嘘つきラジオ【春のチャレンジ2025】歴史
その日は、後に、沈黙の日曜日と呼ばれることになった。
1920年・・・ 国際連盟が成立し、ベルサイユ条約が発効したことで知られるこの年に、僕たちの学校に、最新のラジオが設置された。
この年の11月2日、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送を開始したDKAK社のAMラジオ放送。
開局初日の番組は、選挙の開票情報だった。
ラジオは、ウォレン・ハーディングが、第29代アメリカ合衆国大統領に決まったと伝え、僕たちは、学校の小ホールの真ん中に置かれた大きなスピーカーから、その放送を聞いた。
今も高価なラジオだけれども、その頃のラジオは、今より貴重で、そもそも、普通には、販売されていなかった。
だから、僕たちは、授業が終わるとすぐに小ホールに向かった。
そうして、校舎を管理するジョンマートン・スカッレー・ゾロさんが、ほうきを振り上げて、僕たちを叩きだすまで、毎日ラジオ放送を聞くのが日常となった。
家に帰る道でも、登校の途中でも、僕たちは、常にラジオの話。
そんな僕たちのお気に入りが、「コランク・フンラッドの嘘つきラジオ」だった。
コランク・フンラッドは、ラジオ放送で、嘘ばかりを話した。
「アトランティスからの移民が、オハイオ州のサマーフィールドで、ペットのイヌを食べている。」
「民権党が、国境を開いて、移民が入って来るのを許した。そのうち1万3000人は殺人犯だ。」
「ラジオ局が、女性アナウンサーを使って、映画俳優のキー・イチイカナを接待している。」
どれも、荒唐無稽な話だったので、本気で信用する人はいなかった。
・・・が、しかし、それを話題にして人をからかうのが面白かったため、僕たちだけでなく、バーに集まる大人たちも、これに騙されたふりをして、ビールを楽しんでいた。
そんなある春の日のこと。
「嘘つきラジオ」を楽しみに小ホールに集まった僕たちは、いつもと違って、真面目そうに話をするコランク・フンラッドの声を聞いた。
「本日の放送は、真面目なニュースを流します。」
そんな言葉で始まったコランク・フンラッドの話は、僕たちの・・・ピッツバーグの小さな町を大混乱に陥れた。
「1910年に接近したハレー彗星と同じ規模のチャーリーズ・チャップルン・キッド彗星が、次の日曜日に、地球に最接近します。天文学者ラミーユ・フカマリオンによりますと、今回の接近ではスペクトルの分析が行われ、キッド彗星には、シアン化物が含まれていることが明らかになったそうです。彼によりますと、地球がキッド彗星の尾に近づいたとき、このシアン化合物が化学反応を起こし、大気中に青酸ガスを充満させて、生命体が死に至る可能性があるそうです。」
町中が、騒然となった。
人々は、ガスマスクを買い集め、自転車のチューブですら、商店から姿を消した。
同じクラスだったエルロック・ショルメとノイル・エーウッドは、いやな奴で、品薄となり価格が高騰している自転車のチューブを、家族全員分、揃えることに成功したと、教室で自慢した。
僕たちは、ショルメとエーウッドの二人をボコボコにして、教室・・・いや、学校から追い出した。
いつもは厳しいジョンマートン・スカッレー・ゾロさんも、この時ばかりは、怒ることは、なかった。
僕たちの家が貧しくて、家族全員分どころか、1人分の自転車のチューブを購入することすら難しいということを知っていたからだ。
月曜日が火曜日となり、火曜日が水曜日となるころには、街の狂騒は、ピークに達していた。
もはや、ガスマスクや自転車のチューブを探そうとするものはなく、自宅に庭を持つものは、防空壕のような穴を掘り始めた。
彗星が到来すると考えられる日曜日を、その中で過ごすのだ。
今度は、シャベルやスコップ、土を入れて土嚢をつくる麻袋が、品薄となった。
しかし、足の踏み場もないような小部屋に住む僕たちにとって、そんな狂騒は、縁遠いものだった。
そうして、憂鬱な水曜日が通り過ぎ、楽しい木曜日がやってくる。
いつものようにラジオを楽しみに学校へ向かう途中、ブーン・ウェジスターと、ベヨン・スタインジックが、こう言ってきた。
「なぁ、学校の校庭に、家族全員分の穴を掘らないか?そこに潜れば、助かるかもしれない。」
どうにか彗星が近づいて来ないことを願うだけだった僕にとって、この言葉は、まさに青天の霹靂。
ラジオのある小ホール行きを取りやめて、僕たちは、ジョンマートン・スカッレー・ゾロさんにスコップを借りに行った。
話を聞いたゾロさんは、ありったけのスコップを僕たちとその家族に貸してくれただけでなく、自身も校庭の穴掘りに付き合ってくれた。
自分は、自転車のゴムチューブを、すでに手に入れていたにもかかわらずである。
木曜日、金曜日、土曜日・・・日没であたりが真っ暗になるまで、僕たちは、穴を掘り続けた。
校庭には、僕たちだけではなく、チューブを手に入れられず、庭を持つわけでもない似た境遇の人たちが集まり、次々と自分たちの穴を掘っていた。
そして、やって来たのは、沈黙の日曜日だった。
後に、サンデーサイレンスと呼ばれることになったこの一日、街の中からは、あらゆる音が消えた。
皆が、穴や地下室に籠り、通りには、野良犬さえ姿を見せなかったのだ。
校舎から長い長い電気コードを伸ばした大きなラジオは、校庭の真ん中に置かれた。
そうして、「コランク・フンラッドの嘘つきラジオ」は、ずっとしゃべり続けていた。
チューブを手に入れたコランク・フンラッドは、放送局でキッド彗星の最接近の瞬間まで、放送を続けるというのだ。
やがて、空が暗くなり、彗星がやって来る時間が近づいた。
皆が、穴の中に籠り始める。
一番奥にパパ、次にママ・・・そして、僕が穴に入ろうとした瞬間、それは起こった。
穴の入り口が崩れたのだ!
どうしよう?
ほかの家族は、もう入り口の板ドアをガッチリと設置し、中からしっかり塞いでしまっている。
僕は、たった一人、校庭に取り残された・・・
春の夜空に、星がきらめく。
そして、美しいほうき星が、尾をたなびかせながら、流れ落ちてきた。
きらきらとゆらめく星のしっぽは、なんとも幻想的だった。
そして、夜が明けた。
パパとママは、みんなに掘り起こされた。
もう数時間遅ければ、危うく窒息死するところだったらしい。
ラジオからは、コランク・フンラッドの高い笑い声が、響き続けていた。
もしかすると、徹夜明けで、ハイになっていたのかもしれない。
彼は、その日のうちに逮捕された。
嘘をついて、町を大混乱に陥れたからだ。
小学校には、もはや面白い嘘をつくことがなくなったラジオと、校庭に残るおおきな穴の数々だけが残った。
「嘘つきラジオ」は、最後まで嘘つきだった。
この作品は【春のチャレンジ2025】と【大野錦氏チャレンジ企画】《公式企画テーマ入れ替え2022年度、秋の歴史、テーマ「手紙」→替→「ラジオ」》に参加しています。(企画概要)https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1970422/blogkey/3247285/
歴史小説としてではなく、歴史分野の時代小説としてお読みいただけたら嬉しいです。




