第40話 社会人的運命の出会い
多くの場合は独り立ちする時は規模の小さな教室に配属されるのだが、僕がいた教室はここ2.3年責任者の退職が続いており人の入れ替わりが激しかった。上司も異動となり、こんな状況なので僕を残すかとなったのか、そのまま残留となった。
そのため僕は係長クラスがやっていた教室を新人の時から担当することになった。
後から知った話だが、退職が多かった理由は上司にあったらしい。
「電話で怒ってるだけの人」だったのだが、当然怒られ先の人がいるわけで、基本的にみんなこっぴどく怒られていたようだ。中にはうつ病になってしまった人もいるようだ。それが僕の前任の人だったのだが。
そしてそこまで追い込んでしまったこともあってか、僕へのあたりはきつくはなく、無関心となっていたのだった。まぁ通常は右も左もわからない状態の時に無関心でいられる方が苦しいのだろうが。
そして次の上司はその人に怒られ続けていた同じグループの人だった。
初めて長となり、舵きりの仕方もわからない人だった。
結果的にその人は出た結果が悪い時にだけ改善策ではなく怒りをぶつけてくるだけの人となる。
もちろん問題ないときは放置だ。
僕はというと、相変わらず教えてもらえない状況が続いており、手探りでアルバイトの知恵と力を借りながら教室運営を行っていた。
そのため教室の雰囲気は良く、アルバイトも協力的だった。
が、無機質なマニュアルとアルバイトが僕の情報源だったため、決して水準は高くなかった。
結果もすごく悪いわけではないが、良いわけでもなかった。
それでも今思えば係長クラスが運営する教室をこれといった問題なく回していたのだからもっと評価されても良かったとは思うのだが…。
そうして1年間自分だけで教室を回し終えた次の年、今の僕の社会人としての価値観や仕事の仕方のベースを与えてくれた人と出会う。
次の人事配置で僕は教室に残留だったのだが、グループ内のほとんどの人が異動となった。
そしてグループの長も変わり、メンバーも変わり、新しい雰囲気となった。
その人はとても厳しかった。
その人はとても賢かった。
その人はとても冷酷だった。
その人はとても正しかった。
そして、
その人はとても面倒見が良かった。
その人はとても人間味があった。
恐怖政治だった。
が、正しく、筋が通っており、思考のプロセスを大切にする人だった。
厳しさの中に優しさがあり、仕事で妥協はしないが、仕事のことを外に持ち込まず、プライベートではとても楽しく愉快な人だった。
これまでの僕は、尊敬する人はいますか?という質問にちゃんと答えられなかった。
無難に父ですなどといっていたが、本当は自分だと思っていた。人に依存せずに自分の力で這い上がってきたからだ。僕は自分に絶対の自信があったし、そこを揺るがせるわけにはいかなかった。
が、半年もしないうちに僕の尊敬する人はその人になっていた。
そしてその人ならどう考えるか、思考のプロセスに重きを置き、思考し、検証し、修正し、思い通りに数字を作っていくことを学んだ。
再現性のない結果はマイナスだ。偶然できてしまったことを勘違いして停滞するからだ。
再現性を得るためには思考することだ。
物事には理由があり、理由があるからには人為的に引き起こすこともできるのだ。
そうして僕はその人の元で1年間必死に学び、臨んだ結果を出せる塾人になった。
正直僕はこの会社が嫌いだ。
ここまでの話でも滲んではいるのだが、教育業界なので「生徒のため、人のため」というが、その割に人を大事にしていないからだ。
人を大事にしないのは構わない。僕もそういった人種だ。
が、「大事にすることを是とする風潮で社員に圧をかけるくせに」というのが気にくわないのだ。
僕は教職志望の生徒やアルバイトが僕に憧れて塾の先生になりたいと言った時に必ずいうことがある。
「教育者になりたいなら教師になれ。塾は営利団体だ。金儲けのために動く組織だ。教育は二の次だ。」といった内容だ。
金を稼ぐ手段として教育を取っているのが塾なのだ。事実教職を志して塾業界に来た先輩や後輩はすぐにやめていった。
それを実態が伴っていないのに教育ありきでお金は二の次などのたまう会社に辟易とするのだ。
そのためこの会社ではなく他の塾に就職することも今回は考えはしたのだが、やはりこの人との出会いは代えがたいものだった。
絶対に僕にとって必要な出会いで、出会わなければ僕の人生が変わってしまうこともあり得ると思ったのだ。
34歳の僕は28歳近くになった僕へのその人の関わり方を見て思う。
僕はまだまだだな。この人は今30前半ぐらいだろう。本来の僕と変わらないはずだ。
だがなぜこうも追いつけないのか。
僕は更にその人の魅力に引き込まれたのだった。




