03 橋本舞の返事
時系列がぐちぐちゃで誠に申し訳ないのだが、これはまた昨夜の話である。
僕が舞から全力ビンタを受けた後、そして告白した後のこと。
「どうかな、僕なんかじゃ割りに合わないか?」
外は暗くなっていて、周りには誰もいない。
陸上部の部室前で──橋本舞に告白した僕は、いわゆる返事を待っていた。
「……っいや、あの」
「え? なんだって?」
「せかすな!」
怒鳴られてしまった。
にしても、まさかだったな。勢いに任せて告ったしまったじゃねぇか。
……もっとも彼女のことは好きだ。
幼馴染としても、異性としても。
だから『スパッツを嗅ぎたい見たい』とかいう如何わしい欲だけに、性欲に負けて──告った限りではない。
それだけは念頭に置いておいてほしい。
でなきゃ僕の尊厳が失われてしまうから。
「急かすなと言われれなくとも、僕は何百年でも待ってあげるさ」
「カッケー……その前のあのお願いさえなければ、もっとカッケーのに」
「過去は変わらない。舞はそれを知っとくべきだよ」
「お前が言うの、それ」
咳払い。
それから、舞は言った。
「まあ取り敢えず……着替えさせてくれねーか?」
「あ、ごめん」
ふと気がつく。
告白の返事ではなかったが、優先順位というものがあった。十二月はもう冬である。
太陽が照っている時でさえ寒いのに、日が暮れたら──そりゃあもう絶対零度。
だが幼馴染は極寒の中で、陸上着姿のままでいたのだ。赤のショーツの下に黒のスパッツ、上はセパレート型のユニフォーム。
着替える隙もなく僕が話しかけてしまったから……そう考えると、うん、申し訳ないことをしたな。それもかなり。
だって、絶対寒いじゃん。
そんな訳で僕は彼女が部室に入って着替え終わるまで、外で待っていた。
体を夜風に晒しながら。
◇
舞が制服姿に着替えて部室から出てきた。
面構えもバッチリだ。
キリッとしている。
……イラっとしている?
「待ったか?」
「いや待ってない」
夜風が吹いて、舞の茶髪が少し揺れた。
「…………」
そこからちょっとだけの静寂が流れ始めた。気まずい。そりゃ当然か。
僕はただ何も言わずに彼女の返事を待つ。
──目は合わせる。
冷静になって思う。
……何であんなこと頼んでしまったのだろうか、と。
だって───普通にヤバいだろ。
スパッツ嗅がせてとか、見せてとか。
ただの犯罪者じゃねぇか。
だが、幼馴染の魂胆を僕は舐めていたようで……。
「いいぜ」
橋本舞は簡単な短文でそう言い切る。
たった『ひらがな』3文字。だがそれだけでも、僕が普段使っているような長文なんかより重かった。
「ま、まじ?」
舞が口走ったアレを僕は忘れたりなどしていない。『恋人だったら、スパッツを見せて良い』。つまり告白をオーケーするというのは、そんな表現しきれない禁忌を承諾する意味と同義である。
「あぁ、もちろん」
「そんな意欲的なのか!?」
流石は汐留瀧の幼馴染ってところだろうか──すげぇ。
「ただし、条件はある。流石に私も女の子としての羞恥心はあるし、第一な、まだタッキーのことは異性として見れねえんだ」
「なるほど?」
それで条件というのは?
と聞こうとするが、まだ話は続いているらしいのでやめておいた。
「タッキーの事は幼馴染、もしくは……陸上の憧れと思ってる節が強くてな」
「──僕に憧れるなんて、不幸だと思うけど」
「かもな。あんなことを頼んでくる変態野郎に憧れちまったのは不幸かもしれない。でも私は後悔なんかしていない」
汐留渚に憧れたのは不幸だったかもしれない。
だがそれに後悔はしていないと、キッパリと宣言した。
「話を戻すが」
ごほんと、咳払い一つ。
「別に私は──タッキーの告白は無条件で受け入れたいところなんだ。でも……流石にスパッツを見せることもあり得るのかと考えると、無条件は厳しい」
別に異性として好きな訳でもないのだからね、と舞は補足した。
ふむ。
ならばここで、
「じゃあ聞かせてもらおう。その条件ってのは何だい?」
その疑問を入れさせてもらう事にしようじゃないか。
「ずばりだ」
「うん」
「陸上部に入って、それから私と100m走で勝負しろ──もしタッキーが勝ったら、付き合ってやるさ。スパッツを見せてと思うぐらい"惚れてやる"」
実に上から目線で結構。
舞がどんな理由でこの条件を提示してきたのかは分からない。今の僕は別に全盛期ではないし、今の走りを見せたらきっと失望される。
……汐留瀧の自己ベストに勝てない幼馴染も、流石にブランクのある僕には楽勝に勝てるだろうし。果たしてそんな戦いにどんな意味があるのか。
まあ、別に分からなくても構わないか。
いずれ分かるだろうし。
にしても……なあ。
もう一度、陸上部に入るって。
厳しい話だよな。
だって僕が陸上部を辞めた理由は怪我だったし、医者からは『走らない方がいいよ』なんて言われているし。
復帰は実に難しいし、厳しい。
「当然、タッキーの怪我は知っているからな。だから、怪我人にはハンデを与える。私の本領である中距離ではなく──"短距離"ってわけだ」
そりゃ幼馴染だし、ライバルでもあったのだから当然知っているよなあ。
因みにだが自分の記憶が正しければ、橋本舞は加速が遅い。
「なるほどね……」
そういうことかと、頷く。
考える。
「どうだ?」
いや、考えるまでもなかった。
「分かった。その条件──呑もう。舞のスパッツを見るために」
「死んでくれ!」
「……ごめん。橋本舞と付き合うために、その条件を呑む」
怪我のことなんてどうでも良い。
舞と付き合えるのならば、それで十分なのだ。
アホみたいに展開が矛盾してたので二話目を修正しました。申し訳ないです。