3話
「王女様、準備整いました」
「ありがとう」
朝の支度を終えたリンカは、エリゼを連れて離れから出掛けた。
リンカが王宮内で自由に動ける場所は限られている。
離れとその周辺の庭。図書館。これだけ。
これ以外はリンカにとっても用が無いし、行く理由もない。
今日は図書館には向かわず、庭の散策をする予定になっている。
「今日もいい天気ですね、王女様」
「…いい天気すぎて暑いわ」
燦燦と降り注ぐ太陽は、雲一つ隠そうとしない。
エリゼが持つ傘が日陰を作り、リンカは日陰にいるのだがそれでも暑いようだ。
「やっぱり図書館に…」
「ダメです。これ以上図書館にこもると身体がなまります」
リンカの願いをエリゼはバッサリ切り捨てた。
基本的にリンカにはあまあまなエリゼだが、こと健康面に関しては厳しい。
リンカは王と妾の子だ。
王妃に仕える侍女の中でひときわ美しかったリンカの母は、王の目に留まってしまった。
たった一晩の過ちでリンカを身ごもった母は、リンカを出産後、産後の肥立ちが悪かったため早々に亡くなってしまった。
母は子爵令嬢だったが、その生家もほどなく没落。
結果、リンカは一切の後ろ盾が無い王族となってしまった。
リンカの存在は当然王妃の機嫌を損ねるものとなり、王族が住まう後宮から追い出され、離れにずっと暮らしている。
王族の証である碧眼を持つが、その出生から王宮内では腫物扱いとなっている。
過去に、隣国との政略結婚の駒にされかけたこともあった。しかし、戦略的価値が低いとみなされ拒否されている。
政略結婚とは、つまるところ人質になるということだ。しかし、リンカに人質としての価値は無いとみなされたのだ。
王族でありながら、王族としての価値すらない。
国内でも嫁ぎ先は無い。一部名乗りを上げた貴族はいたが、野心家ばかりで厄介ごとになりかねないと王の判断で却下している。
本当はポートワール家が妥当だったのだが、娘しか生まれなかったためこれも断念。
結果、リンカは王宮に居候しているだけの、何の役にも立たない存在となっている。
そのことはリンカ自身も理解しており、何かしようという気は一切無い。
リンカがそのような立場であるため、侍女として雇える人数は多くない。
リンカの侍女となっても何のメリットが無いため、志願者も少ない。
現在はエリゼを含め3人。それも常にいるわけではなく、入れ替え制なので実質付き添うのは1人。
実際リンカは公式行事にも一切出ないので、日常生活を送るために最低限の人数だけをあてがわれている。
エリゼ以外の侍女は、リンカに仕えることはどうでもいいと思っており、王宮に出入りできる身分として活用している。
なので、結婚相手が見つかると即辞めていく。
そんなわけで、リンカは政治的に価値が無い。
侍女がいるが護衛はいない。
離れには常駐の兵士もいない。せいぜい巡回ルートに含まれているくらい。
なので、離れの庭を散策するとき、人目を気にすることなく、気兼ねなく散歩できるというわけだ。
「さぁ、あと少しですよ、王女様」
「わ、わかったから少し休憩…」
離れの庭をもうすぐ1周するところで、リンカはへばってしまった。
1日のほとんどを図書館で本を読んで過ごすリンカは、体力が底辺。
そのため、週に一度はこうして強制的に外に連れ出されている。
その様子にエリゼはやれやれという感じで、手を差し伸べた。
「さっ、そこにベンチがありますから。そこまでもう少しだけ頑張りましょ」
「………分かった」
リンカは手を伸ばし、エリゼの手に乗せた。
その手をエリゼはしっかり握り、リンカへと笑みを向けた。
(きゃあぁぁぁ!握っちゃった!握っちゃった!!さりげなく、さりげなーく差し伸べてみたけどリンカ様ってばあっさり握ってくれるんだもん。ああ…リンカ様の指、細くて冷たくて滑らかで。あぁ、私汗かいてないかな?)
相変わらずのエリゼ。そしてリンカもそれは同じ。
(思わず握っちゃったけど…エリゼの手、私よりも小さくて、温かくて、でもすごく力強くて。私の手、冷たくないかしら?あ、そんなに強く握られたら…なんだかくすぐったい。でも、何なの、この感じ…)
リンカは初めて握るエリゼの手の感触に困惑していた。
手をつないだまま、近くのベンチまでたどり着いた2人。
「さ、休んでください」
「ええ、そうさせてもらうわ」
ベンチに腰を下ろすリンカ。
「では私は飲み物を用意してきますね」
そう言い、エリザはものすごく名残惜しいが手を離そうとした。しかし、エリザが手を開いても繋がれた手は離れない。リンカが離そうとしないからだ。
「王女様?」
「っ!」
自分がまだ手を握ったままなのを指摘され、リンカは頬を赤らめた。けれど、それが分かってもリンカは手を離さなかった。
「の、飲み物は後でいいわ。だから、その……あなたも休みなさい」
「っ!」
リンカのおねが…いや、命令にエリザは言葉を詰まらせた。
(これはつまり、リンカ様が手を離したくなくてそう言ったってことよね!?あぁ、我が世の春万歳!私を生まれた瞬間に捨ててくれた、いつかぶっ飛ばしてやりたいと思ってたお父様。今だけ私を王宮にに連れてきてくれたことを感謝しますね。ぶっ飛ばすんじゃなくて蹴っ飛ばしてあげます!)
「はい、そうさせていただきますね、王女様」
新たな誓い?を胸にし、エリザはリンカの隣に腰を下ろした。
もちろん、2人の手は繋がれたままだ。一度は離そうとしたエリザも、今はしっかりと握り返している。
未だ頬を赤らめたままのリンカに、満面の笑みのエリザ。
そんな2人の様子は誰の目にも映ることなく、誰の邪魔も受けることなく静かに時は流れていく。
2人の手が離れたのは、昼を告げる鐘の音が聞こえたときだった。