異世界の王女は婚約破棄されても迷わない ~切れ者に見えた公爵子息はやっぱり鈍感な普通の青年でした~
別れ話は密やかな場所で。
貴族たちが集まる夜会が終わり、夜も更けた頃にロベリ公爵の令息グースは婚約者であるライムを自分の部屋へ招き入れた。
人には聞かせられない内容であることは時間帯と場所が物語っていた。
二人の間に流れる重苦しい雰囲気の中、グースが口を開く。
「キミとの婚約を破棄しようと思う」
口調は穏やかだがそこに固い意志が感じられた。
向かい合ったライムは特に驚いたような素振りも見せず、静かに問う。
「ふぅん、どうして?」
砕けた口調になったのは、彼と腹を割って話すつもりだからだ。
いつものライムなら貴族への敬称を忘れない。
その意図を察したグースも言葉を崩して答える。
「やはり僕たちの結婚が間違っているからだ。異世界の住民とは相容れないだろう? しかもキミは……魔物だ」
冷ややかな視線と口調だった。だがライムは怯まずに言い返す。
「酷い偏見ね。ここに誰もいない理由がよくわかったわ」
魔力を帯びた赤い髪をかきあげ、紫色の瞳でグースを見つめるライム。
たしかに彼女は魔族と人間のハーフであり、それを知った王族が利用できると思って彼らに結婚を持ちかけた。しかも王子と王女ではなく公爵家との婚姻。このことから人間が魔族を下に見ていることがわかる。
いわば人質同然の政略結婚であることは重々承知していたが、まさか自分が切り捨てられるとは……ライムの自尊心はひどく傷つけられたが、それでも彼女は冷静だった。
「でもいいの? あなたのお父様、ロベリ公爵のお考えを踏みにじることになるけど」
戦乱の火蓋を切ることになりかねないと彼女は警告する。
大切な王女を突き返された魔族側にしてみればそれだけで戦争の理由は十分だ。
グースはもちろんそれを覚悟の上で話をしている、と言った。
「この先の未来、キミは僕よりも長く生きるのだろう? まずそれが耐えられない」
これも事実だった。魔族の寿命は人間よりも遥かに長い。
ハーフであるとは言えライムは彼が老齢に達しても姿は変わらない。
場合によっては女帝として君臨するかも知れないのだ。
グースの提案は王国の見えざるリスクに対しての備えと言えなくもない。
「思ったよりも小心者ね。そんなに短い命が惜しい?」
「まったくだ。本来なら自分よりも国の存続を優先すべきだろうな」
豪奢な長椅子に座りながら彼は言う。そこに敵意はなかった。
「言っとくけど、別に攻め込んだりしないわよ。ニンゲンが私達の世界に踏み込んでこない限りはね」
「わかっている」
「だから簡単に断られても私が困るのよ。あなたの個人的な感情で済ませていいことじゃないでしょう?」
「それもわかっている」
グースは堅実だが頑固な人柄だ。
こちらへ来てからの数ヶ月でライムも彼を把握していた。
(試してみようかしら……)
ライムはゆっくり立ち上がり、彼のとなりへ腰を下ろす。
長い髪が揺れて柑橘系の香りがグースの鼻先に触れた。
一時の気の迷いなら魅了魔法で誘惑して忘れさせるつもりだった。
「今すぐにでも離れたくなるほど私が嫌い?」
「いや、キミは素敵な女性だ。それは間違いない。容姿だけでなくその炎のように燃える心は余人を持って代えがたいものがあるな。そして僕は正気だよ」
そう言いながらライムの顔をしっかりと見る彼の目に、魅了魔法の効果は現れていなかった。どうやら本気だと理解せざるを得ない。
「……なら大人しく今のまま振る舞ってなさいよ。それがお互いのためよ」
呆れたようにライムが言うと、グースは懐から刺繍がされたハンカチを取り出した。
その中に入っているものを彼女の前に差し出す。
「ライムこそ、今の言葉は本心だろうか? これは庭で拾った落とし物だよ」
そっと指先で摘んでみると、ライムの顔色が変わった。それは月の光を反射する青いイヤリングだった。
「ッ!! 見たの……?」
「覗くつもりはなかったんだがね」
グースの口調と彼女への視線が冷たく変化した。
「そちらの世界ではどうだか知らないけど、これは私への背信行為だよ。ライム王女」
「私が未来の公爵様の隣に立つ相手としてふさわしくないということね」
「そうなる。今ならまだ私の他に知るものはいない。拾いに行かせた家令のセバスにも言い含めてある」
言葉は穏やかだが明らかな脅迫だった。
有無を言わせぬ圧力をグースに感じながらライムは観念した。
「とぼけた顔してキレッキレじゃない。本当にあいつにそっくりで苛つくわ……」
「ふっ、キミの想い人に例えられるとは光栄だね」
「~~~~~っ!!」
痛いところを突かれたライムはうまく言い返せず、顔を赤くして歯ぎしりする。
「ふふっ、あははははははは!」
グースが思わず破顔したので張り詰めた空気が一瞬で緩んでしまう。
「なっ、なにがおかしいのよっ」
「だって、その顔! 僕の前で初めて見せる表情が、ひっ、ひぃぃぃ、ふふっ!」
「あなたこそ……王族に近い立場の貴族が見せていい笑い方じゃないわよっ」
「もういいじゃないか。ここには僕らしかいないし、お互い様だろう?」
「ふん……」
ふてくされた顔で横を向くライム。
それを見てグースはさらに笑い、一段落してから座り直して語りだした。
「これはもしもの話だが」
「うん?」
「あの日、僕らが出会った日にキミがその表情を僕に見せていたなら、何があっても僕はこの縁を手放さなかっただろうね」
「まったく、何を言い出すかと思えば……」
彼のさりげないフォローにライムはまんざらでもない表情を見せる。
同時に彼の言葉がすでに過去形であることを気にしながら。
「正直に言えば僕はキミたちが羨ましい。本気で相手を想い、相手から想われる仲が。そんな相手が欲しかったんだよ。ところであの青年の名前はなんというんだ?」
「……ウィルよ。ギルドに所属する冒険者。あなたの目から見ればただの平民でしょ」
「平民? おいおい、キミこそ何を言ってるんだい」
「えっ」
グースはウィルの名を知っていた。そしてウィルが一代限りの騎士爵であると彼女はこの時はじめて知ることになる。
「そうか……ライムの想い人があの『英雄』殿だとは。手強いはずだ。馴れ初めを聞かせてもらっても?」
グースは屈託なく笑い、ライムに話を急かせる。仕方ないと諦めた彼女が語る話はまるで英雄譚のようであり、グースは最後まで興味深そうに頷いていた。
戦いを通じて芽生えた愛情。捕虜になりかけた自分を救ってくれたこと、素直になれなかった自分を受け入れてくれたことなど、どれも公爵令息という立場では味わえないスリルと真実があった。
「で、でもあいつ、すごく貧乏くさい家に住んでるのよ!?」
「きっと現状を満足しているのだよ。そして彼はお金じゃ動かない人だよ」
グースによるウィルの人物評価は高かった。
「ますます羨ましくなった。妬けるね」
突然彼がライムを抱き寄せ、美しいラインを描く顎を手のひらの上において見つめてきた。自然とライムは目を瞑る。しかし何もなかった。このまま唇を奪われるのかと思ったがそうではないらしい。
「ちょ、ちょっと……」
「最後に確かめたかったんだ。キミの心はここにない。彼の中に全部置いてきた。そうだろう?」
図星だった。彼に見つめられたまま耳まで真っ赤になったライムはどうしていいかわからず、ただ黙り込むばかり。
やがてグースは優しく彼女の肩を押して距離を取る。
「なんなのよ……もうっ!」
「そう怒らないでくれ。ライムの悔しそうな顔が見れて僕は満足だ。この話は終わりにしよう。明日にでも荷物をまとめてここを出ていってくれ」
穏やかな口調でそう告げたグースは立ち上がり窓の外を眺めた。
その目に涙が浮かんでいるかどうかまではライムの位置からはわからない。
「私からもひとついいかしら」
「んっ、なにかな?」
「あなたって鈍感なのね!」
「な……なんだって?」
ライムは立ち上がり、彼の隣に身を寄せる。そして窓辺にある花瓶を指さした。
「この鈍感男。自分をいつも見つめている視線にぜんぜん気づいていない。私でさえ気づいているのに」
「え……どういうことだ……?」
グースは心底困ったような目で花瓶とそこにある花を見つめていた。
「リコットよ! カラモ伯爵令嬢! 毎日にようにこの花を届けてくれているでしょう? 気づいてなかったの本当に」
「あ、あぁ、リコットか……彼女は昔からこの家によく出入りしているからね」
「はぁ? それだけなの!?」
「それだけ、というのはどういう意味だろうか……?」
月の光を受けて柔らかく光る白い花は可愛らしく頭を垂れている。
その花言葉に秘められた意味をライムはよく理解していた。
「彼女、会う度に私に聞いてくるの。ニコニコしながらあなたのことを。仮にも王女である私に普通に話しかけてくるなんてこの国の淑女教育はどうなってるわけ?」
「すまない……僕からよく言い聞かせるよ」
「こっちのほうが居心地悪くて仕方なかったわ。こんなお城、さっさと立ち去るから安心してよ」
そこまで言い切ってから、ライムが指先で白い花にそっと触れる。
瑞々しい花弁は落ちること無く静かに上下に揺れた。
「ライム」
「何よ」
「僕がキミを好きだと言ったのは本当のことだよ」
「知ってるわよ! だから私だって――」
こんな鈍感男、心配すぎて放っておけなかったという言葉をぐっと飲み込む。
見つめ合う二人にそれ以上の言葉は無粋に思えた。
「とにかく! あの子を大切にしなさい。リコットによろしくね。鈍感なあなたにはもったいないくらい素敵な女の子よ」
「ああ。鈍感なキミの想い人にもよろしく」
「何よそれ……」
お互いにすっきりした表情だった。
「また会えるだろうか」
「会えるわけないでしょ。馬鹿ね!」
小さく舌を出して片目を瞑ってみせるライム。
王女らしからぬ行為にグースが再び笑みを浮かべた。
「婚約破棄は私からしておくわ。そのほうがいいでしょう?」
「世話をかけてすまない」
人間界、いやグースにとってはそれが最良。ライムからの最後の優しさだった。
そしてどちらからともなく二人は抱擁を交わす。
最後の夜、少しだけお互いの心が重なった気がした。
(了)
一組の男女が別れ、二組の男女が幸せに。
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