第8話 進めば光はあるもので
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遠回りの末僕はメンバーに行きついた。
僕には兄がいるのだが、1つ違いの兄であり、友達のように過ごしていた。
小学校までの兄の友達もまた僕の友達のようであった。
そこでできていた縁でバンドが組めたのだ。
親友は同じ学校に進学しており、僕の状況を知っていたが加害者になることも、擁護者になることもしなかった。
学校の外ではこれまで通り普通に遊んでいたし、その距離感は僕にとってはちょうどよかったのだろうと今は思う。
そしてその親友もまたバンドメンバーになった。
こうてバンドとしての形は整った。
皆初心者であり、ドラム担当は電子ドラムを買って練習していた。
そしてドラムは移動が大変なので、僕たちはドラムの家によく集まるようになった。
僕たちの初ライブは僕の大嫌いな学校の学園祭になる。
それは僕からのささやかな抵抗でもあり、僕は楽しく生きている、お前らなんかに潰されないといった意思表示でもあった。
この頃はまだボーカルがおらず、僕たちは4曲することになったのだが、初めの二曲を他のメンバーが、残りの二曲を僕が歌うことになった。
何回転んだっていいんだと、僕を奮い立たせてくれるような歌と、ライオンが蒲公英のために孤軍奮闘する歌を選んだ。
その時好きだったアーティストの楽曲だということもあるが、その歌詞が、僕にとって強いメッセージ性を持っていたからだ。
もちろん僕たちのステージを苛めの主犯格たちも見に来るだろう。
格好のネタなのだから。
何をしても苛めの種に変える彼らの機転と想像力は称賛に値すると思う。
15歳そこらの餓鬼がどうしてそこまで頭を使えるのか。
仕事で活かせば出世するだろう。
もちろんこれは皮肉であり嫌味なのだが。
前述の通り、僕が学園祭でライブをすると決めた理由の一部には彼らへの反骨精神も含まれている。
だが、本懐は別にあった。
僕はただ楽しみたかったのだ。
僕の居場所であるバンドで、このメンバーと、ライブがしたかった。
中学生の僕らにとってライブができる場所なんで自分が通っている学校の学園祭ぐらいが精々だった。
そして僕は既にここでは最底辺であり、これ以上失うものはない。
であれば、やらない理由はないのではないかと考えたのだ。
そして後付けで前述の理由ができたのである。
選曲には影響したので大切な理由ではあるのだが。
そのため僕は成功に拘っていなかった。
そもそも僕は人生を楽しむためにバンドをすると決めていた。
そこがブレることは一切なかった。
ライブへ向けた練習も終始楽しくしたし、今思い返しても良い思い出として残っている。
正直初ライブは緊張してあまり覚えていなかったし、テンポは速くなってぐだぐだなものになっていたぐらいしか記憶にない。
だが、意外なことにライブに関しては彼らから攻撃を受けることはなかったのだ。
翌年、主犯格もステージに上がることになることが僕には愉快だったことぐらいだ。
僕たちメンバーは、いや、総じて中高生などは皆、大人に憧れを抱いているのだと思う。
大人がやっているから煙草を吸ってみたいと思ったり、お酒を飲んでみたいと思ったり、大人がやっていることがかっこいいと思う瞬間があると思う。
そして僕らバンドメンバーも同じだった。
煙草やお酒ではない、なんともかわいらしい話だが、
僕たちがライブをするにあたって一番喜んで、記憶に残っていることは「スタジオ」を使ったことである。
大人のバンドマンが使うようなスタジオを借り、様々な機材に囲まれて音を出した。
興奮した。
その一言に尽きた。
34歳の僕はその新鮮さは味わえないので、メンバーの興奮を見て父親のような気持ちで喜んでいたのだが。
そして学園祭後には焼肉屋さんに行き、名ばかりの打ち上げを行った。
楽器を持って入る焼肉屋さんは、なんだかとても大人な雰囲気を感じたのを覚えている。
こうして不幸の檻の中にいながらも、僕はおよそ肯定的だと思われる感情もしっかりと醸成していったのである。
僕が選んだ二曲も実際に存在する曲を想定しています。
是非考えてみてください^^