第33話 活字になった名前
大会優勝の余韻が冷めやらぬ翌朝。紗菜の目に飛び込んできたのは、新聞に刻まれた自分の名前と写真だった。汗を流し必死で戦ったその姿は、もう「ただの高校生」ではない。文字と写真になったことで、紗菜の努力は初めて外の世界に広がり始める。
翌朝。
眠い目をこすりながら階段を降りた紗菜は、リビングの入り口で思わず足を止めた。
テーブルの上に広げられた新聞、その一面に、見慣れない自分の姿があったのだ。
大きな見出しが目に飛び込んでくる。
「高校生が快挙! 体育連盟テニス大会で優勝」
目を凝らすと、そこに写っているのは、昨日の決勝でボールを打ち返した自分の姿。
ラケットを振り抜く瞬間、真剣に結ばれた口元、額に光る汗。
普段、鏡に映る「普通の女子高生」とはまるで違う。
戦っている人の顔だった。
「……えっ、これ……わたし?」
声が自然に漏れた。
母が新聞を指差しながら、目を輝かせて言った。
「そうだよ、紗菜。ちゃんと載ってる。ほら、名前もここに」
そこには、はっきりと「三浦紗菜」と印刷されていた。
黒いインクの活字が、いつもの自分の名前なのに、こんなにも重みを持って胸に迫ってくるなんて思わなかった。
「すごいな……ほんとに新聞に載っちゃったんだな」
兄がネクタイを直しながら感慨深そうに言った。
からかうように笑おうとしていたけれど、瞳の奥に誇らしさがにじんでいるのは隠せなかった。
「ちょ、ちょっと……! そんな大げさに言わないでよ……!」
紗菜は慌てて新聞をたたもうとしたが、指先が小刻みに震えて、思うように折れない。
胸の奥からあふれ出すものが大きすぎて、体が追いつかない。
(……頑張ってよかった。本当に……)
これまでの日々が頭の中で一気によみがえる。
まだ夜が明けきらない時間に公園の壁に向かって一人打ち込んだこと。
バイトでくたくたになっても、夜の冷たい空気の中でラケットを握り続けたこと。
ボロボロのラケットを兄が補修してくれた夜。
全部がこの紙面の一枚に詰まっている気がした。
ただの新聞なのに、重みはトロフィーにも負けないくらいだった。
母がそっと肩に手を置いた。
「ここまで続けてきて、本当によかったね。紗菜……頑張った甲斐があったね」
その言葉を聞いた瞬間、視界がじんわりとにじんだ。
大勢の観客に囲まれていた表彰式よりも、今こうして静かな朝に母からかけられる言葉のほうが、ずっと深く胸に響いてくる。
紗菜は新聞に映る自分の姿を見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
(わたし……ちゃんと一歩、踏み出せたんだ)
「いやぁ、こりゃもう有名人だな」
兄が新聞をたたみ直し、わざと大げさにひらひらと掲げてみせた。
「これ、駅で読んだ人みんな紗菜の顔見て『あの子じゃない?』ってなるぞ」
「やめてってば!」
紗菜は両手で顔を覆ったが、指の隙間からはにかんだ笑みが漏れてしまう。
口では恥ずかしがっているのに、胸の奥ではくすぐったいような、でも温かい誇らしさがじわじわと膨らんでいた。
母は新聞を丁寧に折り直し、引き出しから透明のビニールカバーを取り出して中に滑り込ませた。
「これは記念だね。大事にとっておかなきゃ。あとでおばあちゃんにも送ってあげよう」
母の声には、娘の努力をずっとそばで見てきた人にしか出せない柔らかい響きがあった。
「ちょっと、大げさだよ……」
紗菜はそう言いながらも、心の奥がじんわり熱くなる。
(お母さん、嬉しそう……こんな顔、久しぶりに見た)
そのとき、窓の外から近所のおばさんの声が聞こえてきた。
「新聞見たわよ! 三浦さんとこの紗菜ちゃん、すごいじゃない!」
犬の鳴き声まで一緒に響いてきて、なんだか街全体が騒がしいように思えた。
「ほらな、有名人だって言ったろ」
兄がニヤニヤと笑って肘でつついてくる。
「や、やめてよぉ……!」
紗菜は抗議しながらも、耳まで真っ赤になっていた。
母はふふっと笑っている。
そのやりとりを横目に見ていた紗菜の胸の鼓動は、さっきよりもずっと速くなっていた。
(近所の人まで見てるんだ……わたしのこと、知ってるんだ……)
家の中だけじゃない。
あの白黒の紙面に刻まれた名前と写真は、もう外の世界へ広がっている。
友達や先生だって読むかもしれない。
学校で、みんなが自分のことを知っているかもしれない。
想像するだけで頬が熱くなり、同時に胸が高鳴る。
(負けられない……。ここからが本当のスタートなんだ)
食卓の上で、まだ広げられたままの新聞のインクの匂いが、朝の光に溶け込みながら鮮やかに漂っていた。
それは、紗菜にとって「努力が届いた証」であり、次の舞台への招待状のように思えた。
トロフィーの金色とは違う、黒いインクの輝き。
それは紗菜にとって、新しい夢の入口を示す光のように思えた。
新聞に載ったことは、紗菜にとって大きな喜びであり、同時に責任をも感じさせる出来事だった。家族や近所の人の祝福に胸を熱くしながら、彼女は「ここからが本当のスタートだ」と胸に誓う。次は学校――、もっと多くの人に注目される舞台が待っていた。
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