手は必死にサーブを打ち分ける。
外角へのワイド、センターへのフラット。
だが紗菜は一歩の踏み込みでリターンを返し続けた。ラリーが10球を超える。
相手が痺れを切らして打ち込んだストロークは、わずかにラインを割った。
「ラブ・フォーティ!」
会場全体がざわめいた。三つのマッチポイント。
深呼吸。
(……ここで決める)
相手のサーブ。
弾道はセンター。
紗菜はほんの一瞬、後ろに重心を残してから前へ踏み込む。
タイミングを完璧に合わせ、フォアで振り抜いた。
乾いた音。ボールは一直線に相手コートの深いところへ突き刺さる。
「ゲーム・セット・マッチ! 三浦選手、6–2!」
審判の宣告と同時に、客席から大きな拍手が湧き起こった。ロンドン特有の上品な音の波が、しかし途切れることなく続いていく。中には立ち上がり拍手をする観客の姿も見える。
相手選手はネット際に歩み寄り、手を差し出した。
「グッドプレー」
言葉の意味は完全には聞き取れなかったが、その表情に込められた悔しさと敬意は十分に伝わった。紗菜も握手を返す。
ベンチに戻ると、スタッフにタオルを渡される。
汗を拭きながら、胸の奥に少し遅れてじわじわと達成感が広がってきた。
昨日の初戦よりも濃い内容。
海外の舞台で、確かに勝てた――その実感が体中に染み込んでいく。
だが、コートを出てすぐ、別の緊張が待っていた。
記者エリアに足を踏み入れると、外国人の記者たちが一斉にこちらへ視線を向けたのだ。
カメラのシャッター音が重なり、いくつものマイクが差し出される。
『次の目標は?』
『ジャパン・ガール、あなたはどうやって勝った?』
英語で投げかけられる質問が、波のように押し寄せる。
全部は理解できない。
でも、いくつかの単語は聞き取れた。
紗菜はぎゅっとラケットバッグを握り直し、片言ながらも口を開いた。
『……全力で、次もがんばります。もっと、強くなりたいです』
自分の声が震えていないか心配だった。けれど記者たちは真剣に頷き、メモを走らせていた。
会場の外へ出ると、胸の鼓動がようやく落ち着いた。
(言えた……ちゃんと、言えた)
ほんの短い言葉でも、自分の思いは伝わるのだと知った瞬間、胸の奥が温かくなった。
この二回戦は、ただの勝利以上の意味を持つ一戦でした。勝ち切ることはもちろん、海外観客の前で「認められる」瞬間を紗菜は体感します。大きな声援よりも、途切れずに続く拍手。それは彼女のプレーが確かに届いた証でした。そして、試合後の記者会見。短いながらも自分の言葉で語れたことが、次のステージへの確かな一歩となります。これから続く試合で、彼女がどんな答えをコートで示すのか――どうぞ見守ってください
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