第3話 新天地へ
「っ……ううっ……ハルぐんっ」
「また泣いてるし。いつも思ってますけど、これ寝かしつけになってます?」
「ゔんっ……!」
俺は彼女──沖 都也美と一緒に寝る時は必ず寝かしつけをする。それはどんな時でも絶対にしなければいけない決まりの一つだ。
話の内容は決まって俺の昔話。そして必ず、都也美さんは同じ所で泣いて起きるのだ。
もうこの話、何百回と話してるんだけどなーといつものように思いながら、ティッシュを一枚渡す。都也美さんはそれを受け取ると、ちーんと洟をかみ、こちらを見上げる。
「えへへぇ、お世話してもらえて幸せだぁ」
そういうと俺の胸に頭を擦り付けてくる。少しお酒の匂いが香った。
「そういえば、今日はあんまり深酒しなかったですね。偉いです」
「そうでしょっ! 偉い子になでなでせよっ!」
「はいはい、わかりましたよ」
なでなですると、都也美さんの口角があがる。可愛いな、素直にそう思った。
「ねぇ、ハルくん」
「なんですー?」
「今、私幸せだよ。すっごく。だから、ハルくんはずっと私を甘やかさなきゃなんだよ? 私から絶対離れちゃダメなんだよ? 見てなきゃなんだよっ?」
「わかってますよ。ちゃんとずっと側にいますから」
「……へへぇ、しあわしぇ……絶対離れないっ。離れてやんないっ」
そう言って俺の腕にしがみつく。豊かな胸が押しつけられ、俺はどきりとした。服越しに何度も触れているし、なんなら直接見て触った事もあるのに、全然慣れない。
そんな邪な気持ちを誤魔化す為、俺は再度の寝かしつけを所望する。
「やっ!……っていいたいけど、もう夜も遅いもんね」
「今日は随分聞き分けがいいですね?」
「そんな偉い子には?」
再度なでなでをする。満足げな顔がやはり可愛い。
すると急に都也美さんの顔が真顔になった。
「……今日もありがとね、ハルくん」
突然、彼女はそう口にする。
「何がですか?」
「私をちゃんと見守ってくれて。ハルくんは本当に優しいよね」
「それはこっちのセリフですよ。 俺に過去の話をさせてるのだって、俺が記憶喪失になってないかいつも確認してくれてるんでしょ?」
「……バレてたかぁ」
それはそうだ。毎回毎回頼むんだもの。鈍感な俺でも流石に気づく。
「だから、こちらこそいつもありがとうございます」
そう言って、キスをする。
慣れないキザな行動に俺が顔を赤くしていると、都也美さんも顔を真っ赤にしていた。
「と、年上にそんな事しちゃいけないんだよ?刑法なんとか条にも書いてあるんだから!」
「そんな法律はありませんっ」
「むー! 目が覚めちゃった罰として、今日は長めの寝かしつけを求めます、裁判長ハルくん!」
「わかりましたよー、都也美弁護士ー」
そう言って、俺たちは布団に入り直した。
「わたし絶対、ハルくんのこと忘れないからね」
「俺もずっと横で……むぐぐ……んー……ちょっと!? 都也美さん!?」
急に大人のキスをされた。
いつも寝る前に交わしあうと決めている文言の途中だった為、俺は完全に虚をつかれた。
「し、か、え、しっ! ほら早く、寝かしつけっ!」
そう言って都也美さんは布団に潜る。恥ずかしいならやらなきゃいいのに。
しかし、よく考えたら自分も同じだったことを思い出し、俺は苦笑する。
布団に潜った都也美さんの頭を撫で、俺はまた自分の過去を話し始めた。
───その時、時刻は23:59。
《《ある日の月曜日が終わり、ある日の火曜日が始まろうとしていた。》》
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両親との会話の後、急ピッチで引越しの準備に取り掛かった。
下着類を含めた普段着の9割。パソコン、ゲーム機、家に余っていた少しの生活消耗品。そして“記憶ノート”数冊。
引っ越しにしては大分少ないそれらを梱包するのには、両親の手伝いもあって一時間とかからなかったと思う。
自室で使っていた家具は、たまには帰ってきて顔を見せて欲しいと言う親の意向で、全て置いていくことになった。
それでも、今まで生活していた部屋から物が消え、全体的にがらんとした感覚に、少しだけ胸がちくりと痛んだ。
ふと机の上で置き去りにされた教科書を見る。
それは、明日から俺は否応なく“大人”になり、そして“村人A”にならなくてはいけない現実を突きつけていた。
俺は恨めしげに見てきたその教科書を、机の引き出しの奥底に仕舞い込んだ。
その後親と二言三言会話をし、就寝準備を終え、床につく。
疲れのせいかあっという間に寝てしまった。
翌朝、引越し屋さんが集荷しに来たので親と一緒に受け渡しを終えると、時刻は11時になっていた。
念のため、スマホで新幹線の発車時刻を再確認する。13時15分発車予定の文字。
ついでに運行情報も確認する。何も問題はなさそうだ。
それから、電車が出る一時間前でいつもと同じ様に家族と談笑をして過ごした。
予定時間になり、見送りをしたいと言った両親と一緒に車に乗り込む。
父さんは久々の運転ということもあってか少し緊張していた。
父さんに「平日なのに休みをとらせてごめん」と改めて言うと、「使いきれないのがあったから気にするな」と言われた。
「そっか」と短く告げ、サイドウインドウから外を眺める。
駅までの景色は滲んでよく見えなかった。
駅近くの駐車場に車を停め、駅まで歩く。
改札をくぐりホームに着くと、もう既に自分が乗り込む予定の新幹線は到着していた。
「出発まで少し早いけど、俺いくよ」
電光掲示板の時間は12:00ちょうど。
おもむろに手荷物を持ち上げると、母さんがずいと紙袋を押し付けてきた。
「ごめんね。 こんなことしか出来なくて」
中を見ると俺が通学の時に使っていた、弁当箱が入っていた。
「……最後までありがとね、母さん」
「最後とか縁起でもないこと言わないでよ、もう!」
肩を軽くパシパシ叩かれた。
「痛い、痛いって」
「そんな事を言うあんたが悪い」
そんなやりとりの後、母さんは突然顔をくしゃっと歪めると「ハル……ごめんね……」そう言って俺に背を向ける。
手にはハンカチが握られていた。
俺はそんな母さんから目を逸らす──「ハル……ごめんね……」と言う言葉に対しても。
「あと、これも。あっちについて落ち着いたら開けてくれ」
それまで口を開かなかった父さんはそう言って、少し厚めの封筒を渡してきた。
「わかったよ」
「ん。体調には十分気をつけろよ」
「わかったわかった」
「大家さんに不義理をしない様にな」
「わかったって!」
出る前に再三、口酸っぱく聞かされてきたのだ。
それでもこんな不肖の息子をちゃんと心配してくれている事への照れ隠しから、反抗的な態度でそう言った。
「じゃあ、ホントに行くよ!」
「あぁ、色々と気をつけてな」
そう言った父さんはいつもの様に優しい顔をしている。
母さんは父さんに抱き止められて泣いていた。
永遠ではない別れでも、離れるのはやはりつらい。悲しい。嫌だ。戻りたい。
途端、目頭が熱くなる。
急いで俺は新幹線の方を向いた。
後ろから「時々、帰ってこいよ!」と父さんの声が聞こえた。
振り返らずに、俺は新幹線に乗り込んだ。
泣かない。両親の前で泣く姿はもう見せない。
だって俺は今日から“大人”なのだから。
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指定された席に座ると、新幹線は直ぐに動き出した。
車内は暖房が効いていてとても暖かい。
気づけばその暖かさにあてられ、発車から10分も経たずして俺は寝てしまった。
目を覚ましたのは、約二時間後。
焦って乗り過ごしていないか確認すると、ちょうど降りる予定の駅に向かっているところだった。
ホッと一息ついていると、車内放送があと3分で着くことを告げる。
逸る気持ちが抑えられず、俺は乗降口の前に待機した。
しばらくすると、ドアが開きホームが俺を迎え入れる。降りた瞬間に吐いた息は白く濁った。
少し迷子になりながらも改札を抜け、バスロータリーに出た俺はタクシーに乗り込み、ドライバーさんに行く先を告げる。
流れ出した車窓から見える景色は、当然のごとく知らないものばかり。
それは、不安と期待の塊として俺の目に映った。
20分後、車は止まった。
お金を払い、ドライバーに礼を言って降りる。
眼前の塀の看板には、今日から住む「御園荘」の文字。
借りる前にネットで見た外観と寸分違わぬ、少し鄙びた木造アパートがあった。
深呼吸を一度。二度。
決意を固め、新生活の始まりの一歩を踏み締める。
こうして俺───芦名 春は“村人A”を演じ始めた。
しかし、新天地で“村人A”を演じ始めて、5ヶ月後。俺は“村人A”というより“ゾンビA”になっていた。