ドライヤー
ドライヤーが嫌いだ。
なぜかというと、熱いから。
そして、圧倒的に暇だからだ。
鏡越し、風呂上がりの自分の顔に暫し向き合うのは苦痛以外の何物でもない。
取り分け楽しいことなどないのが分かっているのに、やらねばならないことというのは詰まらない。
しかし、この度、ワタクシはこのドライヤー時間を克服せしめたのである。
秘訣はただ一つ。
数を数える。
これである。
しかも、これ見よがしにゆっくりと数える。
別に誰に見せるわけでもないのだが、これ見よがす。
鏡など見なくて良い。
熱いのは、まあ、我慢して下さい。
いち、にぃ、ではなく、いーーち、にーーいぃ、と数える。
もちろん心の中で、だ。
幼児の風呂の児戯ではない。
これは遊びではない。
いたって真面目なライフハックである。
まあ、だまされたと思ってやってみて下さい。
すると、なんということでしょう。
60経つころには髪が乾くのである。
60というのは一分だ。
一分。
なんと、自分の髪が一分で乾かせる。
そんなことを、これまで生きてきて知らなかった。
これは画期的である。
なんとなく苦手だったドライヤーも今日から友達になれそうである。
美容室で、
「毛流れに沿って」
だとか
「毛流れに逆らって」
とか言われ続けて、毛流れとは何か哲学的思考に興じては飽きていた私も、これで晴れてドライヤーと友好的関係を結べるのだ。
その日、私は一分かけて髪を乾かし、社会人として満ち足りた気持ちで出社した。
すると、変化が起こった。
「○○さん、髪切りました?」
「○○さん髪型変えましたよね?」
「○○さん、美容院行きました?」
なぜか全員、疑問系なのに99%確定申告済という体で喋りかけてくれる。
違います、ドライヤーを使っただけなのです。
それはさすがに言えない。
恥ずかしい。
社会人として、ドライヤーを1分使うことさえもしていなかった自分をさらけ出す勇気は私にはまだない。
「えーーーーーーーーーーっと……」
本当にこんな感じで伸ばし棒を10本くらいつけて返答すると、察しの良い方は
「あっ……勘違いでした? ごめんなさい、なんだかいつもと違う気がして」
と引き下がってくれる。
すると、こちらのほうも
(すまない気が利く御仁よ、訳があって言えぬが察してくれて良かった……)
(そなたの気遣い、無碍にはすまい…)
という気持ちでいられるわけなのだ。
だがしかし、問題は察してくれない方である。
もう、この場合は、99%どころか、99.9999999%は確信している。
彼ないし彼女の脳内では、昨日の私はおしゃれな美容院(注※びよういんと読んではいけない。あくまでも『サロン』である)に行って、ローズヒップとなんとかのブレンドのフレーバーティーを飲みながら、ハサミを入れて頂いているのだ。
スカルプケアとハーバルケアとスーパーモイスチュァケラスチンコラーゲントリートメントなんぞもしているのだ、きっと。
「絶対切ったわよね」
「……えーーーーーーーーーーっと」
「あら? 髪も染めた?」
10本伸ばし棒攻撃が通じなかった上に、
「カミモソメタ?」
の詠唱により私のMPは30くらい削られた。
ちなみにMPはマジックポイントではなく、まーなんとかなるさパワーの略である。
「髪は……染めてないですね」
事実である。
嘘は言っていない。
あたかもサロンに行って髪を染めずにカットだけしたかのような雰囲気を醸してしまったかもしれないが、嘘は言っていない。
「素敵ね~」
と褒めてくれる先輩社員に、
「はあ、まあ、いや、はあ……」
と意味も無く礼をしたりなどして、日々が過ぎるのであった。