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第8話 月曜日:沖 都也美は誘惑したりする

 談笑を終え、一息つく。

 俺は一度帰宅する旨を伝えると「ここに泊まっていってもいいんだよ?」なんて都也美さんは言ってきたが、やりたい事があったので丁重にお断りさせていただいた。都也美さんは不満そうだったが。

 


 帰りしな、俺の背中に「明日朝8時に来てね!絶対だよー!」と声がかかったので、俺は振り向いて「わかりました」と短く返した。


 路地の曲がり角でもう一度振り返ると、都也美さんはまだ外にいて、俺が振り返った事に気づくと少し慌てた様子で数字の8を両手の親指で作り、見せつけるように手を前に出す。

 俺は両手を頭の上にあげ、丸を現すポーズをした。

それを確認した都也美さんがヒラヒラと手を振ったので、俺も小さく手を振りその場を後にした。



 帰宅する道すがら、俺は今日起きた出来事を思い出す。コロコロと変わる都也美さんの表情を思い出して俺は笑う───そういえば、最後に笑ったのはいつだっただろうか?

 沢山笑って、沢山話をして。そんな楽しい平穏な日常はいつぶりだろうか。


 思わず泣きそうになり空を仰ぐと、都会では見られない満天の空に輝く星がパッと広がっていた。

「すげぇ……こんな綺麗な空見たの初めてだ」

 そんな感想が口から溢れる。見ようと思えば、いつでもそこにあった景色に今更気づく。


 思えばここに引っ越してきてから、俺は常に全力疾走していた。

 自分で決めた目標に身体を押され続け、心が傷ついて倒れそうになってもがむしゃらに突っ走り続ける。いつか、無軌道な自分が軌道に乗るようにと。

 しかしその結果、何もかもを失い、失ったことからも目を逸らす。

 世間という道からも、自分自身からも俺は棄権し見捨てたはずだった。


 しかし、日常を───いや、失った自分自身を今日取り戻したのだ。

 それを意識した途端、空だけでなく見慣れ始めていた町にも色がついたような気がした。


 都也美さんとの出会いに改めて感謝し、俺はさめざめと泣いた。

 それを振り払うように街を全力疾走して家に帰る。道行く人が何事かと見てきたが、それすらも気持ち良かった。こんな全力疾走なら、ずっとしていたい。それほどまでに気持ちがよかった。

 ─────────────────────


 次の日。時刻は7時。

 俺は既にソワソワしていた。


 昨日あれから、俺は帰宅するとすぐに”記憶ノート”に今日の出来事を纏め始めた。

 都也美さんのことや、これからのこと。それらを思い出すだけで笑みが溢れ、あっという間に書き終わってしまう。その事実を残念と思うほどであった。


 俺は飯を食うことも忘れ、ウキウキで風呂に入り、ニヤニヤしながら歯を磨いて、直ぐに布団に潜った。さながら気分は遠足前の小学生である。

 しかし、あまりにテンションが高揚しすぎて、夜中の2時になっても寝付けなかった。

 その時、急に一つ変な考えに至る。


『都也美さんがもし俺の記憶喪失を目の当たりにしたらどうなるのだろう』


 途端に上がりきったテンションはマイナスまで下がる。


「いや、でも都也美さんは俺の病気をちゃんと理解した上で明日また来るように言ってくれたんだ……だから大丈夫だ」


 俺は自分に言い聞かせるように、そう独りごちる。

 それよりもいい加減寝なければと思い、俺は体勢を変え布団を掛け直す。

 しかし、一度不安に思ってしまったが最後、俺は負のループに完全にハマり、寝る事なく朝を迎えた。

 元気に鳴く鳥の声が酷く耳障りに感じる。


 結局、都也美さんがどう思うかは彼女に直接聞くほかない。そう思い立って、外出する準備を整えて────今である。


 早く答え合わせがしたい。

 不安な解答があった時の試験後のような気持ちと同じだった。


 家の中でこのままでいる事に耐えられなくなった俺は、少し早いどころの騒ぎではなかったが、都也美さんのバーへ向かう事にした。


 歩き始めて10分。都也美さんのバーがあるあの商店街に差し掛かると、今度は緊張が一気に押し寄せてきた。

 答え合わせをするのが怖くなったのだ。

 ────もし、マイナスな答えが返ってきたらどうしよう。そう考えるだけで、胸が痛んだ。

 それでも、一縷の望みをかけて歩を前に進めた。


 気づけば路地の前。

 俺は決心して角を曲がる。


 バーの前には───既に都也美さんがいた。


「「え、どうして?」」

 思わず、俺たちの声がハモる。

 お互いの顔を見合うと、また同時に笑いあった。

「私はなんか上手く寝付けなくて。早く起きちゃったからハルくん来ないかなーって待ってたの」

「俺もです。都也美さんに色々聞きたいことがあって」

「へー、じゃあ私たち両想いだ」


 そう言って都也美さんは妖しく笑う。

 その顔に似合いすぎている表情。いつか俺は骨抜きにされそう。それは説明できぬ第六感のようなもの。それでもそんな気がした。


「そ、そうですね、両想いです」

「ふふ、ちょっと声震えてる。可愛いねぇ、ハルくんは」

 照れずに言おうと思ったのに少し言い淀んでしまったのを嗜められる。ちょっと悔しい。

 そんな俺の頭を都也美さんは少し背伸びして撫でてくる……ん?


「こんな朝早いのにお酒飲んでるんですかー、もう!」

「あははー、やっぱわかっちゃう?」

「匂いでわかりますよ!顔もよく見たらちょっと赤いですし」

「ごめんねっ、コレで許してっ」

 そう言うと彼女は前屈みになって、着ている服の胸元をつまんだ。

「ちょっと!わかりましたから!許しました!」

「もっと見ていいのにぃ」


 まったくこの人はほんとに……!

 めちゃくちゃに振り回される。

 でも、それなのに心地が良かった。

 都也美さんはあり得ないくらい美人なのに、可愛さを内包していて。

 それでいて、どこか幼気な部分がありつつもやはり大人なところもあって。

 あっけらかんとしつつもまだまだミステリアスな部分があって。

 そんな都也美さんに俺は強く惹かれ始めていた。


 そんなことを考えていたら、都也美さんから再度声がかかる。

「さてさて、ここで立ち話もなんだから、中でお話ししよっか」

「そうですね」


 そうだ。これからまだたくさん話が出来るのだ。

 楽しみすぎて逸る心を落ち着かせて、俺はバーに入った。


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