1話
一目ぼれ。
目の前にいる少女を見て、エリザはいきなり胸をわしづかみにされたような気持ちになった。
緩やかなウェーブを描いた、長い銀髪。その瞳は王族特有の碧眼で、肌は恐ろしく白く、なのに不健康さは全然感じられない。
椅子に腰かけた姿は、一枚の肖像画のように様になっている。
その表情は、喜びも悲しみも苛立ちも無い。
まさに無。
エリザを歓迎しているようには微塵も見えないけれど、エリザにはそんなことは全く関係なかった。
彼女は確信した。
(私は、この人を生涯支えるために生まれてきたんだ)
一方、そのエリザを正面に見据えた少女。
王女であるリンカは、目の前に連れてこられた少女を前に内心動揺が抑えきれなかった。
明るめの茶髪はみつあみにされ、ぱっちり開いた黒い瞳と合わさって快活さがうかがえる。
歳は自分より少し下らしいけれど、髪型と相まってもっと幼く見える。
表情に乏しいリンカは、その出生が複雑なこともあってなかなか侍女志願者がいないし、続かないことも多い。
でも、リンカはそれでいいと思ったし、辞めていく者に名残惜しさを感じたことも無い。
だから、今日連れてこられた新人侍女がいつやめても気にしない。
そう思っていたのに…
(この娘は、絶対に辞めてほしくない)
奇しくも、初めて顔を合わせた2人は、お互いに同じ気持ちを抱いていた。
****
「王女様、朝ですよー」
そう言って、エリザは寝室のカーテンを開いた。
朝日が室内に差し込み、暗い部屋を明るくしていく。
部屋の主であるリンカはまだ布団の中にくるまっていて、もぞもぞしていた。
「はいはい、王女様、朝ですからねー。起きましょうねー」
エリザの言葉は王女に向ける言葉としては不適切極まりないが、この二人の間にだけそれが許されていた。
エリザがリンカに仕えてすでに一月。
リンカの朝の目覚めの役割は、すっかりエリザのものとなっていた。というか、エリザ以外では絶対に布団から離れないのだ。
エリザだとすぐに起きることを知った先輩侍女たちは、あっさりと役目をリンカに押し付け…任せるようになった。
白と黒のシンプルなお仕着せに身を包んだエリザは、ベッドの脇まで近寄る。そして、目をつむったままのリンカの顔を眺めた。
まつ毛は長く、くすみの無い肌、散らばった銀髪。これだけで肖像画が一枚か描けそうだ。
近くに人が来た気配を感じてか、リンカの瞼がゆっくり開かれる。
そして、碧の瞳が姿を現し、目の前にいる人物を捉える。
その一連の流れを、エリザはじっくり堪能していた。
(ああ、今日も美しいリンカ様。これを毎日見れるなら、朝のお目覚めの役割なんて喜んで引き受けちゃう!)
そんなエリザの内心を知ってか知らずか、目覚めたリンカは目の前の侍女に声を掛ける。
「おは、よう…エリザ」
「はい、おはようございます。リンカ様」
挨拶を交わす2人。その直後、少しだけリンカの表情が曇った。
「…近い」
「えっ?」
リンカの苦言は尤もで、今エリザとリンカの顔の距離は拳一つ分入るかどうかしかなかった。
最初は立っていたエリザも、だんだんとその起きる様を間近で眺めたいと徐々に顔を近づけるようになっていった。
今ではリンカが目を覚ますと、エリザの顔のドアップから朝が始まるようになってしまっている。
「………」
「………」
しばし見つめ合う2人。そこでエリザは満面の笑みを浮かべると、フッとほんのわずかに互いの肌を触れさせ、立ち上がった。
「さぁリンカ様、お目覚めの準備はできていますよ」
そう言ってスタスタと侍女業務に戻っていく。
しかしリンカのほうは、今されたことに呆然としていた。
(い、いいいい今…)
エリザは立ち上がる寸前、リンカの額に自分の唇を滑らせていた。
そのことに純情なリンカは心がオーバーヒートしていた。
一方、仕掛けたエリザも実は内心穏やかではなく。
(キャアアアアア!やっちゃった!やっちゃった!!でも仕方ないもんね。あんな綺麗な顔毎日見てたら、したくなっちゃってもおかしくないもんね!額で我慢したんだから、むしろ褒められてもいいくらいだもん!)
侍女らしく、その内心を露ほども外に出さないエリザ。
(あああ、リンカ様固まってる!動揺してる?動揺してるよね!?そんでもってちょっと赤くなってるね!ああああ、赤くなってるリンカ様もかわいい!勇気だして仕掛けて大正解!もう明日は……唇でもダメじゃないよね!?)
全然ダメなことを考えている彼女は、固まってしまった主の姿にご満悦でした。
***
エリザ・ポートワール。彼女の育ちは、貴族子女にはよくある、少々不遇とされるものだった。
ポートワール家の三女である彼女は、生まれた瞬間から両親の失望を買っていた。
ポートワール家は国内の3大公爵家の一つ。しかし、ここ数代にわたって王族との婚姻が無いため、3大公爵家の中では最も権威に乏しくなっていた。
そこで、ポートワール家の当主であるエリザの父は、王族から王女を迎え入れられる男児の誕生を望んでいた。
しかし、生まれたのは全て女の子。とくに歳が近いと期待されたエリザへの失望は大きく、生まれた数日後には顔も見たくないと屋敷から追い出され、隠居した祖父母の元に預けられている。
しかしそんな境遇でも、エリザは祖父母の元ですくすくと成長し、快活な女の子に育っていった。
祖母はエリザの境遇を案じ、例え一人でも生きていけるようにと様々な技術を叩き込んだ。
令嬢教育から侍女教育、果ては人には言えないような技術まで仕込んだせいで、祖父と一波乱あったという。
それらすべてを吸収し、我がものとしたエリザの天賦の才に、祖父母はただただ驚くしかなかった。
エリザは17歳となったとき、エリザの父であり現ポートワール家の当主は、突然エリザを祖父母の元から連れ出し、王家へと出仕させた。
狙いは王太子の侍女にし、あわよくばお手付きにさせようというものだった。
しかし王太子にはすでに王太子妃がおり、その狙いは王太子はおろか、王からも混乱を招くとして却下。
結果、彼女は王太子ではなく、王女の侍女へとあてがわれることとなった。
しかしこの采配が、エリザにとって天命だったことは疑いようもない。
エリザにとっても、リンカにとっても。