2話
朝食を終えたリンカは、エリザを連れて図書館に向かっていた。
リンカはその生まれのせいで、王女ではあるけれど王族としての責務を一切持っていない。
それは自由とも言えるが、言い換えれば権利も無いということ。
そのため、リンカにはすべきことは何もなく、日がな一日暇。
王宮に住んでいるけれど、家族が住んでいる後宮にはいない。リンカは1人離れに住まわされていた。
かといって王宮の外に出ることもできない彼女に許されるのは、本を読むことくらいだった。
図書館にたどり着いた2人は、早速とばかり本の物色を始めた。
王宮の図書館には膨大な蔵書があり、年がら年中入り浸っているリンカですら、その全貌を把握しきれていない。
(まぁ…いつまでも暇が潰せるからいいんだけどね)
そう自虐的に思いながら、リンカは本を探していく。
その後ろでは、同じくエリザも自分が読む本を探していた。
ほどなくして読む本を手に取ったリンカはテーブルに着いた。
同じく選び終わったエリザも、リンカの隣に腰を下ろす。
本来であれば王族と並んで座るなど憚られる行為だけれど、リンカはそれを許し、またそれを咎める者も図書館にはいない。
なにせ今から数時間、昼食の時間までリンカは完全に本の虫となる。
そうなれば、侍女としての仕事は一切無い。本を汚すかもしれないから、お茶もお菓子も用意できない。
これまでの侍女は、リンカが本を読み始めると図書館から抜け出し、思い思いに過ごしていた。いわば長い休憩時間だ。
しかしエリザはそうはせず、リンカと共に読書することを選んだ。
エリザはリンカが読書する姿を初めて見たとき、どうしようもない寂しさを感じていた。
(リンカ様、こんなにも寂しそうに本を読んでおられるなんて…)
本を読みたくて読んでいるわけじゃない。
読むこと以外に何もできることが無くて、本を読むしかない。
そんなリンカの姿に、エリザは他の先輩侍女と同様に図書館を出ていくことなどできなかった。
すぐさまエリザは読めそうな本を物色すると、手にもってリンカの隣に腰を下ろした。
「王女様、お隣、よろしいでしょうか?」
そうエリザに聞かれた時、リンカの無表情が少しだけ変わった。
エリザの手に本が握られているのを見て、目が見開かれていく。
「あなたも、本を読むの?」
「はい、たしなむ程度ではありますが」
その言葉に、リンカの表情がほんの少し和らいだ。
エリザに許可を出すと、2人は並んで本を読み始める。
リンカの口元は、少しだけ緩んでいた。
それからはずっと、こうして2人で並んで読書するのが当たり前の光景になっていた。
ページをめくる音だけが響き、互いにしゃべりかけることも無い。
それでもリンカにはこのひと時は、一人で本を読むだけだったときとは比べ物にならないくらい、充実していた。
もちろん、それはエリザにとっても同じ。
(あああぁぁぁ、今日もリンカ様の横顔は麗しいわ!長いまつげが伏せられて、愁いを帯びたような瞳。頬にかかる銀髪も…ああもう、そのほっぺにキスしたい!)
否、同じではなかった。
本を読みながら、リンカの横顔を盗み見るという器用なことをしている。その表情はすまし顔なのに、内心はやはり悶えていた。
一方、リンカもまた隣で本を読んでいるエリザの横顔を盗み見ていた。
(普段は笑顔ばっかりなのに、本を読んでるときだけ目は伏し目がち。もう…そんな表情見せられたら、ドキドキしてきちゃうわ)
エリザの普段とは違う横顔に、リンカも内心悶えていた。
訂正しよう、同じだった。
しかしながら、互いに相手を盗み見ているのに、その目が合うことはない。絶妙なすれ違いが、互いの内心を悟られずにいた。
「…王女様?」
ふとエリザに声を掛けられ、リンカはハッと顔を上げた。
「えっ、な、何かしら?」
「いえ、その、王女様の手が」
「私の手?」
リンカは自分の手の行方を追った。
片手は本を持っている。反対側の手は…いつの間にか、エリザの三つ編みを掴んでいた。
「っ!」
リンカはとっさに手を離した。完全に無意識でリンカの手はエリザを求めて髪へと伸びていたのだ。
手元に戻した手には、エリザの髪の感触が残っている。
その手を鼻元に寄せると、石鹸の香りがした。
そこまで至って、リンカはようやく自分のしたことを自覚し、一気に顔を赤く染め上げていく。
(わ、私、何を…)
赤く染まった頬に、うろたえて泳ぐ瞳。
その様子に、エリザは穏やかな笑みを浮かべながら、内心転げまわりたいくらいに身もだえしていた。身もだえしかしてない侍女である。
(あああぁぁぁああリンカ様!何?何なの、今の!私の三つ編みを手に取って、あまつさえニオイ嗅ぎましたよね?かわいい!かわいすぎますよリンカ様ぁ!ふ、ふふふふふふ……もうこれは追い打ちしかありませんね!?)
エリザはすばやく周囲に目を走らせ、こちらを見ている人がいないことを確認する。
身を乗り出すと、そっとリンカの耳元に口をよせた。
「リンカ様、あとで好きなだけ触れていただけますか?」
小声でこっそりと耳打ちする。そしてすぐさま席に戻った。
それを聞いたリンカはしばし固まり、そして言葉の意味を理解してさらに顔を赤くしていく。
好きなだけ触れてほしいと、エリザからのお願いだ。
普通、そこはエリザは好きなだけ触れてもいいと許可を出すところだが、2人の関係はそれを許さない。
だからエリザは自分からのお願いという形をとって、リンカは好きに触れてもいいという形にした。
その意図をすぐさま読み取ったリンカは、自分の願望が相手にバレていることに動揺するしかない。
「あら、王女様。手が止まっていますね。今日はもう読書は中止されて、お部屋に戻られてはいかがですか?」
白々しくそんな声を掛けてくるエリザを、リンカはキッとにらみつけた。全然迫力はないが。
しかしその誘いが魅力的なのも事実。
部屋に戻ってエリザの髪を好き放題触れるか、ここで耐えて読書を続けるか。
もう答えは出ていた。
「し、仕方ないわね…」
リンカは欲望に忠実であった。
その後…
「はぁ~…」
「こら、エリザ動かない」
「はーい」
椅子に座ったエリザの後ろにリンカが立ち、三つ編みを解いて下ろした髪を梳いていた。
手櫛で。
(はぁぁぁぁ…リンカ様のお手で梳いていただけるなんてもう幸せすぎて死にそう♪夢?夢かしら?ならもう永遠に覚めなくていいのに。ああ、リンカ様のなめらかな指が髪越しでも気持ちよくてたまりません♡)
相変わらず悶えるエリザ。
梳いているリンカも、指に感じるエリザの髪の感触に口角が上がっている。
(エリザの髪、やっぱり滑らかで、それなのにフワッとしてて…三つ編みなんてもったいないのに。侍女だからって譲らないのよね。でも、今だけ。私の部屋にいるときだけは…)
エリザの髪を前に、リンカは無意識に唇を近づけていく。
そしてほんの一瞬だけ、エリザの髪にリンカの唇が触れた。
(っ!わ、私ったら何を!?)
すぐさま離れ、髪を梳くのに戻っていく。エリザのほうは気付いていないのか、そのままだった。
(はぁ…良かった、バレてないわね)
ホッとした様子のリンカに、エリザは内心ニヤニヤしていた。
(リンカ様ってば。バレてないと思ってるみたいね。ああもうそこがかわいいんだけど!)
エリザは正面を見ている。そこには鏡がある。
当然、背後のリンカの様子はバッチリ見えている。
髪を梳くのに没頭したせいで、そのことがすっかり頭から抜けているリンカがそのことに気付いて、ベッドに逃げ込むのはもう少し後。