第20話 噂の始まり
試合に勝ち続けることで得られるのは、ただの結果だけではありません。会場に集まる人々の視線、ひそひそと交わされる会話――そうした小さな積み重ねが、やがて大きな流れへと変わっていきます。紗菜はその最初の一歩を、まだ気づかぬうちに踏み出そうとしていました。
二回戦を終え、スコアボードに「6-0」と表示された瞬間、観客席からどよめきが起こった。
まるで水面に投げ込まれた小石が波紋を広げるように、静かなざわめきはあっという間に広がっていく。
紗菜は試合を終えた直後とは思えないほど軽やかな足取りでコートを後にした。汗に濡れたユニフォームが背中に張り付いているのに、足は不思議と重くない。むしろ、勝利の余韻が体を突き動かし、胸の奥からはじけるような熱が湧き上がっていた。
ベンチに腰を下ろすと、タオルを手に取り、汗を拭いながら大きく息を吐く。冷たいペットボトルを喉に流し込み、ほっと一息。
──勝てた。しかも圧倒的に。
それは紛れもない事実だった。けれど紗菜の胸に広がっているのは「満足」ではなく「もっとできる」という昂ぶりだった。まるで、見えない誰かに「次も行け」と背中を押されているかのように。
そんな彼女を取り囲むように、観客たちの声が断片的に耳に届く。
「すごいね、あの子……」
「高校生? ほんと?」
「フォームがきれいすぎる。素人じゃないよ」
紗菜はわざと聞こえないふりをした。けれど鼓動が速くなり、耳の奥まで熱がこもっていく。自分が褒められていると分かっていても、素直に受け止めるのはどこか気恥ずかしい。
それでも、観客の視線が自分に注がれているのははっきり分かる。
普段は家と学校と公園の壁打ち場を往復するだけの日常。その自分が、こんなにも多くの人に注目されている。
──これが大会か……。
心の奥で小さな呟きが生まれ、胸の奥に熱い火がさらに強く燃え広がった。
ベンチから見上げた空は高く澄み切っていて、白い雲がゆったりと流れている。まるで「まだ上に行ける」と告げているようで、紗菜は無意識にラケットを握り直した。
木製の補強が入った古いラケット。けれど、今は頼もしい相棒にしか見えない。
「次も、勝つ」
声に出したわけではない。けれど胸の奥で静かに誓った言葉は、彼女の瞳に確かな光を宿らせた。
その時、観客席から再び声が聞こえてきた。
「名前は……三浦紗菜っていうの?」
「知らない名前だ。でも、今日で覚えたな」
「次も勝つだろうな。あの動きは本物だ」
ベンチで肩を上下させながら、紗菜は汗を拭った。ペットボトルの水を一口飲み込むと、乾いた喉がじんわり潤っていく。まだ試合の余韻で心臓は高鳴っていたけれど、不思議と疲労感よりも心地よい高揚感の方が勝っていた。
「……勝てたんだ」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。思わず握った拳に力が入った。
会場の外に出ると、そこには別の熱気が待っていた。廊下やロビーに残っていた観客たちが小さな輪を作り、口々に話している。その視線が一斉に紗菜へ向かう。
「え、あの子じゃないか?」
「そうそう、一回戦も二回戦も……どっちもほとんど相手にならなかった」
「打ち方がすごく安定してた。まるでプロのフォームみたいだった」
耳に飛び込んでくる声のひとつひとつが、自分のことを言っているのだと気づき、紗菜の心臓は再び速さを増した。普段は注目されることなんてほとんどない。けれど今は、視線の重みがくすぐったくも誇らしい。
すると、少し年上らしい男子選手が仲間に向かって言った。
「……三浦紗菜っていうんだろ? あの子、まるで天才みたいだな」
その一言で、周囲の空気がぴんと張り詰めた。ざわざわとした声が少しずつひとつにまとまっていく。
「確かに……」
「天才かもな」
「名前、覚えとこう」
たった一つの言葉が、火種のように周りへ広がっていく。紗菜は思わず足を止めた。耳まで熱くなる。けれど逃げるような気持ちはもうなかった。
「……天才、か」
小さくつぶやいた声は、自分でも驚くほど震えていた。だが胸の奥で燃える炎は、誰にも隠せないほど大きくなっている。
遠くから「次の試合も絶対見に行こう」という観客の声が聞こえた。その瞬間、紗菜はぐっと前を向いた。
──自分を見てくれる人がいる。期待してくれる人がいる。
それなら、もっと応えたい。もっと高く、もっと強く。
胸の奥で固く決意すると、彼女の歩みは自然と力強くなっていった。
「天才少女」という言葉は、この瞬間から紗菜の背に背負われることになります。それは称賛であり、時に重圧にもなるでしょう。ですが、このときの彼女にとってはただの誇らしい響きでした。小さな噂はやがて彼女の運命を変えるほどの力を持ち、次なる試練への導入となっていきます。
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