第7話 秘密の重さ
誰にも言えない秘密を抱えることは、心を強くもするし、苦しくもする。
紗菜は夢を叶えるために、校則を破ってアルバイトを始める決意をした。
それは後ろめたさを伴う選択だったけれど、彼女にとっては「夢を諦めない」という誇りに他ならなかった。
ほんの少しのお金でも、それは未来へと続く階段の一段目になる――そう信じて、紗菜は今日も働きに出る。
放課後のチャイムが鳴ると同時に、紗菜は教室を飛び出した。
廊下に響く足音は、決して忍び足ではない。むしろ少し弾むような速さだった。
校則ではアルバイトは禁止されている。それは知っている。けれど、そんな決まりに従って夢を諦めるなんて、まるで「努力するな」と言われているようで、納得できなかった。
「バレたら、そのときはそのとき。後で考えればいい」
心の中で小さく呟き、カバンを握る手に力を込める。
体育連盟テニス大会の参加費――1万5千円。あの数字は、紗菜の心を毎日突き動かしていた。
校門を出ると、夕暮れの風が髪を揺らした。茜色に染まる空の下、紗菜は真っ直ぐ商店街へと歩を進める。
昨日と同じ惣菜屋の灯りが、まるで自分を待っているかのように光っている。
コロッケの匂い、唐揚げの香ばしさ……食欲をそそる匂いが漂ってくるけれど、紗菜の心はそれ以上に「働ける嬉しさ」で満たされていた。
「今日もお願いします!」
店に入ると、店主が「おう、元気だな」と笑った。
昨日よりも大きな声で挨拶できた自分に、ちょっとした誇らしさが胸に広がる。
バックヤードでエプロンを結びながら、紗菜は胸を張った。
不安がゼロなわけじゃない。先生や友達に見られたら困るに決まっている。
でも、それよりも大切なのは――夢に近づくための一歩を踏み出せていること。
「ここで稼いだお金で、大会に出るんだ」
自分に言い聞かせるように、心の奥で宣言する。
テニスコートでラケットを振るときのような真剣さで、紗菜は今日も惣菜屋の厨房へと立った。
夕暮れが夜に変わるころ、惣菜屋の店内は最後のピークを迎えていた。
小さな店内に人の波が押し寄せ、揚げ物を待つお客さんが行列を作る。油の弾ける音が止まらない。唐揚げ、コロッケ、メンチカツ――厨房から漂う香ばしい匂いが、空腹の人々を引き寄せていた。
紗菜は汗をかきながら、ひたすら動き回った。
揚げたての惣菜をトレーに移し、レジの袋詰めを手伝い、時には「ありがとうございます」と声を出す。
初めてのことばかりでぎこちない手つきだったが、必死にお客さんの視線に応えようとする姿勢はまっすぐだった。
「紗菜ちゃん、はい、これ次お願い!」
おばちゃんが笑顔でトングを手渡す。
その声は忙しさの中でも不思議と温かく、紗菜の背中を押してくれる。
「は、はいっ!」
受け取った紗菜の声は少し裏返ってしまったけれど、真剣な眼差しは変わらない。
時間が経つにつれ、紗菜の体の動きは自然になってきた。
トレーを持つ腕の角度、袋に詰める速さ、声の出し方。まるでテニスのフォームを矯正するみたいに、少しずつコツを掴んでいく。
「やればできる」――その感覚が小さな自信に変わっていった。
閉店時間を知らせるシャッターの音が響いたとき、ようやく厨房に静けさが戻った。
床には油が光り、空気にはまだ惣菜の匂いが漂っている。
紗菜はモップを動かし、棚を拭き、片付けに取りかかった。体中がだるいのに、不思議と足取りは軽かった。
「お疲れさま。今日はよく頑張ったね」
おばちゃんが、エプロン姿のまま歩み寄ってきた。
皺の刻まれた手が差し出したのは、小さな封筒。
「はい、これ今日の分。大事に使いなさいよ」
柔らかな笑顔に、紗菜の胸が熱くなる。
「ありがとうございます!」
声が震えた。封筒を受け取った瞬間、手のひらにずっしりとした重みを感じた。それは単なる紙切れじゃない。自分の汗と努力が形になったものだった。
店を出ると、夜風が頬を冷やしてくれた。
街灯に照らされた封筒をぎゅっと握りしめる。中身をまだ見ていないのに、心臓が高鳴る。
「これで……ちょっとは近づけたかな」
体育連盟テニス大会までの道のりは、まだ遠い。けれど、この一歩は確かに夢へ繋がっている。
ふと、家の方に視線を向ける。
玄関の灯りがぽつんと温かく光っていた。その奥に、きっと兄の姿がある。
大学を諦め、妹である自分のために働いてくれている兄――。
その背中を思い浮かべると、胸の奥が痛む。
「もしバイトがバレたら、きっとすごく心配するんだろうな……」
想像するだけで、顔が曇った。
兄は優しい。何より自分を大切にしてくれる。だからこそ、この秘密を知ったら、悲しむかもしれない。
でも――だからこそ隠さなきゃいけない。
夢のために選んだ道を、まだ話すには早すぎるのだ。
ラケットケースの持ち手を握り直す。
汗で濡れた掌に、ケースの感触が心地よく伝わってくる。
「大丈夫。きっと大丈夫。これは私の戦いだから」
そう心の中で繰り返すと、疲労で重くなった足取りが少し軽くなった。
夜空を仰ぐと、星がちらほら瞬いていた。
秘密を抱えていても、夢に向かう気持ちは揺るがない。
紗菜はそう信じながら、静かな夜道を一歩一歩、力強く進んでいった。
紗菜の一歩は、とても小さなものに見えるかもしれない。
惣菜屋で渡された封筒には、参加費には遠く及ばない金額しか入っていないだろう。
けれど、その重みは何よりも大きかった。
兄への想い、夢への執念、秘密の痛み――それらが混ざり合い、彼女の心に新しい炎を灯す。
この秘密は、これから紗菜を試す重さになるのか、それとも強さへと変わるのか。
次の一歩が待ち遠しい。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
楽しめていただけましたか?
面白ければ下の評価☆5個お願いします!!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ラインスナイプのまとめサイトはこちら!
https://lit.link/yoyo_hpcom
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆